終結と再起

風叢 華月

最初で最後の物語

ギィィ……

 暗がりに閉ざされた小部屋にきしむ鉄のニオイが充満した。

「あら、お客様とは珍しい」

 椅子に座った少女は長い黒髪を揺らしながらこちらを向くと、そっと微笑んだ。

「おもてなししてあげたいのだけれど、生憎このざまなの」

 そう言うと少女は腕につながる鎖をジャラジャラと鳴らしながらケラケラと笑った。

「……出ろ」

 小部屋を開けた男は鋭い瞳をさらに細め、静かに口を開いた。

「つれないわね。まだ私には猶予があるのでしょう?」

「そんなものはない。さあ、行くぞ」

 男は少女に手を伸ばした。

「そんなことは無いはずだわ。隣の子や向かいの子、ここにいる子たちには泣き喚くような時間があったはずよ?私にその時間がないのは不公平ではないかしら」

 少女はおどけたような表情を見せた。

「なら、泣き喚けばいいじゃないか。そして俺は泣き喚くお前を無理やり連れていく。これで解決だろう?」

「あら、私は泣き喚くようなことはしないわ。ただその時間を使ってあなたとお話ししたいのよ」

「俺はお前と話すことなどない。たわごとを抜かすなら早く行くぞ」

 男の骨ばった腕は柔くか細い少女に繋がる鎖をむんずとつかんだ。

「いいじゃない。乙女の最後のお願いよ」

 少女はまたケラケラと笑った。

 男は少女を連れて行こうと腕に力を入れた。が、諦めたように少女の腕を離すと外套の中から使い古された懐中時計を取り出した。

「10分だ。10分だけお前の話を聞いてやる」

 そう言い、男は静かに歩を進めると懐中時計を再び懐にしまい、少女の隣に佇んだ。

「ありがとう。私はあなたに聞きたいことがあったの」

 少女はその顔に薄く笑みを浮かべるとおもむろに男を見上げた。

「あなた本当はこんなコトしたくはないんでしょう?」

 男は少し驚いた表情をしたが、押し黙った。

「あなたが黙ってしまってはつまらない。折角の時間が無駄になってしまうわ」

 少女は頬を含まらせるとちょっぴりすねたように顔をそらした。男は少女の不服そうな表情を確認すると、諦めたかのように口を開いた。

「お前には、関係ないだろ」

「そんなことは無いわ。そんな辛気臭い顔の男に首を落とされるのはまっぴらよ。もしキレイに斬れずに途中で刃が止まったら最悪でしょう?」

薄桃色の唇を釣り上げて楽しそうに笑みを浮かべる少女の姿に男は目を見開いた。

「お前は、死ぬのが怖くないのか?それに、お前は双眸共に盲目だったはずだ。どうして俺の表情がわかる」

「こんな場所に一人で何年収容されていたと思っているの?人が死ぬことには慣れたし、盲目でも雰囲気で大抵のことはわかるわ」

 少女がケラケラと笑うのに呼応して、両目を隠すように巻き付けられた布の結び目が静かに揺れた。

「そう…か」

「むしろこんな何もないところに閉じ込められてちゃみんなが連れていかれる悲鳴くらいしか娯楽がないわ。あれはあれでたくさんのバリエーションがあって面白かったわ」

男は笑う少女に呼応してジャラジャラと音を立てる鎖を一瞥した。

「…普通は、他人の悲鳴を聞いて、いつか来る自分の番を想像して恐ろしくなるものだと思うぞ。実際に、それで気が狂った人もたくさん見た。……強がっていたやつが、日に日に衰弱していく様子は、とても哀れだったよ」

「そうね。普通は死ぬなんて恐ろしいことだものね。でも私にとって死というのは全く恐ろしいものではないわ。むしろこんな退屈な人生からの解放といったところかしら。それに私は他人にみっともない姿を晒したくはないもの」

