カナリア姫の婚約破棄

里見 知美

カナリア姫の婚約破棄

「レニー・フローレスとの婚約をここに破棄する!」


 登場するや否や、拡声魔道具を使用して第三王子のフランシス・コロネルが婚約破棄の意思を声明した。あまりにも力んで大声で発声した為、魔道具が割れて辺りにキーンと不快な機械音が広がる。


 誰もが耳を塞いだが、彼の言葉は一言一句伝わったのだろう、ホールにいた貴族達がレニー・フローレスと呼ばれた令嬢を振り返った。


 まさにイチゴのプチケーキを口に入れようとしていた矢先だったため、あんぐりと口を開けていたところで固まっていたレニーだったが、ケーキを口に入れもぐもぐと咀嚼した後、そっとプレートとフォークをテーブルに置き、丁寧にナプキンで口元を拭った。


「如何なされました、フランシス第三王子殿下?」


 カナリアが囀るような、美しい声色に皆がほうとため息をつく。


 レニー・フローレスは『カナリア姫』との二つ名を持つ音楽家で有名なフローレス侯爵家の長女で、彼女自身も歌にバイオリン、ヴィオラ、ピアノにハープとさまざまな楽器を使いこなす歌姫だ。少々ふくよかではあるが、カナリア色の巻毛にけぶるような長いまつ毛、瑞々しい唇が独身男性を虜にした。緩やかな曲線を描くたわわな二つの山も視線を集め、清楚な中にも女性らしさを身につけ背筋を伸ばして佇むその姿は、まさに王子妃として相応しいと誰もが思っていたのだが。


 どうやら婚約者である第三王子は違ったらしい。


 王子が声明した途端に独身貴族子息達の目が光る。明日の朝には侯爵家に山のような釣書が寄せられることは間違いない。だが、レニーは小首を傾げ、キョトンとした顔を第三王子に向けた。


「どうしたもこうしたもない!私は貴様の黄色い声など聞きたくもない!二度と王宮に来るな!その聞き苦しい声で歌うことは金輪際許さんっ!」


 ダンスホールにいた貴族達はひゅっと息を呑んだ。第三王子とはいえ、王族が登城禁止を言い渡したのだ。実質社交界への出入りを禁止されたようなもの。カナリア姫無くしてどのように音楽祭を成功させるのか。侯爵家の反応は、と皆がレニーに注目した。


「あらあら、まあまあ。それは一向に構いませんけれど、わたくしが何か粗相を致しましたでしょうか」


 こてりと首を傾げ、全く気にする様子もなく朗らかに返すレニーに、流石何年もこのバカ王子の婚約者を続けて来ただけの度量がある、と皆が感心し胸を撫で下ろした。どうやらこれもいつものことのようだ。過去、学園で同じようなことをした。何人かの令息令嬢は覚えていて、ひそひそと話を交わす。


「粗相?粗相だと!?あれが粗相というレベルのものだというのか!お前の頭はどうなっているのだ!!」


「あれ?あれとは何でございましょう?」


 ひび割れた魔道具を床に叩きつけ、フランシス第三王子はズカズカとホールへと歩み出た。どうなってるいるのだ、と聞きたいのは王子の頭の方だと皆が思うが言葉には出さない。


「私の愛するアマディリアを階段から突き落としただろう!裏は取れてるんだぞ!」


 アマディリアとはシェイン伯爵令嬢のことだ。


 ここ1年ほど、学園で第三王子と密着していて、その態度はとてもじゃないがまともな教育を受けているとは言い難く、破廉恥で男と見れば粉をかける令嬢だと皆が避けて通っている。最近まで留学をしていたというから、さぞや教養の高い令嬢なのかと思いきや、どうやら贅沢を覚え、男を侍らせる術だけを学んで帰ってきたようだ。そんな女に、歌姫という婚約者がいるにも関わらずまんまと絡め取られてしまった第三王子は、我が王国の汚点だと白い目を向けられていることに本人は気づいていない。


 学業は平均点をクリアしているものの、外国語の一つも真面に話せず政治に疎く、これといって秀でるものがない。普通の貴族の三男ならばそれでもよかったかもしれないが、彼は王族だ。態度は立派だがプライドばかりが高く、頭脳や容姿に秀でているわけでもなくなんの業績もあげていない王子では、諸外国に婿に出すことも恥ずかしい。せめてカナリア姫と婚姻をしていれば、侯爵家の後ろ盾を持てるはずだったのに、たった今、自らそれすら投げ捨てた。いくらシェイン伯が商売で繁盛しているとはいえ、国際的に有名で名門の侯爵家とでは比べ物にもならない。


「……ああ。あれでございますか。あれは事故でございましょう。わたくしはアマディリア嬢が階段にいらしたことも存じませんでしたし?」


 そういえば、とレニーも先日のことを思い出していた。放課後の音楽室でいつもの様に発声練習をし、今度の国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレで披露するオペラ曲を歌っていた時のことだった。歌を聴きに集まっていた生徒達が外が騒がしいと確認にいき、誰かが階段から落ちた様だと聞いたのだ。それがアマディリア嬢だったのだろう。


「お前のに驚いて飛び上がった拍子に階段から落ちたのだぞ!貴様のせいでなくて誰のせいだというんだ!」

「あら、まあ。わたくしのせいでございますか」


 歌姫に向かって罵声とは。今皆の耳に入っている声こそ罵声であり、カナリア姫の声は天使の歌声だというのに。その場にいた者は皆眉を顰め、ある者は頭を左右に振り、ある者はヒソヒソと扇子で口元を隠して噂をする。しかも歌を聴いて階段から転げたのを歌姫のせいにするとは、難癖もいいところである。


 アマディリア嬢が階段から落ちたのは紛れもない事実らしい。全治3ヶ月の骨折で、今日もパーティには出てきていないという。学園の音楽室は防音措置をされているのだが、その日は朗らかな昼下がりで、少し汗ばむ様な暑さでもあった。レニーの歌声を聴くために数十人の生徒が音楽室に押し寄せていたためか、誰かが窓を開け空気を入れ換えたのだろう。


