おばあちゃん、計測。

「あぁぁぁあ目が痛い!」

積み重なる書類にロイは眉間を摘んだ。

複数のハーブが調合された目薬をさし、机上の書類に目を落とす。

「えぇっと、一昨日の転生者は…ハズレ能力と言われた植物を育てる力で農業に従事、異世界スローライフ始めます」

眉間にぎゅっと皺を刻む。

「昨日の転生者は…趣味の裁縫をしていたら辺境伯爵に気に入られました。異世界甘々生活始めます」

皺はぐっと深くなる。

「今朝の転生者は…社畜の俺がチート能力者!?ネットの力で一攫千金、人生やり直しの薔薇色生活始めま…」

ロイは書類を放り投げた。

「働けぇーーー!!!魔王を倒せーーーーー!!!」

散らばる書類に指を突きつける。

「異世界転生者には助成金出してるだろうが!社会保険料も納めない転生者どもが!せめて働け!魔物を倒せ!魔王を倒して世界を救え!!何がスロー甘々薔薇色生活じゃーーーーー!!!」

「あの…」

木の扉を開き、少年が顔を覗かせていた。

「…こんにちは」

「はい、あなたは何?」

「…え?」

戸惑う少年にロイは眉毛を引き上げる。

「女神に呼ばれた、光る鳥居を通った、車に撥ねられた、どれ?」

「あ、えっと…車に撥ねられて…」

「あぁはいはいそのパターンね。そしたらそこの水晶玉に手翳して」

顎を動かすロイに、少年は部屋の隅に置かれた水晶玉を指差した。

「これのことですか?」

「それ以外にあるか?さっさとしろこちとら仕事溜まってんだから」

「あ、はい。すみません。あの…これって、ここに来た人みんな触るんですか?」

「そうだ、転生者の適性を測って、向いてる異世界に案内するのがウチの役割だから」

「そうなんですか」

「異世界転生ものって大体王国とかダンジョンとか街から始まるけどよ、あれはウチみたいな案内所で適性測った上で、どんな世界だったらそいつが上手くやれるか考慮して案内されてるわけ。転生したのに1ページ目からはい死にましたじゃ多方面からクレームがくるからな」

「クレーム…ですか」

「そう、昨今いろんな奴が異世界転生しに来るんだけど、大体が現実世界で上手くやれなかった奴らなわけ。それが異世界に来てまで上手くやれなかったら救いがないだろってことで案内所が作られたのさ」

「はぁ…」

惚ける少年にロイは頬杖をつく。

「でもこの仕事マジでキッツイの。転生者は無茶苦茶な要求ばっかだし、転生先でちょっとでも上手くいかないと案内所のせいにしてくるし、クレーム入ると案内所の評判が落ちて給料下がるわ上司から文句の雨霰ってわけ。おかげでどこの案内所も人手不足で休み無し。こっちが異世界転生したいってもんよ」

