第8話 ヒナエさんが来た

「こんにちは」


 とヒナエさんは笑う。


「あの……。僕に何か?」


「お礼をしに来たの」


「お礼?」


「君には命を救ってもらったもの」


 彼女もか。

 午前は王都の姫ラシュエザがそんなことを言いに来た。

 なんだか忙しい日だな。

 僕の家に2人も訪問者が来るなんて。


 彼女もラシュエザ同様、メテオナルドラゴンとの戦いで、僕が命を助けたんだ。


「これ……。食べて欲しいの」


 それはバスケットだった。

 中から甘い良い香りがする。

 蓋を開けるとリンゴの香りが鼻腔に広がった。


「おお……。アップルパイだ」


「私が作ったの」


 そういえば、彼女の趣味は料理で、アップルパイを作るのにハマっていると言っていたな。

 こういう時って、家に上がってもらって、お茶を出すのが持てなしの作法だったよな。

 よし。


「えーーと。汚い所だけど、良ければ入ってください」


「いいの?」


「うん」


 彼女は僕のボロ小屋に入った。

 その中は、昼間だというのに薄暗い。

 彼女の第一声が聞こえる。


「窓開けてもいい?」


「ええ、どうぞ」


 えーーと。

 結構、高級な茶っ葉があったんだ……。

 どこだったかな?


 お茶を入れ終わった頃には随分と明るい部屋になっていた。

 小さなテーブルは僕専用。


 そこに誰かが座るなんて、考えてもみなかったな

 椅子は彼女に座ってもらって、僕は壺の上にでも座るか。


 小さなテーブルの上にはアップルパイと紅茶が並ぶ。


「どうぞ」


「ありがとう」


 おお、なんだか、凄い光景だ。

 女の子を持てなしているぞ。

 僕の家で初めてのイベントだな。


「お邪魔じゃなかった?」


「え? ああ、大丈夫です」


 丁度、休憩がしたいところだったからな。

 タイミングはかなりいい。


「カウト君。1人で住んでいるの?」


「両親は僕が幼い頃に亡くなりました。リエルナ叔母さんが僕の保護者なんです」


「そうだったんだ」


 このアップルパイ美味いな!

 外側は香ばしくて、パリッとしてる。リンゴがジャム状になっててトロリと舌に絡みつくんだ。

 ほどよく甘いのは生地の砂糖を減らしているからだろう。リンゴと小麦の甘さが引き立つように計算しているんだな。

 仄かに香るメイプルシロップの香り。洋酒も入っているな。それがバターと混ざって、また一段と美味い。


「これ、相当、美味しいんだけど!」


「そう、良かった♡」


 こんなに美味いアップルパイは初めてだ。


「カウト君。ジルベスタル魔法学園に通っていたんだね」


 う!

 僕の経歴。

 

「なぜそれを?」


「書記官のリエルナさんに聞いたの。君の強さは異様だったからね。ギルド内でも噂になっていたしね。だから少しだけ、君の過去を調べさせてもらったのよ」


「は、ははは……」


 叔母さんめ。

 余計なことを。


「戦略学、魔法学、歴史学、全てトップの成績だったってね。みんなからは神童と呼ばれていたって」


「は、ははは……」


 僕は、自分のことを頭が良いなんて微塵も思ったことはなかったが、周囲はそんなことを言っていたような気がするな。


「ジルベスタル魔法学園といえばエリート学園よ。そんな所で神童と呼ばれるなんて、かなり凄いことよね」


「昔のことですよ」


「昔って……。去年の話じゃない」


「ははは……。まぁ、中退しているので、経歴にはならないんですけどね」


「どうして途中でやめちゃったの?」


「どうしてって……」


 ド平民が実力だけでエリート学園に入学したんだ。

 風当たりは強くなるさ。なにせ、周囲は高位な身分の人間ばかりなんだからな。

 加えて、僕はコミュ障だ。友達なんて1人もできなかった。

 成績はトップだったかもしれないけどね。クラスカーストは最下位なのさ。

 リア充どもがキラキラ輝いて見えたよ。

 そんな学園生活が楽しいはずもなく、たった1年で辞めてしまったんだ。


 それに、授業って意味がわからないだよな。

 勉強って、先生に教わる必要があるのか? 本を読んでいれば自ずとわかることを人から教授されるシステムが意味不明だよ。

 こんなことを言えば、変人扱いされるだろう。とても人に言える話じゃないよな。

 

「見解の相違というやつです」


「……ふーーん。そうなんだ」


「ははは……」


 彼女は部屋を見渡した。


「本、好きなんだね」


「え? ま、まぁ……」


「馬車の中で言ってたとおりね。一日中、本を読んで過ごしてるって」


「……僕の生き甲斐ですからね」


「凄い量……」


 本は高価な代物だからな。

 このボロ小屋に大量にあるのが珍しいのだろう。


「集めるのには時間がかかりましたね。まさに努力の結晶です」


「私は詩集が好きなんだけど。あるかしら?」


 趣味が違い過ぎる。

 そんなジャンルは読んだこともない。

 

「僕は冒険小説が好きなんです。ここにあるのもほとんどがそれですね」


「へぇ……。一度も読んだことないなぁ」


「それは人生の半分を損している」


「そんなに?」


「うん」


「じゃあ、その魅力を教えてくれる?」


 ほぉ。

 僕に冒険小説の魅力を語れと?

 いいだろう。

 君を虜にしてみせる。

 そうだな……。さっと簡単に、1、2分で簡潔に伝えるのがいいだろう。


「まずは人気作、【勇者と魔王の物語】から話しましょうか──」


 彼女は終始笑顔で聞いてくれた。





「勇者が大剣で魔王の首を斬る! その時に行間が2行空いているんだけどさ。つまり、その間に何かあったんだよね。その時、主人公の脳裏には数々の苦難が走馬灯のように駆け巡ったんだと思う。何も書かれていない行間にこそ、重要な物語が書かれているんだよ!」


 と、気がついた頃には部屋は真っ暗だった。


「ふふふ。凄い話ね。それでどうなったの?」


 と、彼女は笑顔である。


 いやいや。

 部屋が暗過ぎる。

 時計を見ると、夕方の6時を回っていた。


「5分くらいしか経ってないと思っていたけど……」


「ふふふ。楽しい話しってあっという間よね」


 彼女は欠伸一つせずに聞いてくれていたのか……。

 あんなにあったアップルパイはわずか1切れしか残っていない。

 僕はこんなにも夢中で……。


「えーーと。もう夕食ですよね。コロッケがあるけど食べますか?」


「ううん。ありがとう。お邪魔したら悪いからもう帰るわ」


「そうか……。親御さんが心配しますよね」


「明日も来てもいいかしら?」


「あ、明日も?」


「ええ。朝から良い?」


「あ、朝から??」


「そう」


「……べ、別にいいですけど」


「良かった♡ お昼ご飯を作っていくから一緒に食べましょうよ」


「え? あ、うん……」


「それじゃあ、おやすみ」


「……おやすみ」


 彼女は真っ白い馬に跨って帰って行った。


 明日も来るのか……。

 次は何を話そうか。


 ベッドに横たわり天井を見つめる。


 なんだろう、今は冒険小説を読む気分じゃない。

 

 鼻腔には彼女の残り香が広がった。

 ヒナエさんは良い匂いだ。


 不思議だ……。

 こんなに満たされた気分は初めてかもしれない。


 明日が楽しみだなぁ。

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