 そして、レニーが麗しのソプラノボイスを披露した。


 美しい歌声には鳥も鳴き止み聴き惚れるくらいというから、アマディリアがすぐ近くの階段を降りる際に聞こえてきた歌声に思わずうっとりと足を止めてしまったとしても、それはレニーのせいではないはずだ。だが、それに対してアマディリアはフランシスに訴えた。


「レニー様の歌声には魔力があり、悪意ある音波によって背中を押されたのでございます」と。


 無茶苦茶な言い分だが、第三王子は聞き入れた。そして調、同時刻、確かにレニーは音楽室でオペラ歌劇の一部である魔王行進曲・序曲を歌っていた。そしてその他にも、アマディリアが水を飲もうとウォーター・ファウンテンに向かうと水道管が破裂して水浸しになり、図書館で本を取ろうと手を伸ばすと、いきなり本棚から全ての本が落ちて下敷きになり、額を3針縫う大怪我をした。その度に近くでレニーが歌を歌っていたというのだ。


「偶然ですわ」


「そんなわけがあるか!悪意ある魔力を歌に乗せ、私のアマディリアを傷つけた貴様を許すことはない!」


 歌に魔力を乗せることはよくあることだが、特定の一人に遠隔操作をすることなど不可能だ。確かに歌によって傷を癒す事があるように、歌に乗せた魔力が負にも働くことがあるというのは、魔導士によって証明されている。だが万人が聞いていたその歌の魔力で、たった一人を狙って階段から落とすなどということはありえない。物理的に誰かに押されたのでなければ、どう考えても本人の不注意だろう。


 レニーは困った様な顔をして扇を広げ口元を隠すと、はぁとため息をついた。


「殿下。この際です、ここにいる皆様が証人となり婚約破棄につきましては確と了承いたしました。両親である侯爵夫妻にはその様に話をさせていただきますし、国王陛下にもその旨をお伝え致しましょう。ですが、アマディリア嬢の怪我については責任を負いかねますわ。そもそもわたくしは歌を歌っていただけ、あの方が何方にいらしたかなど存じ上げませんし、学院で届けもなく魔力を乗せて歌うなどといった違法も犯しておりません。それでもわたくしのせいだとおっしゃるのでしたら、それなりの証拠をお持ちの上で法廷にてお聞きしましょう。……それから、アマディリア嬢にはお見舞いの品を侯爵家から送らせていただきますわ。お大事にとお伝えくださいませ」


 フランシスはなおもレニーに詰め寄ろうと食い下がったが、周囲の白い目にはっと気がつき自制した。うっかり自分が愛するなどと口走ったがために、ヒソヒソと不貞だの、冤罪だのといった言葉が聞こえてきたからだ。自身の評価に敏感なフランシスは、自身が悪く言われるのを嫌う。激情に駆られて迂闊なことを口走ったと後悔するが、口にしてしまったものは仕方がないと開き直った。


 この辺りが、第三王子を凡人と見せてしまうところなのだが。


「そこまでいうのなら、確固たる証拠を集めて必ずお前の罪を暴いて見せるぞ!覚えていろ!」


 負け犬のようにそう言い残し、フランシスは嘲笑を避けるように慌てて去っていった。


「この国はもうダメですわね……」


 レニーはその姿を見送った後、その後に用意された舞台を『第三王子殿下に金輪際王宮で歌うなと言われたので』キャンセルし、早々にパーティ会場を後にした。


 レニーの零した言葉を拾った周囲の貴族令息令嬢は騒然となり、その情報は野火のようにあっという間に広まった。そしてこの後の騒ぎが国を動かす事態になっていく事に、フランシスはまだ気が付いていなかった。






「聞いたぞ、レニー。婚約を破棄されたとか」


 都内にあるタウンハウスに戻ると、兄であるクロヴィスがティルームにレニーを呼び出した。書類をテーブルに投げ出したところを見ると、たった今パーティ会場での情報を手に入れ読み終えたところなのだろう。レニーの侍女がお茶をすぐさま用意する。甘いものが大好きなレニーのためにはちみつがたっぷり入ったローズヒップティだ。


「お兄様。……ええ。フランシス殿下は生粋の阿呆でございますから」


「しれっと毒を吐くな。父上と母上はすでにご存知で、今頃陛下と対談中だ」


「そうでしたか。相変わらず良い耳をお持ちですこと。わたくし、もう限界。何を歌おうと、どんな楽器を奏でようとあの阿呆は耳を塞いでしまいますもの。アマディリア嬢の甘言にすっかり惑わされてしまって」


「あれは甘やかされて育ったからな。阿呆なのは生まれつきだ、仕方あるまい。気にするな。あとはなるようにしかならんだろう」


「わたくし、また婚約者に戻されるのだとしたらもう我慢なりません。これで三度目。しかも今回は王宮に来るな、金輪際歌うなとまで言われてしまいましたのよ?」


「それについては手を打ってある。心配するな」


「あら。さすがですわね?わたくし的には、別に構わないと思ったのですけれど?」


「いやいや。あの阿呆の発言如きで国を更地に戻すわけにはいかんだろう。だがいい加減、王家にはフローレス侯爵家をコケにした代償を払ってもらわねばな。二週間後の国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレで思う存分知らしめてやろう」


「まあ、まあ!素晴らしいですわ。野外劇場でしたら、わたくしも参加して宜しくて?」


「もちろんだ。思いっきり歌うといい」


「お題目が『魔笛』や『魔王行進曲第十三番・殺戮の限りこの世のはてまで』でも?それに『絶望』も取り入れたいですわ」


「ああ。この際だ、皆にもわからせてやろう。なぜフローレス家が歌うのか」






 バシン、と肉を打つ音が執務室に響き、フランシスは壁際まで吹っ飛んだ。


「あっ、兄上っ!痛いっ…!」


 口の中を切ったのか、打たれた頬を押さえながら手についた血を見てギョッとするが、鬼の形相の王太子である兄を見てフランシスは震え上がった。護衛も侍従も身動き一つせず、壁際に張り付いていて、誰一人フランシスを助け起こそうとすらしなかった。