「はぁ…」

まばたきを繰り返す少年にロイは息を吐いた。

「とにかくその水晶玉触って。話はそれから」

「わ、わかりました」

少年は振り返り、扉を出た。

「おばあちゃん、なんか水晶玉触るんだって」

「あらそうねぇ」

戻ってきた少年は老婆の手を引いていた。

「え…あんたも異世界転生者?」

「いせ…なんだい?」

「異世界転生だよ、おばあちゃん」

「あぁ、伊勢は海鮮が美味しかもんねぇ。おばあちゃん初めて伊勢海老食べた時腰抜かしたばい」

「そうだよね。伊勢海老美味しいもんねぇ」

穏やかにほほ笑む老婆と少年にロイは手を伸ばした。

「いや異世界転生の説明したれよ」

「おばあちゃん、ここに来た人は水晶玉を触るんだって」

「あらそうね。ほいだら早速失礼しようかね」

老婆が水晶玉に手をかざすと、壁に文字が浮かび上がった。

「えぇっと…」

ロイは文字に目を凝らす。

「武力は2、ゴミだね。知力は100、まぁまぁか。愛は無量…むりょう…た…?」

壁の文字にロイは勢いよく立ち上がった。

「ちょっと待てそんなの見たことないぞ…!」

水晶を撫でる老婆に視線を投げる。

「おい婆さん、ステータス開け!」

「すて…なんだい?」

「ステータスだよおばあちゃん」

背中に手をあてる少年に、老婆はこくりと頷いた。

「あぁ捨てた捨てた。今日は燃えるゴミの日やったけん捨てーたばい」

「あ、僕の部屋のゴミも捨ててくれてたよね。ありがとうおばあちゃん」

「いやステータスを呼び出せって!」

声を荒げるロイに少年は眉尻を下げて膝をおった。

「おばあちゃん、ステータスって言ってみて」

「すてーたす?」

「そうそう」

老婆の声に長方形の黒い板が浮かび上がった。

ロイは板をまじまじと見つめる。

「間違いない…武力2、知力100、愛が…無量大数だ」

りょうちゃん、これなんね」

「おばあちゃんの能力を見せてくれる画面だと思うよ」

「あらそうね」

首を捻るロイの横から老婆は長方形の板を見た。

「文字が小さかねぇ、おばあちゃん老眼鏡もってきとらんけん読めんかぁ」

「僕が読もうか」

「あぁありがとうねぇ菱ちゃん」

「えっとね、猪戸梅ししどうめ、レベル74、武力2、知力100、愛無量大数、特技が…えっとなんて読むのかな…そぼりょういき?」

「ばぁばフィールドだ」

「え?」

「その婆さんの特技は祖母領域と書いてばぁばフィールド」

眉根を寄せるロイに老婆は首を傾げた。

「ばぁばフィールド?」

老婆がそう呟くと、辺り一面に梅紋の風呂敷が広がった。

「しまっ…」

ロイの目に、夕暮れの台所に立つ老婆の姿が映った。


「お待たせ、出来たばい」

いつの間にか飯台に座っていたロイの前に、ご飯と漬物と豚汁が並んでいた。

「いただきます」

ロイは手を合わせて豚汁を啜る。

「あぁ…あったまるなぁ。おばあちゃんの豚汁は最高だ…」

「そうかい、嬉しかねぇ。おかわりあるけん、もりもり食べんしゃい」

「うん…」

ロイは白米を頬張り、漬物を食べ、豚汁を啜る。

老婆は穏やかにほほ笑んでいた。

「あったかい…あったかいよおばあちゃん」

「あんさんは頑張り屋さんやけんねぇ、苦しか事があっても我慢してしまうし、無理しすぎとらんか、おばあちゃんいつも心配になるたい」

「うん…」

「ご飯食べとるかいな、お風呂しっかり浸かれとるんかな、友達と笑い合えとるかいなって、ついおせっかいば思うてしまうんよ」

「うん…」

「お仕事は変わってやられんけど、あったかいご飯とお風呂やったらいつでも用意しちゃるけん、たまには顔ばみせるとよ?」

「お、おばあちゃーーーーーん!!!」

ロイは涙を流し老婆にしがみついた。

「おばあちゃん俺頑張るよ!文句ばっかり言うんじゃなくて人から尊敬されるような自分になるよ!だからいつまでも元気で俺のこと見守っていてくれよぉぉぉおおおお!!!」


「あの…大丈夫ですか?」

少年に肩をトントンと叩かれ、ロイは目を見開いた。

「い、今のが…祖母領域ばぁばフィールド…愛で闘争心を無力化させる奥義…」

未だしがみついているロイに老婆は穏やかにほほ笑みかけた。

「…お、おばあちゃん」

ロイは慌てて手を離したが、ほほ笑む老婆に顔を赤らめた。

「あ、あのさ、おばあちゃんを異世界に案内するのが俺の仕事なんだけど、どんな所に行きたい?」

「伊勢やったらお参りばせなねいかんけど…そうやねぇ、おばあちゃんはおじいちゃんの所に帰りたかよ」

「え…」

「仏壇にあげよう思ってお饅頭買ったんよ。あら、そういえばあのお饅頭どこいったっちゃろか」

辺りを見回す老婆に、少年はロイを見つめた。

「あの…異世界転生しないで、自宅に帰るっていうのは可能ですか?」

ロイはぎゅっと眉根を寄せる。

「車に轢かれてここに来たって言ったな…」

「はい」

「このまま帰ったら多分…二人とも生きてはいない」

「えっ…」

目を見開く少年の手を、ロイが引いた。

「いいかよく聞け、最近は居着くケースばかりだが異世界転生の中には「目的を果たして家に帰る」というケースも存在する」

「目的を果たす、ですか」

「ああ。一番の王道は「魔王討伐」だ」

「魔王討伐?僕とおばあちゃんがですか?」

「ああ、他にも目的はあるがどれも複雑になりがちだ。自宅に帰るのが望みなら「魔王討伐」が一番いいと思う」

「でも…魔王討伐なんて…」

「いいか。おばあちゃんの能力は最強だ。無量大数…つまり際限ない愛で相手を包む。この力はそうそう抗えるもんじゃない」

「そうなんですか…?」

「あぁ。むしろ魔王討伐以外のルートに入ると、帰れる可能性は途端に低くなる。異世界スローライフなんか始まってみろ、永年移住間違いなしだ」

「ええっ…」

「なるべく死の概念が無さそうなポップな世界を案内する。俺だっておばあちゃんを死なせたくないからな」

「あ、ありがとうございます」

ロイは机に戻り、書類に羽ペンを走らせた。

壁に扉が浮かび上がる。

「その扉の先が一番いいと思う。行け」

「ありがとうございます」

「あぁ、おばあちゃんをしっかり守れよ」

「はい。あなたもお元気で」

頭を下げて老婆と連れ立っていった少年に、ロイはパッと口を開いた。

「あ、そういえば…あいつの能力測るの忘れたな」

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