 少女は口の端を小さく釣り上げてニヤリと悪戯っぽい表情を浮かべた。男も少女につられたようにその顔に苦笑を浮かべた。

「…キミは、変なヤツだな。俺も……キミのように割り切れたら良かったのに」

 男が埃にまみれた床にへなへなと座り込むと、フワッと舞い上がる埃とともに無数の虫けらがカサカサと音を立てた。

「そうさ…キミの言う通りだ。俺だって本当はこんな仕事なんてしたくない。…最初は俺だって喜んださ。『俺は戦わなくて良い。誰にも殺されはしない。ここで時間をつぶすだけでこの無意味な戦争を楽に乗り切れる』ってな」

 男は口角を釣り上げた。そして、その大きな両手で恐る恐る自分の顔を覆い隠した。

「でも、そんなことは無かった。確かに俺は誰とも戦わなくて済むし誰にも殺されない。でもこの仕事は楽なんかじゃなかった。……何年前だろう。初めての俺の仕事は瘦せこけた女の首を落とすことだった。女は最初『アイツさえいなければ』なんて言っていたよ。でもいざ断頭台に登ると『助けて。死にたくない』なんて言い出した。でも俺はどうすることもできない。だから、この手に握った斧を振り下ろした」

 男は顔を覆っていた両手を離した。そして、その震える両手をじっと見つめた。

「するとどうだろう。今まで泣き喚いていた女の声は最初から無かったように消え失せた。だから俺は誰も殺してない。そう思った。思いたかったんだ。……でも無理だった。確かに俺は女を殺していた。その証拠に俺の手は女の血で塗れていたし、何より体を失った頭が俺をジッと見ていた。それから来る日も来る日も人の首を落とし続けた。泣き喚くヤツも居たし、俺に恨み言をいうヤツも居た。老人も居たし幼児だっていた。……俺は何年も何年も捕虜を、人を殺し続けてきたんだ」

 男は乱れた息を整えると、口元に笑みを浮かべる少女を見やった。男は少女から視線を逸らすとおもむろに口を開いた。

「やっぱり、こんな仕事をするくらいなら弾丸の飛び交う最前線で散っていったほうが良かった。そう心底思うよ」

 男は両腕を力なく下ろすと静かに俯いた。

「俺の…家族だってきっとそうだ。こんなところで無抵抗の人をただ殺すだけの仕事をするようなやつを誇ることなんてできないだろう」

 男はその両手を血がにじむほど強く握りしめた。

「あら、そんなことないと思うわよ?」

 唐突に口を開いた少女に男は思わず目を見遣った。心底不思議そうな表情を浮かべた少女は続けざまに言った。

「私はあなたの家族のことは知らないけれど、きっとあなたの家族はあなたのことを誇りに思っているわ」

 少女は先ほどまでとは違った、凛とした、大人びた表情を浮かべた。

「……どうしてそんなことが言えるんだ?」

「だってそうでしょう?そんなきつい仕事をあなたはこなしているのよ?それを逃げずに続けている。そんなあなたのことを家族が誇りに思わないのはおかしくはないかしら?私があなたの家族だったら、きっとあなたのことを誇りに思うわ」

 少女は椅子から踊るように立ち上がると男の前にしゃがみこんだ。そして、その細い小さな掌をそっと男の頭へと伸ばした。

「あなたはよく頑張っているじゃない。だからそんなに卑屈にならなくても良いんじゃないかしら?あなたはあなたにできることをしっかりと行っているじゃない。だから、自信を持ちなさい」

 呆然と自分を見つめる男を気にも留めず、少女は男の懐に手を伸ばした。

「ほら、この時計だってきっとご両親からの贈り物なのでしょう?」

 少女は時計に刻まれた大小さまざまな傷をスッとなでると、蓋を静かに開いた。

「やっぱりずいぶん古いものなのね、いろんな部分が緩くなっているしこんなに傷も多い。きっと親が使っていたものを譲り受けたのでしょう?……やっぱりあなたは大切にされているじゃない」

 少女は男に向かって顔を傾げながら、ふんわりと微笑みかけた。

「あり…がとう。……そんなことは初めて言われた。それに、少し気分も晴れた。礼を言う。……だが、どうしてキミは俺を励ますようなことをしたんだ?…俺は、今からキミを殺すことになるのに」