「父上。かわいい末の弟ではありましたが、ここまで馬鹿だとは思いもよりませんでした。フランシスはもはや北の塔に入れるしかないでしょう」


「きっ、北の塔!?あそこは犯罪を起こした王族の墓場ではないですか!私が何をしたというのです!?」


 兄の言葉に驚いて反論の声を上げたが、凍りつくような軽蔑の眼差しを向けられてフランシスは後退った。


「何をしたかだと?貴様は王家の存亡における禁忌を犯したんだぞ!二度目までは許されたが今度ばかりはいくら私でも庇いきれん!」


「禁忌?なんですか、それはっ!そんな大それた事、私がするわけがない!」


「ではなぜ、レニー嬢との婚約を破棄した?」


「えっ?」


 それまで黙って聞いていた父王が、額を抑えその頭をゆっくり横に振った。顔色は悪く目が落ち窪み、ギラギラとした眼光だけが異様に映る。


「今日の催しは、二週間後に行われる国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレに初出席するレニー・フローレスの先行舞台のためだとは、お前も知っていただろう」


「…はい?」


 フランシスはぽかんとした。全く知らなかったという顔だ。


 今夜は王宮パーティがあり、本祭の前に成人前の独身貴族だけのダンスパーティが催されるから、それに婚約者を伴って出席しろと言われていた。国王夫妻と王太子はその後の催しの準備に忙しく、第二王子は騎士隊長を務めているため、近衛をまとめて配置確認に忙しい。


 そのため第三王子は前座を任されていたが、婚約者のいない者はその機会を得るため、出会いの場を提供するパーティなのだと理解していたから、レニーの舞台のことなど全く頭に入っていなかった。


 自分の婚約者であるレニーを差し置いて、寵愛するアマディリアを連れて出席しようと思っていたのに、その肝心のアマディリアは階段から落ちて骨折したため、本日のダンスパーティにも出席できなくなってしまった。それでイライラしていたのもあった。


「で、ですが、あの女は、」


「黙れ」


 父王が眼光鋭く、唸る様な低音でフランシスの言い訳を妨げた。


「その際に、お前はフローレスの娘に向かって二度と王宮に来るな、金輪際歌うな、といったそうだな?」


「そ、それは、あの、こ、言葉の綾でっ」


「王族ともあろう者が……言葉の綾でその暴言を吐き、本日の催しを中止にさせたのか!貴様は王族という立場を真に理解しているのかっ!能書きばかり垂れるのが貴様のいう王家の役目かっ!」


「ひっ!?」


 学院だったならば。せめて個人的な場所だったのなら、言い訳もできよう。低頭に愚息が申し訳なかったと、恥を忍んで謝ればなかったことにも出来たであろうが。


 父王の、見たことも聞いたこともないような火を吹くような本気の怒りに呑まれて、フランシスは震え上がった。なぜ兄や父王がこれ程までに激昂しているのか、全く理解できない。


「貴様がレニー嬢に婚約破棄を伝えたのは、何度目だ?」


「え…」


 父王の剣呑な質問に、フランシスはどんどん雲行きが怪しくなってきている事を察知して、言葉を呑んだ。ドキドキしながら、言葉の意味を考える。何度目?婚約破棄をしたのは、今回で何度目だったか。ほとんど毎日のように、今日こそ婚約破棄してやると思っているので口に出したのは何度目だったか数えたことはない。そして、その希望が通ったこともないため、どうせ言っても無理だと諦め半分、嫌がらせの様に意思表示をしているに過ぎなかった。


「中身のない頭で、覚えていないのなら教えてやろう。三度だ。過去二回は恥を忍んで俺自ら頭を下げ、取り下げてもらったが……今回ばかりは侯爵も怒り心頭で、怒鳴り込んで来たわ」


 フランシスは数回、瞬きをした。国王が、頭を下げて。侯爵の、赦しを得た?


「え?そ、それ、は」


 なぜ?なぜそこまでしなければならないのか。名門とはいえ、たかだか侯爵家。しかも国の要職には一切絡みのない家だと理解している。皆が皆、音楽家なのだ。確かにこの国は芸術に重きを置いているし、音楽祭や建国祭の催事に賓客や国民を楽しませるために必要とされてはいるが、それだけだろう?宮廷楽師にだって出来るような仕事じゃないか。


「貴様の空っぽの頭には何も入っていないのだな。くだらない毒婦に籠絡され、笑い者になっている事すら気づいていないと見える」


「な、く、くだらない毒婦、って」


 嘲る様な王の口調に、顔を真っ赤にしフランシスは顔を上げた。


「アマディリアはっ、」


 毒婦なんかじゃない!と言おうとしたが、兄が先にその口を封じた。


「あれは処刑されるんだよ、弟よ」


「!?……なんですって!?」


「役立たずとはいえ王家の者を手玉に取り、国威を下げ侮辱した罪、侯爵家令嬢に対して冤罪をかけ、その地位を貶めようとした罪、禁忌とされる魅了魔法を許可なく使い、また違法薬物を他国から持ち込んだ罪。近隣国で偽名を使い男を騙し金品を奪い、婚約詐欺で指名手配されていたことを秘匿し、逃げ帰って来ていた国際的犯罪者があの女の正体だ。伯爵家におけるその他諸々の犯罪の明確な証拠が掴めるまでと泳がせている間に、お前がその毒牙にかかったというわけだ、うつけが」


