第26話 「ダーツで勝負?」
「いいアイデアだ。そうしよう」
意外や丹野は乗り気だ。三か月だけの居候に好き勝手に模様替えをされるくらいならクローゼットくらい提供してやるさ。ここは年上の余裕を見せてやるところだ。野田はそう自分に言い聞かせた。
「エロ雑誌とアコギは捨てていいけど、ソフトは隅に残しておいてくれよ」
「妥協する」
かぼちゃの含め煮は少々煮詰めすぎたようで、形が崩れかけていた。慎重に器に盛っているとハンバーグから煙が立ち始めた。焦げているのだ。
「おーい、ちょっと手伝ってくれ」
「なにを?」
クローゼットの中にいるらしく、くぐもった声が返ってきた。
「フライパンのハンバーグが焦げてる。火を止めるか、ひっくり返して……え?」
寝室から現れた姿に驚いて、鍋を落としそうになった。丹野は熊男に戻っていた。無精ひげに薄汚れた肌、ごわごわした髪、汚くてでかいコート。
「火を止めたぞ」
「なんだよ、その格好は」
「舞台化粧のメイクだ。つけヒゲにワックスにドーラン。傷に見せかける特殊メイクやかつらもある。目尻にしわを描き、血色を悪くしてみた。20歳は老けて見えるだろう。変装術は探偵の基本だ」
ぼくが用意しておいた皿にハンバーグを盛り付けながら丹野は自慢気に話す。
「変装はいいけどホームレスは目立つんじゃないか」
「素顔よりはマシだ。たいていの人間はホームレスを避ける。ホームレスと仕分けされてしまえば顔を覚えられない。侮る。必要に応じてホームレスに化けるのは有効だと気づいた。野田はもっとおれに助言をしてもいいぞ」
「たしかに誰が見ても、頭脳明晰な探偵だとは思わないだろうね」
「きみの分も買ってきた。茶髪のロングウィッグ、つけまつげとルージュ。あとで見せよう。ほかには……」
「バカなこと言ってないで、茶碗にメシをよそったり箸をそろえたり準備しろよ。食べさせないぞ。……食いながら少し話をしたいんだが、いいかい」
ハンバーグに付け合わせのポテトとニンジンのソテー、ほうれん草のお浸しとかぼちゃの煮物、蜆の味噌汁にご飯。デザートのフルーチェは冷蔵庫で冷やしてある。食卓を見回して野田はひとつ大きく頷いた。久しぶりの手料理としてはまあまあの出来ではないか。マイナス点は向かいに座っているホームレス姿の男。食欲を削ぐ。
「ナイフとフォークはないのか」
「ない」
「明日にでも買いそろえるか。ではいただきます」
「話ってのはそのことなんだが、あ、いただきます、きみはもう少し節約したほうがいいと思うんだ。今後のためにも」
「おれの計画が気に入らないようだな」
「きみの無計画は気に入らないね。それから、コートは脱いでくれ。せっかくの食事が残飯に見える」
「ではあとでダーツで勝負しよう。きみが勝てばきみの指示に従ってやる。負けたら女装してもらう。……ハンバーグ、美味いな……かぼちゃも甘くて柔らかい」
「ダーツで勝負? ほほう。きみが負けたらぼくの指示に従うだけじゃなくて女装もしてもらうぞ。それでいいならやってやろうじゃないか。このかぼちゃ、柔らかすぎないかな。もっとほくほくのほうが好みだ」
「挑戦は受けて立つ。蜆の味噌汁とご飯のおかわりはできるか?」
「自分でよそえ。ぼくはきみのママじゃない」
ホームレスと向かい合って食事をするのは思っていたよりは悪くない。
殺風景だったリビングの壁にダーツボードを設置する。こころなしか、しゃれた雰囲気になった。野田はふうむと唸る。
「ダーツ、得意なのか?」と問えば「やったことはない」と返ってくる。
これはチャンスだ。野田は内心でほくそ笑んだ。
野田はダーツバーが流行ったときに一時ハマって、しばらく通ったことがあった。女の子にモテるかも、と下心から始めたのだが、思いの外面白く、バーが経営難で閉店してしまうまではかなり腕を上げたものだ。
能ある鷹は爪を隠す。ダーツ童貞の振りしてぶっちぎってやろう。丹野の泣きっ面がみたい。
ダーツボードとの距離はルール上では240センチほど。リビングが狭いのでやや短くなる。板張りの床に養生テープを貼ってラインにした。
丹野はラインぎりぎりに立って身体を斜に構える。姿勢はいい。
「数字が、そのまま得点になるのか?」
「そうだね、きっと。真ん中はなんていったけ、ブルだっけ。そこは50点でどう? 外側の輪と内側の輪はダブルとトリプル。このボードはデジタルじゃないから、計算が必要だね。紙とペンを用意しよう」
「大丈夫、計算は得意だ。何本投げたら交代する?」
「そうだなあ。1ラウンドで3本づつ投げるのはどうかな。ラウンド数は……そうだな、8ラウンドの合計点が多い方が勝ち。どう?」
丹野は片方の眉を吊り上げてぼくを見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます