人鬼大激闘
ついに、闘いの日を迎える。
山賊と村人の双方が広場に集合し、ガイとラーグのふたりを中心に輪を作り見守っていた。
ガイはやや緊張した面持ちで、ラーグの様子を窺う。一方、ラーグは自信たっぷりの表情で悠然とガイを見下ろしていた。両者の体格は大人と子供、いやゴリラと子供くらいの差がある。
ふたりを囲む山賊たちと村人たちの様子は対照的だ。山賊たちは縄で縛り上げた村の若い娘たちを後ろに控えさせ、村人たちを睨みつけている。
睨まれている村人たちは、完全に諦めきった表情だ。常識的に考えれば、勝ち目があるようには見えない。村人たちは葬式のような、暗い雰囲気に支配されている。
だが、違う雰囲気の者もいた。
「ガイ! 頑張るにゃ! そいつをぶっ飛ばすにゃ! 終わったら、チャムがなでなでしてあげるにゃ!」
チャムは異常なテンションで、ピョンピョン飛び跳ねながら叫んでいる。放っておいたら、闘いに加わりそうな勢いだ。タカシは相変わらず、ヘラヘラ笑いながらチャムの前にさりげなく立ち、乱入しないようにガードしている。このふたりは、ガイの勝利を信じて疑わないようだ。ギンジとカツミは輪の中に入り、レフェリーのような役割をするらしい。とは言っても、この闘いにルールなどあってなきが如しものなのである。
ヒロユキは、チャムのそばにいる。彼は不安な面持ちであった。ガイの強さは人間離れしている。一見すると細身ではあるが、その体に秘められたパワーは凄まじい。しかし、ラーグの強さは桁が違う。成長しきった熊を素手で引き裂く……それはもはや怪物だ。
と同時に、ラーグの心の中も考えてしまう。彼は叫んでいた、オレはオーガーじゃねえ! 人間だ! と。あの男は、自ら望んで怪物じみた肉体とパワーを得たわけではない。権力者たちのゲスな好奇心と、魔術師たちの狂った探究心によって生み出された存在なのだ。しかも、なまじ人間と同じ知能と価値観を持ってしまっている。ラーグは今まで、どんな気持ちで成長し生きてきたのだろうか、と考えると……底なしの闇を感じるのだ。自分の抱えていた闇など比較にならないほどの。
「じゃあ、いいな。何をやっても構わねえ。ただし、続行不能になったと判断した時点で止める。じゃあ……始め!」
オックスの声と同時に輪の中心に進み出て、睨み合うガイとラーグ──
先に攻撃を仕掛けたのはガイだ。左右に素早く動きながら、ラーグの太ももや膝へローキックを叩き込む。
だがラーグは気にも止めず、キャッチャーミットよりも巨大な手を振り回す。大振りの攻撃を、ガイは間一髪で躱していく。
次の瞬間、ラーグは突進した。二百キロを超える巨体が迫る。動きも、なかなかの速さだ。もし当たれば、ひとたまりもなく吹っ飛ばされてしまうだろう。まるで、サイの突進のようだ。
ガイは、ラーグの体当たりを地面を転がり逃れた。その額には、汗がにじんでいる。恐らく、捕まえられたら勝負は一瞬で終わるだろう。腕力の差は圧倒的だ。全身の骨を砕かれ、抵抗すら出来ずにあの世逝きだ。
ガイは、相手の圧倒的な強さをはっきりと理解した。同時に、自分が負けるかもしれない事実をも悟る。負けたら……目の前の怪物は素手で熊を引き裂くらしい。自分など、簡単に引き裂かれてしまうだろう。それは死を意味する。
同時に、ゾクゾクするような嬉しさをも感じていた。カツミの凄まじい強さを目の当たりにして、思わず突っかかっていった時の感覚が甦る。そう、自分はこんな闘いがしたかったのだ。今までのような、勝って当たり前の闘いではない。勝つか負けるかわからない。だからこそ必死になる。その必死になった時に生まれる快感……恐らく、普通の人間には生涯味わうことのない感覚であろう。しかし、ガイは今、紛れもなくその快感を味わっていたのだ。
ラーグは向きを変え、さらに突進してくる。ガイはまたしても、地面を転がり避けた。チャムが、何やら喚いているのが聞こえてきた。だが何を言っているのか、内容までは聞き取れない。今、ガイは全神経を勝負に集中させていた。必要ない情報は、感覚から全て遮断している。
こちらを睨むラーグは、少し息が荒くなっている。ガイはラーグの大きな攻撃を躱しつつ、チクチクと太ももや膝関節のあたりを蹴り続けている。ガイの蹴りは、常人が相手なら一撃で骨折されられる。しかし、ラーグの大木のような太さの脚には決定的なダメージたりえていないらしい。