「あら?さっきも言ったじゃない。私は殺されるなら一思いに、一瞬の間に殺してほしいの。さすがに私も痛い思いをしながら死ぬのはお断りよ。辛気臭い顔をした人よりも少しでも清々しい顔をした人のほうが私の望み通りに、一瞬の内に殺してくれそうでしょう?」

 そう言うと少女はまたケラケラと笑った。

「そういえばそうだったな。すまない、野暮なことを聞いてしまったな」

 男はその顔に笑みを浮かべると、少女の髪をそっと撫でた。

「…キミに一つ聞いてみたいことがあるのだが、良いか?」

「良いけれど、いつまで私の頭を撫でるつもり?」

 少女は首を傾げ、男に少し怪訝そうな表情を見せた。

「すまない。思わず手を伸ばしてしまった。」

 男はパッと手を遠ざけると、ひどく申し訳なさそうな表情を見せた。

「別に気にはしてないわ。…それで?私に聞きたいことがあるのだっけ?」

 少女は怪訝そうな表情を潜めさせると、口元に薄く笑みを浮かべた。

「そうだ。どういう風にキミが育ったのかを聞いてみたくなった。どう育てられると、俺と違ってこんな強い子が育つのかを知りたくてな」

 男は口元をニヤリと釣り上げると、少女も同じように口元を釣り上げた。

「あなたがそんな表情を浮かべるのは予想してなかったわ。あと、私が強い子だなんて買いかぶりすぎよ」

 空虚な暗がりに、少女のケラケラという笑い声と鎖のジャラジャラという重苦しい音が響き渡った。

「それで、私がどういう育ち方をしたかだったかしら。面白くない上に、少し長くなるかもしれないけれど、それでも良いなら話してあげるわ」

 少女は少しつまらなそうな表情を浮かべた。

「俺は長くても平気だ。でもキミが話したくないというのなら無理強いはしない」

「別に話したくないというわけじゃないわ。ただ本当につまらない内容というだけよ。…どこから話そうかしら」

 少女は顎に手を添えると、軽く首を傾げた。

「そうね、私には父と母、二人の兄と一人の姉がいたの。これだけ聞くと少し人数が多いだけの普通の家族を想像するんじゃないかしら?でも、私は生まれつき盲目なの。だから家族からずっと疎まれて続けていたのよ。『お前なんて邪魔だ。さっさとくたばってしまえ』ってね」

 男は少し困ったような苦笑を浮かべる少女を見て、少し居心地の悪そうな、そして少し憤りの混じったような表情を浮かべた。

「ずうっと部屋の中に閉じ込められて、冷めた少しだけの食事を与えられ続けていたのよ。……でも一人だけ、上から二人目の兄だけはこんな私にかまってくれていたの。兄さんは私に本を読んでくれたり、自分が残した食べ物を分けてくれたりしたの。でも、兄さんもそんなことをしてたせいで家族から疎まれていたの。兄さんは父や母から『アイツにずっとかまうのならお前の扱いも改めることも考える』って言われ続けていた。それでも兄さんはずっと私を構い続けてくれたの」