「はぁ!?」


 な、なんだ、その罪の多さは。それが、全部アマディリアがやったというのか。


「み、魅了…?」


 まさか、自分がこんなにもアマディリアを愛おしいと思うのは。


「はっ、残念だがお前に魅了魔法はかかってはおらん。薬物被害は多少あった様だが、お前に対しその必要性すら見出さなかったようだ。魅了魔法にかかっていれば少しは言い訳に使えたものを、そんな役にすら立たんとは」


 兄がせせら笑いこめかみを押さえたが、その顔には苦悩の影が落ちていた。


「……かわいい弟だと、これまで庇ってやったと言うのに。お前がこうなってしまったのは私たちの責任でもある。だから、公開処刑を受ける前に北の塔に入れてやると言っているんだ。理解しろ」


「こ、公開処刑って、たかだか婚約破棄ぐらいで!」


「……たかだか、婚約破棄ぐらいで、だと?お前は本当にあの侯爵家の恐ろしさを分かっていなかったんだな…。教えたつもりでいたのは、つもりに過ぎなかったのか。残念だ」


「貴様のような愚鈍の王子を産んだ責で、お前の母親も北の塔に収容が決まった。……まあ建前だがな」


「はぁ!?母上まで!?な、なんで!どうしてそんなことが許されるのですか!」


「貴様の頭に脳みそを詰め込まず、腹の中に残したからだろうよ」


 国王と王太子は、話は終わったとばかりに近衛騎士にアゴで合図をし、フランシスを連れ去る様命じた。


「父上!兄上!私はっ!私はただ…っ!」


 悲鳴を上げながら、フランシスは連れて行かれた。それが一番安全な道なのだと言わんばかりに。


「これで、侯爵家の溜飲は下がるでしょうか」


「わからん。何しろ三度目だ。過去の二回までは、納税額の減額と、俺が頭を下げることで呑んでもらったが。これでフランシスは終わった。王妃とは離縁する。その上で実家に帰らせようと思う」


「母上に責任を問われることはないように、ですか」


「…うむ。王妃も理解しておるだろう…。侯爵夫人に詰られ、髪が全て抜け落ちたらしい」


「そ、それは…。あの方に詰られたのなら離縁もやむを得ませんね。領地に引きこもりますか」


「……少なくとも熱りが冷めるまでは。お前は間違えるなよ」


「肝に銘じて」


「フランシスは当面、北の塔に入れ、例のアマディリア嬢も塔に連れていけ。その後でうまく二人を王族管轄の僻地で匿うことにしよう。王族の籍は抜き、幽閉ということになるが」


「……それで無事に済むでしょうか?アマディリアという女は相当やらかしていますし、見せしめのために処刑にしたほうがよろしいのでは?」


「シェイン伯にどう顔向けるというのだ?娘は殺すが商売は続けろとでも?伯爵の商売は国庫を潤しているのだ。今更なしにするわけにはいかん」


「ですが、それも麻薬や違法の……」


「はあ。まともな方法でこの小国が豊かになるとでも思っているのか?お前はフランシスの愛する女を奪えるのか?」


「それは…。ですが、フローレスの怒りを考えると」


「ふん。歌うだけの輩に何ができる?いくら怒ったところでせいぜい亡霊を動かして脅すだけのことだろう。よもや国を潰そうなどとは考えまい。あのフローレスの娘は惜しいが、フランシスには無理だろう。熱りが覚めたら第二王子でも向かわせるか。あれは武芸ばかりで女には疎いからな」


「……」


 王太子アドランは眉を顰めたものの、父王に逆らう事はせず沈黙を貫いた。





 この出来事の少し前。


 フランシスが婚約破棄を大音量で告げた直後、今夜のパーティのために準備をしていた王の前に、魔王よろしく黒雲を頭上に掲げ大噴火寸前の侯爵が謁見を望んできた。返事をするより前に部屋に入って来たのだが、その形相から国王も息を呑み、侯爵の顔色を伺った。

 

「我が家の歌姫である娘に、陛下の第三子であるフランシス殿下が何をしたかご存知か」


 国王は頭を抱えたくなった。またあいつか、と。自分によく似た可愛い末っ子だが、頻繁に問題を起こすためあちこちに頭を下げるのも面倒になってきた。


 乾いた唇を舐めながら、震える声で平静を装った王がいう。


 コロネル王は、下手に出るのが上手い。そのやり口で何度かフローレス侯爵をはじめとする貴族達を相手にしているため、手慣れたものだった。今回も気弱なふりをして喉元を過ごそうとしていた。


「す、すまぬが、今日はダンスホールで音楽祭前夜祭が開かれるはずだが、息子は、フランシスはレニー嬢をエスコートしてはいなかっただろうか」


「エスコート?ははっ。が最後に我が娘をエスコートしたのはいつでしたかな。私は覚えていませんが。本日も例によって例の如く迎えに来ませんでしたのでね。私どもと一緒に参上しました。娘も今夜の舞台の準備もありましたしね」


「お、おおぅ、それは…。誠に申し訳ない事をした。愚息に何か事情があったのやもしれぬから、急ぎ呼び寄せてみよう」


「いやいや、それには及びません。どうやら会場に勢いよく飛び出して行きましてね。拡声魔道具を使い、大声でこう叫びましたよ。『レニー・フローレスとの婚約をここに破棄する!』とね」


 国王は真っ青になった。


「そ、そそそそれは、まことか。誰か、誰かおらぬか。し、しし至急、確認を」


「いえ、私めが妻と一緒に扉の外で聞きましてな。ちょうど外務大臣と法務大臣も聞いていたところですよ。シガールームに行く途中でね。ああ、妻は怒りのあまりそのまま王妃殿下のところへ突入していきましたから、今頃あちらも事情を把握している事でしょうな」


「あ、あぁ……その。息子が、愚息が本当に申し訳ない、な、何度言い聞かせても理解せず、」


「ええ、ええ。これですでに三度目ですからね。いい加減、私どもも理解できましたとも。には記憶障害か何かあるのでしょう?そうでなければ説明もつかない。ですから、ご子息のおっしゃる通り、我が娘との婚約は破棄していただくという方向で参りましょう。私共といたしましても、これ以上娘の歌声に異変をきたすわけにもいきませんしねぇ?傷心の娘を慰める代わりに、明日にでも家族揃って国外へ慰安旅行にでも行こうかとも考えている訳でして」


「そっ、それだけはっ!頼む!愚息は北の塔に放り込み、二度と御令嬢の前には現れないと約束する!婚約も解消、いや白紙に戻そう!なんなら王太子の妃という立場を与えても問題ないっ!」


「いやいや、王太子殿下にはすでに婚約者殿がいらっしゃるではありませんか。それに歌姫と王太子妃というものは両立は難しいですからね。娘に無駄な心労もかけたくはありませんし?それについては辞退いたしますとも。それに、そろそろ各国からの要人も入国して来ますでしょう?ここで妃を挿げ替えるなどという内部の恥を晒すのはあまり賢い選択とは言えませんよね?

 ああ、それとなんでしたか、例の伯爵家の娘。あれを1年も遊ばせておくのも考えものだと思うんですが、まだ時間がかかるのですかね?その証拠を掴むというのに、1年近くかかってまだというのは国の暗部としてなんとも情報収集能力的に、いかがなものかと思いますがねぇ?必要でしたらこちらで集めた情報から公開処刑という形で、全ての悪事を披露させてもよろしいんですが?ああ、それに連なる半数ほどの貴族も芋づる式で上がってしまいますが」


「!?そっ、それについては、今っ」


「会談中のところ失礼します。本日付で、アマディリア・シェインは伯爵家から除籍され、平民として処刑されることが決定しました。すでに騎士が彼女の身は捕縛、現在平民用獄房に逗留されています」


 王が顔色をほとんど白に変えたところで、王太子であるアドランが慌てて入室した。


「アドラン!無礼だぞ!今、フローレス侯爵がっ」


 無礼だぞ、と声を上げた王ではあったが、王太子アドランの乱入によって即答を免れたとホッと冷や汗を拭った。


「申し訳ございません、陛下、フローレス侯爵。お声を聞き必要かと思い急遽参上しました」


「これは、王太子殿下。タイムリーな話題ですな」


 フローレス侯爵はことの真偽を図っているような視線で王太子を見遣り、口角をわずかに上げた。


「フローレス侯爵。私の弟であるフランシスが大変ご迷惑をおかけした事を、お詫び申し上げます。つきましては、婚約をこちら有責で解消とし、侯爵家並びにレニー嬢に対し、迷惑料としてフランシスの持つ領土の一部の譲渡、かの者の個人資産の全額を慰謝料としてお納めしたいと思います」


「ほう。それはまた……。してその領土の一部というのは?」


「はい。湖水地方の銀山とその麓を予定しておりますが、いかがでしょうか。勿論、納税責任もございません」


「なにっ!?」


 国王が目を剥いて声を上げたが、咄嗟に両手で口を塞ぎ咳で誤魔化した。それを横目にしながらも侯爵は微笑む。


「ああ、王国避暑地として有名なマッケラン地方ですね?なるほど…では婚約解消につきましてはそれで手を打ちましょう。それから、シェイン家及びアマディリア嬢に対しての処置に関しては、王家の手腕を拝見させてもらいますが……あまり甘い事をされるようでしたらこちらにも考えがあります。平和を乱すという者は、いつの世にもいるものです。対処は徹底的にされたほうが良い。持て余すようでしたら、我が家にお任せいただいてもよろしいのですよ?」


「わ、わかっておる!それについても二週間後の音楽祭までにはきれいに片付ける」


「……了解しました。では書類などはまた後日ということで」


「あ、ああ。こちらからすぐに連絡を入れよう」


 入って来た時とは打って変わってにこやかに退場した侯爵を見送り、国王と王太子はほぅっと緊張を緩めどかりと椅子に腰掛けた。


「忌々しいフローレスめが…。あの銀山は最近見つかったものだというのに」


「すでに手をつけていたら、差し出せませんでしたよ、父上。もともとフランシスにくれてやるものだったのですから、よしとしなければ」


 アドランは侯爵が出て行ったことを確認するかのように扉に視線を送り、それから苦笑した。それを見て国王も苦々しい顔を作り、天井を見上げた。


 10年ほど寿命が縮んだ思いだった。あの男が本気で怒るところは流石の国王も見たことはない。もちろんあれが本気で怒っていたのかどうかもわからないが。こうなっては致し方ない。もともと三男に侯爵家の一人娘を手懐けるなど無理難題だったのに、夢を見てしまった。


「アドラン。作戦会議をする。おい、誰かフランシスを連れてきてくれ」


 気配を消して壁際に立っていた騎士が深々と頭を下げ、部屋を出た。








 その昔、魔族との全土世界大戦で指揮を握っていたのはフローレス国家だった。土地柄なのか、賢人や聖女、剣聖や大魔道士が次々と現れ、魔力も並外れた強者どもが勢揃いした最強国家であり当時の大陸で最も恐れられた国家でもあった。


 世界大戦は、魔王が誕生したことにより魔素が溢れ全土を焦土にし、人々は苦境に追い込まれたが最終的にフローレス国の強者が魔王を討ち取り終戦へと持ち込んだ。


 その際に魔族の王女が人質としてフローレス家へ嫁いできた。『暁の姫』と呼ばれたその王女は穏やかな性質を持ち、人間に害をなさない事を約束し、魔力を全てフローレスに明け渡したのだ。


 魔族の肉体は滅びても、その魂は生まれ変わることがない。肉体が滅びた場所で永遠に漂うことになるという。王女の明け渡した魔力は、そんな滅びていった魔族たちが再び沸き立つことのないように、鎮魂歌として捧げられるようになった。元より声に魔力を乗せることがうまかったフローレス国王は、戦い死んでいった仲間や魔族たちに歌を捧げ納める事を約束し、その約束が違われない限り、魔族たちは人間の世界に介入しないという契りを結んだのだ。