だが、ここにきてラーグの動きは鈍くなっている。ガイの人間離れしたパワーから繰り出される蹴り……それを食らい続けているのだ。受けた蹴りの数は、ダース単位になるだろうか。さすがに効いてきたらしい。
ガイは、さらに蹴り続ける。素早い動きで、間合いを詰めてのローキック。直後、すぐに間合いを離す。
その時、ついにラーグがバランスを崩した。突然、地面に片膝を着いたのだ。チャンスとばかりに飛び込み、顔面を殴り付けた瞬間──
ラーグが、すぐに立ち上がる。そう、今の動きはフェイントだったのだ。ガイは罠にかかったことに気付き、とっさに飛び退こうとする。
だが遅かった。伸びてくる巨大な手に、頭ごと掴まれる。そのまま高々と持ち上げられる。
ラーグは、手に力をこめた──
恐らく一秒にも満たないであろう時間に、ガイの脳裏をよぎったものは……かつて見た、この世の地獄だった。
業火に呑み込まれた、自分の部屋。
視界を奪い、空気を奪う煙。
熱いというより……激痛を与える炎。
意識を失い倒れ、目の前で焼けていく父。
全身を焼かれながらも自分を守ろうとした、母の最期の言葉。
(ガイ、逃げて。あんたは生きなきゃダメ……生きるのよ!)
ざけんな!
オレの命は、てめえにくれてやるためのもんじゃねえんだ!
ラーグは掌に力を込めた。彼の握力は計測不能なパワーを秘めている。人の頭蓋骨を握り潰すことくらい、簡単なはずだった。
しかし、想定外の事態がラーグを襲った。掌に、凄まじい痛みが走る。激痛のあまり、ガイの頭を掴んでいた手を離した。掌を見ると、肉が欠けている。
一方のガイは、口から血と肉片を吐き出した。次の瞬間、獣のごとき速さで襲いかかる。
ガイは凄まじいスピードで腰に組み付き、一瞬にして背後に廻る。ラーグは、また掴もうとするが、ガイの速さに付いていけない。ガイはラーグの巨大な背中を一瞬にしてよじ登り、太い首に右腕を巻きつけた。
直後、一気に絞め上げる。バックチョークだ。がっちり極まれば、力ずくで外すことなど不可能なはずだった。
しかし、ラーグの強さは桁違いだった。意識が飛びそうになりながらも、左手を背後に伸ばしてガイの腕を掴む。そのまま強引に引き離したのだ。
対するガイの反応も、また人間離れしたものだった。バックチョークが外されたと見るや、瞬時に次の動きに移る……これは、もはや野獣の反応であった。首に巻きつけていた腕が外されたと見るや、ラーグの肘を両足で挟み、同時に彼の前腕を両手で掴んだ。
全身の力を解放し、肘関節を逆方向にねじ曲げる──
獣のごとき、ラーグの咆哮が響き渡った。ガイの腕ひしぎ十字固めが極まり、ラーグの左肘はへし折られたのだ。
一方のガイはすぐに飛び降り、追撃を開始する。ラーグの顔面……その眉間や鼻の辺りに、拳での連撃を見舞う──
「そこまで! オレたちの負けだ!」
言葉の直後に、オックスとカツミが割って入る。ラーグは左肘を破壊され、右の掌の肉を噛み切られ、さらに顔面の正中線上にガイのパンチをダース単位で食らった。だが、それでもまだ動けそうだ。なおかつ、戦意も失われていない。しかし、オックスが耳元で何やら囁き、どうにかなだめている。
一方のガイは擦り傷だらけだが、目立つ大きな外傷はない。ガイの完全勝利と言っていいだろう。
その時、どこからか石が飛んできた。しゃがみこんでいるラーグと、そばにいるオックスめがけての投石だ──
「さっさと失せろ! この化け物が!」
「奴隷のくせに調子乗りやがって!」
村人たちはラーグの敗北を見た瞬間、自分たちの勝利を確信した。だが同時に、それは強者と弱者が入れ換わったことも意味する。村人たちは、自分たちが強者の立場になったことを悟った。次に、暴力への衝動が生まれたのだ。さらに、集団であることが拍車をかける。
村人たちは、オックスとラーグに襲いかかっていこうとする。しかし、彼らの前に立ちはだかる者がいた。
「やめねえか!」
カツミが一喝した。彼はバトルアックスを右手に、日本刀を左手に持ち、オックスとラーグをかばうかのような形で仁王立ちしている。
「勝負はついた。これ以上の手出しは許さねえ」
