第4話 懇願


―――


 あの日から二週間。城田さんには会っていない。何だか会いたくなくて、試験があるからしばらく会えないと電話で言った。会わなくていいとホッとした反面、そんな嘘をついた自分が心底嫌になった。


「はぁ〜……」

 横になっていたソファーから体を起こす。少しだるいし頭も痛い。何だか吐き気もしてきた。

「やばいなぁ……」

 この症状には心当たりがあった。あの時と同じような症状だからだ。生徒達の事で悩んでいたあの頃の。


 ここ最近は何も食べてないし満足に眠れていない。自分でもわかるくらいにやつれていた。目の下の隈は隠しようがないほどだ。


「コーヒー……いや、水でも飲もう。」

 言う事を聞かない体に鞭打ってソファーから立ち上がる。キッチンに行ってコップを取り出すと水を入れた。


「うっ……!!」

 一口飲んだ瞬間、胃の中から何かがせり上がってくる。慌ててシンクに顔を突っ込んだ。

「ごほっ!はぁっ……ごほっ、ごほっ……!」

 何も食べていない胃からは何も出てこない。だけど止まらない吐き気と胃液の酸っぱさに涙が滲んだ。


「水も……ダメになったんだ……」

 最初はご飯の匂いがダメになって、それからは他の物も段々食べられなくなっていった。大丈夫だろうと思ったヨーグルト、プリン、ゼリーといった類もダメだった。そしてとうとう水までもがダメになってしまった。


「はぁ〜……」

 一息ついてシンクに寄りかかる。乱れた髪をかきあげながら呟いた。

「これは本当に、ヤバいかも……」

 あの時の比じゃない。体が生きる事を拒んでるみたいだ。僕は恐くなって自分で自分の体を抱きしめた。




―――


 ふと気づくと、僕は暗い闇の中にいた。暗すぎて立っているのか座っているのかわからない。僕は辺りを見回した。

 何も見えない。何も聞こえない。そして思い当たった。


 僕は一度ここに来た事がある、と。それはあの時。

 城田さんと出会う前に悩んでいたあの時だ。


「城田さん……」

 こんな時でも彼の名前を呼んでしまう自分が、酷く可笑しかった。

 彼の顔を思い出そうとするも必ずあの彼女の姿が隣に浮かぶ。僕はギュッと目を閉じた。


 僕はまだ迷っていた。迷って迷って、何でこんなに迷っているのかわからなくなるほど。

 選べない。関係を続けるのか、別れるのか。

 その挙げ句、僕の体は生きようとする事をやめた。


「もう、辛い……」

 優しい顔で笑う彼と嬉しそうな彼女の顔を最後に、僕の意識はブラックアウトした。




―――


「……ぃっ!……おいっ!」

「ん……」

 誰かが呼んでいる。僕を呼んでいる。段々と覚醒していく僕の意識は、声の主が誰かという事に気づいて固まった。


「……しろ、たさ……ん。」

「大丈夫か!?」

「……え?」

 すごく心配そうな彼の顔。こんな顔初めて見るなぁ、なんて場違いな事を思った。

 きょろきょろと辺りを見回す。城田さんが運んでくれたのか、ベッドに寝ていた。


「来てみたらキッチンで倒れてたんだ。何で言わない。」

「え……何でって……」

「お前また眠れてないんだろう?何も食べてないようだし……」

「…………」

「何かあったら俺に言えと言っただろう。お前の悪い癖だ。人に頼らないで自分で何とかしようとしていつもこうなる。」

「離して……」

 優しく僕の右手を掴んで脈を取ってる城田さんを振りほどいて体を起こそうとしたが、目眩がしてまたベッドに逆戻りした。


「寝てろ。これを飲んでまた一眠りすれば良くなる。」

 城田さんが薬の袋を取り出して僕に見せる。おそらく栄養剤的なものだろう。そんなので良くなるくらいならこんなに苦労しない。医者の癖に、カウンセラーの癖に何もわかっていないんだね、と心の中で城田さんを罵った。


「ねぇ……?」

「ん?どうした、何処か痛むか。」

 カバンをごそごそ漁っている城田さんに声をかけると、慌てた様子で僕を覗き込んできた。

 怠い体を無理矢理起こすと城田さんを真っ直ぐ見つめた。


「僕の事、好き?」

「……は?」

 予想外の事を聞かれたからだろう。今まで見た事のない間抜けな顔になっている彼に向かって精一杯の笑顔で微笑んだ。


「僕の事愛してる?」

「……じゃなきゃ、こんな関係になっていない。」


『こんな関係ってどんな関係?』

 そんな言葉が出てきそうになったがグッと堪えて、更に微笑みを深くした。


「本当?」

「あぁ。」

「じゃあ……」

 最後の力を振り絞ると、僕は彼に近づいてこう囁いた。


「僕を……捨てて?お願い……」

「……え?」


 大きく見開かれた彼の瞳には、怪しく笑う僕が映っていた。




―――


 貴方の愛が少しでもあるなら、その手で僕を壊して?

 いつか『さよなら』がくるのならせめて貴方の手で……


 貴方の瞳が一瞬でも僕を見てくれたなら、何も見なかったフリをして生きていけたのに。


 貴方の愛の行方が僕じゃない何処かにあるのなら、その手で僕を捨てて?

 いつか消えてしまう愛ならばいっその事貴方の手で……


『さよなら』が止められない運命ならば、僕の鼓動を止めて?

 いつか消えてしまう愛ならばせめて貴方の手で……



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