 暁の姫とフローレス王との間にできた子供たちは皆、暁の姫の魔力を受け取り『死者の番人』としてこの世界の位置付けをした。そうした歴史から、フローレス国家は国を解体。フローレス家の血を持つ者は、世界各国へと散らばった。それぞれの国にフローレスの名を持つ貴族が今もなお存在し、世界の均衡を保っている。


 これが王侯貴族たちに知らされている大陸の歴史だ。


 それぞれの国家はフローレスの歴史について学び、それを庇護する義務がある。もしもフローレスを蔑ろにした場合、その地は約束を違えたとして魔族の呪いを受ける。つまり鎮魂歌を捧げない国はフローレスの守護をなくし、滅びの道へ歩むのだ。


 だからこそ、どの国もフローレス家を大切にしてきたし、フローレス家も今に至るまで聖女となり、賢者となり、音楽家となり魔力を乗せた歌を歌い続けていた。


 世界均衡の鍵をフローレス家がにぎっていることは、王族は皆知っていなければならないはずなのに、平和の中に身を置き歴史を忘れ、己の地位に自惚れ傲り破滅するものは一定数存在する。


 フローレス家が国に依存せず、王家に血を入れることがないのはそういったことがあるためである。要職には関わらず独自の能力を使い国に貢献し、その地位を保つ。もし王家がその道を踏み外せば、静かに制裁は加えられる。その結果、すでに滅亡した国家も大陸にはある。


 今王家であるコロネルは国家滅亡を避けるため、手っ取り早く人質としてレニーを王家に引き入れようとした。子供ならば扱いやすいと踏んだのかもしれない。レニーよりも八つ年上のアドランは婚約者がすでにいたため、長男アドランを除く二人の王子のどちらと婚約してもおかしくなかったが、年が近く幼少時から夢みがちで怠け癖のある第三王子を押し付けた。


 可愛がり甘やかし、レニーに手綱を握らせようとしたのだろう。それが悪手だと気づいた時にはすでに遅く。


 何度尻拭いをしても、フランシスは変わらなかった。反省もしなければ、感謝もなく。婚約して10年、レニーを大切にすることも無かった。


 レニーとしては、このまま婚約を破棄して放っておいても全く問題はなかった。面倒ごとを押し付けられ、嫌味を言われ、嫌われてまでもそばにいたいと思える人物ではなかったし、今の国王も、姑息で王としての威厳がなく、頭を下げれば許してもらえると思っているのが見え見えの態度も気に入らなかったし、王太子は人が良いと言えば聞こえはいいが、優柔不断で流される人物だった。第二王子は、武芸にのめり込み英雄や勇者に憧れる。フローレスをなぜか目の敵にし、兄クロヴィスにライバル心を燃やし続けているらしい。王妃は王妃でわがままで気位が高く、それでいて責任は持たない。フランシスと瓜二つと言っても過言ではない性格の持ち主である。


 誰一人として王族としての正義を持たず、ゴミを押し付けたこの国に愛国心とやらも失われて久しい。


 国王は気がついていないようだが、不正や腐りきった貴族との癒着も甚だしく、侯爵や兄が遠回しに粛清するぞと脅してみても何ら変わることがなかった。


 暁の姫の魔力を多大に受け継いだレニーは、暁の姫に生写しのようによく似ていた。この時代に写真があれば、或いは姿絵があれば誰もが認めただろう。カナリア色の髪が燃えるような金赤色であったならば。その黄金の瞳が血のように赤い瞳だったなら。そして歴史をきっちり学んでいれば。レニーを疎かになどしなかったはずだ。


 レニーが生まれた時からその胸のうちに秘めている感情は、はるか昔の深い悲しみと憎しみ。同胞を恋い慕い、手に出来ない過去の憧憬への想いだ。その感情を歌に乗せることでなんとか生きてきた。魔力が暴発してしまわないように、感情を揺り動かさないようにどれほどの訓練をしてきたことか。


 王族は知らない。レニーの中で燻る激情と憎悪が、自分達に向き始めていることを。フランシスの毎回のレニーに対する態度と暴言が、黒い感情が、その昔愛する魔王を殺され、愛しい同胞と婚約者だったアモーデンを小賢しい人間によって闇に葬られた仕打ちと重なり、火花が打ち付けられていることを。


 それをいち早く感じ取ったのは、英雄の初代フローレスの力を色濃く受け継ぐ兄、クロヴィス。同年である王太子アドランに忠告を再三したにも関わらず、のらりくらりとかわされた。かわいい妹を小馬鹿にされ足蹴にされ、利用された苛立ちと怒りが、彼にもまた黒い影を落とした。侯爵夫妻もまた然り。


 10年、我慢はした。だがそれも限界だ。


 それならば、見せてやろう。かの歴史が今もなお燃え続け、この血の中に生きていることを。今更慌てても遅いのだ。その目に焼き付け、心に刻むがいい。暁の姫の悲しみを。魔族達の無念を。全国に広がるであろう国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレでの阿鼻叫喚を。


 兄クロヴィスは、フローレス家に伝わる遠隔意識操作を使い、全国に散らばるフローレスに呼びかけた。久々にここに集い、本当の悲劇の歴史フェスタヴァーレを見せてやろうではないかと。


「二週間後が楽しみだ」


 夕焼けに染まる王城の屋根を遠くに見ながらクロヴィスとレニーは、笑みを深めた。






 怒涛の二週間が過ぎた。


 世間には、フランシスと王妃が感染症に罹り隔離されレニー・フローレス侯爵令嬢との婚約は恙無く解消されたと発表された。


 当然、貴族達はその内情を知っている。そんな彼らも何が起こるかわからない国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレを戦々恐々として待っていた。歌姫が学院でも王宮でも歌わなくなり、フローレス家が静まりかえっているせいもある。