そう言って、村人たちを睨みつける。ラーグほどではないが、彼も大抵の者を圧倒できる体格の持ち主である。さらに、普通の人間が両手で使うバトルアックスを片手で振り上げているのだ。暴徒化しそうだった村人たちすら、たじたじとなっている。
しかも、それだけではなかった。
「てめえら、いい加減にしろや!しょうもねえことすんな!」
たった今、凄まじい闘いぶりを見せたばかりのガイが怒鳴りつける。彼は、村人たちひとりひとりを睨みつけた。すると村人たちは、こそこそと目を逸らす。
ガイは舌打ちすると、次にオックスとラーグに目を向けた。
「とっとと失せろ。二度と面見せんな」
それから、一時間後──
「ガイ! すっごくカッコよかったにゃ! チャムは惚れ直したにゃ!」
森の中、チャムの声が響き渡る。チャムはさっきからずっとガイにまとわりつき、喉をゴロゴロさせながら顔をすりよせている。ガイは顔を真っ赤にしながらも、黙ってなすがままになっていた。
一方、他の四人はキャンプの準備だ。火を起こしたり、水を汲んで来たり、食材を切ったりしていた。
ガイとラーグの闘いが終わった後……山賊たちは傷ついたラーグを連れ、おとなしく引き上げて行った。一方の村人たちは、人質にされていた娘たちと再会でき、皆とても嬉しそうだ。感激のあまり、泣いている者も少なくない。
しかし村長のヨーゼフは一行に向かい、こう言ったのだ。
「あんたたち、すまんが出て行ってくれ」
村人たちは、山賊を庇ったギンジたちに対し、反感を抱いてしまったようなのだ。本来ならば、村を救ったのはギンジたちの働きだ。英雄のような扱いを受けてもいいはずである。
にもかかわらず、村人たちの態度は冷たい。山賊たちにとどめをささなかったことが、納得いかないらしい。
「あんたらには感謝している。さっきのわしらの行動も誉められたもんじゃない、それはわかっておる。だが、わしらの山賊から受けてきた仕打ち……それもまた、あんたらには分からんじゃろう。こんな物しか渡せんが、これを持って他所に行ってくれ」
そう言うと、ヨーゼフは僅かな量の金貨の入った袋を手渡した。
「ギンジさん、悪いのは誰なんですか?」
みんなで粗末な食事を摂っている時、ヒロユキが尋ねた。
「何がだ?」
「村人と山賊、どっちが悪いんですか?」
「オレに言えるのは、どっちも間違ってないが……どっちも正しくない。強いて言うなら、悪いのはこの世界のシステムそのものだ。それだけだよ」
ギンジはそう言うと、ヒロユキの顔を見つめる。食事に夢中なチャムを除くガイたち三人も、両者の会話に注目していた。
「いいかヒロユキ。青臭い言い方になるがな、悪人こそがどんな世界でも力を持っているんだ。善人なんて連中は、悪人から見れば、単なる食い物なんだよ。善人では悪人に勝てない。悪人に勝てるのは、それよりも強い悪人だけだ」
「そうですか。悲しい話ですね」
ギンジの言葉に、ヒロユキはうつむきながら答える。
「ギンジさんの言う通りだぜ、ヒロユキ。刑事なんてな、ヤクザと同じくらいタチ悪い連中ばかりだからな」
明るく笑いながら、ヒロユキの肩を叩くカツミ。つられて、みんなが笑う……しかし、ヒロユキの心は晴れなかった。
奴隷たちの悲惨な境遇。
オックスとラーグの存在。
村人たちの憎悪に満ちた顔。
ギンジは、どちらも正しくないと言った。その通りなのだろう。だが、どちらも幸せになれる方法はなかったのだろうか?
その時、想像もしなかった言葉が飛んできた──
「ヒロユキ、もしお前が善人と呼ばれる弱者を救いたいと願うなら……いっそ、お前が悪人になれ。それも、悪人の頂点に立つんだ。そこで得た力で、弱者を救ってやれ」
突然のギンジの言葉に、ヒロユキは呆気にとられる。
「な、何を……」
「ヒロユキ、お前には才能がある。オレが保証するよ。もし元の世界に戻れたら、オレと組もうぜ。オレと組めば、お前は裏の世界で頂点に立てる」
「ぼ、ぼくが?」
「ああ。だがな、お前だけじゃないぞ。ガイも、カツミも、タカシもだ」
そう言うと、ギンジはひとりひとりの目を見つめた。
「ここで会ったのも、何かの縁だ。オレたち五人が組めば、日本の裏社会の勢力図なんか一瞬で塗り替えられる。みんなで生き残り、元の世界に帰ろうぜ」
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