「……それは、良い兄を持ったんだな」

 男は満面の笑みを浮かべる少女の顔を確認すると、少し落ち着いたような表情を浮かべた。

「本当に優しい兄だったわ。でも…」

 少女はそう言うと暗い表情を浮かべた。

「兄はこの戦争に徴兵されちゃったの。……兄さんが家を出る前日に兄さんは私の部屋を訪れたの。私は思わず兄さんに泣きついちゃったわ。『行かないで。兄さんに死んで欲しくない』ってね。そしたら兄さんは少し困った表情を見せたわ。それはそうよね、行かないわけにはいかないものね。でも、兄さんは私を強く抱きしめて言ってくれたの。『僕は絶対に帰ってくる。だから笑顔で送り出してほしい。……そして僕が帰ってきたときに同じように笑顔で迎えて欲しいな』ってね。だから私はぐしゃぐしゃの顔を無理やり笑顔にしたの。そして、『行ってらっしゃい。私は兄さんの帰りをずうっと待ってる。だから絶対に無事に帰ってきて』って言ったわ。……兄さんが戦地へ赴いた後、定期的に兄さんから手紙が届いたわ。兄さんは目の見えない私のために、現地で採取した花なんかを送ってくれた。私はそれを楽しみに兄さんの帰りを待っていた。でも兄さんの任期が近づいて帰還が間近になったとき、突然手紙が途絶えたの。しばらくして兄さんが帰還のために乗船していた船が敵船に沈められたと母から聞いた。その時母から『お前のようなゴミにかまっていた報いを受けてアイツは死んだんだ』と言われたわ」

 拳を強く握りしめた男の手からは一筋の紅血が流れ出ていた。

「私はそんな世迷言を語る母をひどく恨んだわ。同時に私の、この光を映さない双眸も恨んだ。『この瞳さえ機能したら、あの夜に二人で一緒に、どこか遠くへ逃げられたかもしれない』ってね」

「キミは悪くないじゃないか。そんなに自分を責めなくて良い。そう俺は思うぞ」

男は怒りを極力控えさせたような表情で言った。

「ありがとう。でもそれは無理な話ね。どうしても、もしかしたらっていう空想が頭から離れないのよ。二人で逃げるなんて世迷言だと、私も自覚しているわ」

 少女は少し寂しそうな苦笑を浮かべた少女の表情に、男は黙り込んだ。

「兄さんが死んでからしばらくして、敵は国の端にある私たちの街まで進行してきたわ。人々が逃げ惑う中、親は私に言ったわ『囮になれ』ってね。そう言うが早いかあっという間に私をロープで椅子に縛り付けたわ。そうして私を置いて残りの家族とともに逃げ出したわ」

「ひどい親だな。そんなクズが人の親だとは到底信じられん」

 男は顔を赤くするとそう言い捨てた。

「私も同感ね。その親に置いて行かれた私は、目論見通り敵兵に捕らえられたわ。私はそのまますぐにここに連れて来られたわ。その時私は家族に復讐するチャンスだと思ったの。私は兄に教えてもらった故郷の住民の逃げ先や立地なんかを全てここの兵士さんに教えた。するとすぐに所長室に連れて行かれたわ。そこで詳しく情報を渡した後に、何が目的か聞かれた。だから、家族の処刑の音を聞かせてほしいと頼んだの。所長は『もしお前の証言が本当ならば、お前の望みをかなえてやる』と言ってくれたわ。しばらくして私の町に住んでいた人がたくさん送り込まれてきたわ。もちろんその中には私の家族もいたわ。所長は本当に私の願いをかなえてくれたわ。家族の首が切られる時には、隣接した部屋でみっともない叫び声を堪能させてもらったわ。……まあ私の人生といえばこんなところかしら」

「そう…か。ありがとう、話してくれて。つらい経験も思い出させてしまったようで申し訳ない」

 男の顔から憤りはほとんど消えており、代わりに申し訳なさに覆われていた。

「大丈夫よ。そんなに気にしなくて良いわ」

 少女はケラケラと笑い、手に持った時計を男の懐に戻した。

「もう時間を過ぎちゃったわね。さあ行きましょう」

 少女はジャラジャラと音を立てながら男の手を取り立ち上がった。男は先ほどのように無邪気に笑う少女を見ると少し安心したように息を吹いた。

「そうだな。時間をとっくに過ぎてしまった。……俺としてはもう少し話していたかったが、しかたがないな。キミをお兄さんのもとまで送ってあげないとな」

 男は悪戯っぽい表情をニヤリと浮かべた。

「あらうれしいことを言ってくれるじゃない。それに良い表情になったわね。これで私に痛みを感じさせずに旅立たせてくれそうね。楽しみだわ」

 少女はまたケラケラと笑った。


二人は光の差し込む小部屋の外へと身を投じていった。

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終結と再起 風叢 華月 @kaduki-kazamura

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