 例の婚約破棄のパーティから数日は躍起になった令息達が婚約の申し込みをしたが、侯爵からは「レニーは傷心のため、現在婚約は考えていない」とはっきり声明し、釣書は送り返された。


 アマディリア嬢は、あれ以来どこにも姿を現しておらず、内密に処刑されたのではないかとも噂されているが、シェイン伯爵家は貝のように口を閉ざしてひっそりとしている。続々と集まってくる他国の王侯貴族達も国内のおかしな空気を読んでいるのか、あまり外に出て来ず、王宮内はまるで喪中のように静まり返っていた。当然他国の王族は不満の声をあげるものの、王宮の中でのパーティに全国のフローレス家が不参加となり、その不満は頂点に達した。


 コロネル王家も今回ばかりは焦ったようだ。


 フローレス家に伝令を送り、フランシスの雑言を取り消し、赦しを乞うた。だがフローレスは沈黙し、野外音楽堂での国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレは計画通り行うとだけ言って伝令を送り返した。


 こうなっては他の貴族達も訝しみ、フローレス家が国を捨てるのではないかと噂が広まった。いよいよ、ただ事ではないと国を捨て、隣国へと移住、亡命の申し立てが増える中、国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレが始まってしまった。


 会場は王宮が見下ろせる小高い丘の上にある野外音楽会場。新月の夜だった。ぼんやりと光る魔石が周囲に設置され、王都の中央公園から続く石畳の道は人々で埋め尽くされた。毎年開催される国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレは、近隣十五カ国が参加し毎年開催地を変える。


 今年はレニーの国際的デビューの年で、コロネルの国で開催されることが決まっていた。16歳のレニーは今日まで魔力を乗せて歌ったことはなかった。有り余るほどの魔力量はコントロールが難しく、血が滲むような訓練を続けていたからだ。世界に散らばるフローレスの聖女や魔導士からも助言を受け、家族で訓練をし続けた。それが今夜解放される。


 暁の姫の血がざわざわと湧き上がり、歓喜に咽びそうになるのを堪え、舞台へ上がる。周囲を見渡すと、各地に散らばっていたフローレス家の面々が確認される。年老いた聖女、精悍な魔導士、まだ幼い剣聖…。皆がレニーを見つめていた。


 光の魔石によって浮かび上がるレニーは、真っ赤なドレスに黒の刺繍が施され、まるで魔族が蘇ったかのような風貌をしていた。常にカナリアのような涼やかで春の風のような声で歌うレニーとは違い、どこか禍々しい。国民は皆困惑した。


「その昔、戦いに敗れ無念の死を遂げた魔族と、愛する人々を守り散っていった戦士達の魂もきっと今宵こそは、と喜んでいることでしょう」


 そうして始まったピアノ演奏は、軽快な音を奏でていく。初めて聞く人も何度か聞いたことのある人もリズムを取って聞き入っていくが、次第にその音にバイオリンが入り、チェロが入り、ハープが奏でられていき。


 レニーの声が、観客を引き込んでいく。


 意気揚々と戦地に向かう人間達。進む先には魔国がある。魔境で怪我をした狩人を魔族が助けたことから諍いが広がっていく。豊かな魔境の資源を奪うため、謀ったのだ。それに気がついたフローレスが間に入り抑えようとするが、欲に目が眩んだ人間はフローレス国が魔族と交わっていると嘯き、諍いは次第に全国へと広がっていった。


「歴史と違う」と誰かが呟く。


 レニーの声は抑揚をつけて戦場へと全ての人々を誘う。各国の王族達は狼狽え、コロネルの王に苦い視線を向けた。やめさせるべきだと王達が囁くが、フローレスは次々に楽奏に加わっていく。


 フローレスの血を継ぐ者たちは本当の歴史を知っている。どれほど人々が真実を偽ろうと、人間にとって都合の良い方へ歴史を歪ませようとフローレスは毎年鎮魂歌を歌い、その血が、魔力が、真実を伝えてきた。


 レニーの魔力が歌に乗り、人間どもに殺された魔族の無念、理不尽な殺戮と領土を賭けた戦いがまざまざと人々の目に映る。悲鳴をあげ、顔を隠し、泣き叫ぶ人々と共に、すでに眠りについていたであろう死者たちが土を掘り起こし、地上へと湧き上がる。


『我らの誇りは失われぬ。その血が絶えるまで我らは抗おうぞ』


 魔族を救うために立ち上がった魔王と、その娘が仲間のために奮起する。その時の英雄フローレス国王が仲裁に入るも、反乱は止まらず。その光景が誰の目にも明らかに映し出され観衆は声を殺した。


 暁の姫と謳われたレニリアスとその恋人アモーデンの僅かな逢瀬。永遠の愛を誓い合う二人を切り裂き、そこに無情にも割り入る人の兵士達。二人は引き裂かれ、レニリアスの目の前でアモーデンは朽ち果てる。


『愛するレニー。どうか、私を忘れないでおくれ。その命が終わる時、せめて愛は共に胸に』


 アモーデンが消えた後に残されたレニリアスは囚われの姫となり、その身を盾に父・魔王までもが討たれてしまった。レニリアスの悲しみは大地を潤し、その叫びは死者の弔いに変わる。哀れに思った英雄フローレス王はレニリアスを助けだし、密かに人として生きるよう説得した。


『あなたが生き延びる事でいつの日か魔族がまた復活し、その指針となるように』


 人間に復讐を誓ったレニリアスはその魔力をフローレスの王に捧げ死に絶えた。


『いつの日か愚かな人間がフローレスを裏切った時、今度こそ我が魔力は解き放たれるでしょう』と言い残し。



 しん、と静まり返った観衆はその光景の残像に涙した。まるでその場で見ていたかのような感覚は歌に乗せた記憶の魔術。


 悲しげなバイオリンの音にコミカルなピアノの音が入り混じっていく。今度は何かと訝しんでいると、そこに現れたのはレニーとフランシスの姿。


 フランシスの慇懃な態度と、王族のフランシスかわいさのための曖昧な態度が歌になって現れた。


 王が画策して幼いレニーを王家に取り込もうと王命を出している場面、兄クロヴィスの何度となく告げられる忠告を無視し、軽んじた態度をとっている王太子。ペコペコと頭を下げながら二枚舌を出す国王に、癇癪持ちの王妃がレニーに嫌味をいう場面。娘を虐げられて怒りを露にする侯爵夫妻と、逃げ惑う国王夫妻のコメディックな楽奏が繰り広げられ。


 最後には婚約破棄をダンスフロアで行い、それを誤魔化すために北の塔へ送ると侯爵に言った後の王と王太子の会話が次第にシリアスな音楽へと導かれていく。


 アマディリアは公開処刑にするとフローレス侯爵に告げたのにも関わらず、フランシスと共に逃がし、王家の所有地で隠れ住んでいる事。王妃とは離縁をし実家へ帰したこと。


 散々な違法を犯していたシェイン伯爵は、沈黙を守りアマディリアを追放することで軽い処分で済ませられたこと。


「な、なぜ、そんな…っ、バカなっ!?」


 全て秘密裏に行っていた事なのだろう。なぜバレた、と言わんばかりに国王は真っ青になり、王太子は慌てふためき腰を抜かしてしまった。


「世界に広がった我が同胞は裏切りを許さない!さあ贄は揃った。今宵こそ!我が同胞の嘆きを歌に乗せ、慰めて見せようぞ!」


 レニーの、いや、暁の姫レニリアスの魔力は嵐のように渦巻き、死者を蘇らせた。朽ちたはずの魔族の魂は揺り起こされ、フローレスを裏切った人間に向かって襲いかかった。恐れをなした人々は逃げ惑い、恐慌は飛び火する。


 地獄絵図そのものだった。


 阿鼻叫喚となった会場には各国のフローレスが集い、それぞれが楽器を奏で祈りを捧げ鎮魂歌を歌う。他国から来ていた王侯貴族は、固まり息を呑み、恐怖に顔を引き攣らせその様子をただ黙って見ていた。


「これがフローレスの力…」


「呪いではないか…」


 これまでに何度も音楽祭に参加している者も、こんな経験は一度もなかった。過去、失われた国で音楽祭に参加していた者はその恐怖から、二度と出席をしていないというのもあったが、今となっては遥か昔、老人達の曾祖父母の時代の話だ。若い世代の人々にとって、この光景は恐怖として目に焼き付いた。フローレスに手を出すなという忠告をきっちり守っていた国は、これを機にますます心に刻んだろう。


 亡霊の怨念は、関係者たちのみを襲い、関係のない人間には手を出さなかったが、パニックになった民衆の中には怪我をするものが多数出た。幸い死者は出なかったようだが、てんてこ舞いの騒ぎになった。


 翌日フローレスをコケにした面々は皆、ミイラのように痩せこけ、正気を失っていた。コロネル王家はもはや役に立たず、すぐに代わりの王が挙げられ、他国の王たちからも平和的に認められた。強力な力を持つフローレスのいる国なぞ、どの国の王族も関わり合いになりたくなかったせいでもある。下手に怒らせては明日は我が身だ。


 だがその数日後、フランシスとアマディリアは無傷で生きたままで見つかった。辺境に我慢ならず、抜け出そうとしていたところで突然誰もいなくなった隠れ家から訝しみながらも、王都に帰還したのだ。


 それを知った民衆の怒りは当然二人に向いた。関係のない我々がお前たちのせいで怖い目にあったと二人を磔にし、公開処刑を行った。石を投げ三日間野ざらしにし、野鳥や虫に襲われるがままにし、息も絶え絶えのところを火をつけたのだ。図らずとも公開処刑となった。


 シェイン伯爵の悪事もそれに連なる貴族や利益を得ていた悪徳商人達も民衆の知るところとなり、恐怖のおさまらない民衆が怒涛の如く押しかけ屋敷にある物全てを略奪し、ぶち壊し、全てを瓦礫に変えた。這々の体で逃げ出した商人達は無一文になって慌てて国を出て行ったが、受け入れ先があるかはわからない。シェイン伯爵をはじめとする貴族達も姿を消し、行方不明になっていたが生きていたとしても、ろくな目にはあっていないだろう。


 騒ぎは数週間続き、ある日突然終決した。憑き物が落ちたかのように、皆が皆平静に戻り、まるで何事もなかったかのように日常が戻ってきた。それに対して、国はもとより残された貴族達も何も言わなかった。国を立て直すことが先決だったのだ。




「人間って、怖いわね」


 数ヶ月たち、国際歌劇音楽祭フェスタヴァーレの痛手も収まった頃レニーは丘の上にいた。この丘こそ、愛しいアモーデンが討たれた場所。レニーが最も心落ち着く場所であり、想いに浸れる場所であった。


「何処の世にも愚か者はいるものだよ」


 隣でバイオリンを奏でていたクロヴィスが手を休めてレニーを見た。


「兄様。……いえ、父様。いつか私たち魔族はまた国を作ることができるでしょうか」


 レニーはクロヴィスには顔を向けず、王城を見下ろしたまま。


「さて、どうかな。このまま人間として生を繋いでもいいと俺は思うけど。魔族は生まれ変われないが、魔力は譲渡できる。その力さえ失わなければ、魔族も人間もそう変わりはないだろう」


「わたくし、アモーデンに会いたいわ」


「またきっと会えるさ。あいつの魔力もきっと誰かと共に生きてるに違いない」


「そうね…。いつかきっと、会いに来てくれるわよね」



 サワサワとそよぐ風は、ひんやりとした冷気を含みつつある。


 秋が終わり、そろそろ冬になる。その冬、レニーの噂を聞きつけたフローレスの遠い血筋の若者がやってきて、レニーと恋に落ちるのはもう少し先の話だ。


完 







 

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カナリア姫の婚約破棄 里見 知美 @Maocat

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