猫人大集落(1)

「チャム、少し歩く速度を落としせ」


 ガイの声を聞き、チャムは足を止めた。彼はチャムのすぐ後ろにいるが、他の男たちは遥か後方を歩いている。


「なー? あいつら歩くの遅いにゃ。ニャンゲン人には困ったもんだにゃ」




 彼らは今、ケットシー村を目指し歩いていた。ニャントロ人のチャムを先頭に、木々の生い茂る中を、獣道に沿ってゆっくり進んでいる。

 さすがにバスで行くのは不可能だろう、ということになり、バスは乗り捨てている。全員で歩いてケットシー村に向かっていた。

 しかし、獣道はでこぼこで高低差があり、見づらく歩きにくいことこの上ない。特に都会で育ったヒロユキにとっては、歩くだけでも苦行だった。しかも道案内のチャムは、やたらと歩くのが早いのだ。

 ガイを除く四人は、あっという間に引き離されてしまった。


 ペースを合わせることを知らないチャムは後ろを振り返り、不思議そうな顔で首を捻る。


「なー、やっぱりニャンゲン人は歩くの遅いにゃ。でも、ガイはニャンゲン人なのに凄く強かったし、歩くのも速いにゃ。不思議だにゃ」


 一方のガイは、今にも死にそうな表情で歩いているヒロユキを睨んでいた。


「あいつ、足手まといな奴だな」


 ガイとチャムから、十メートルほど後ろを歩いているカツミは……ギターケースと大量の肉や毛皮を背負いながらも、しっかりとした足取りで歩いている。顔に疲れは見えない。

 タカシは鉄製の鍋やコップなど、妙な物の入ったスポーツバッグをぶら下げて歩いている。ヘラヘラ笑いながら、あちこちキョロキョロしているその様子からは、疲労は全く感じられない。軽薄そうな雰囲気とは裏腹に、恐ろしいくらいのタフさだ。

 ギンジは自らのカバンを持ち、何とか歩いている。疲れの色は隠せないが、それでも、どうにか付いて来ている。

 しかしヒロユキは、さらに遅れている。顔からは血の気が無く、目は虚ろ、口で息をしながら、かろうじて歩いている状態だ。


「このままだと、やべえかもな」


 ガイは誰にともなく呟くと、その場に座り込む。


「仕方ねえ。チャム、休憩だ」




 ヒロユキは、その場にへたりこんでいた。

 もう限界である。動くことは不可能だ。これ以上歩くなら、いっそ自分を置き去りにして欲しい。

 そんなことを考えていた時──


「ヒロユキ、これを飲め」


 優しい声とともに、ギンジから水の入ったコップが突き出される。ヒロユキはコップを受け取り、貪るように飲んだ。飲みながら、他の人の様子を見る。

 ギンジはヒロユキと同じように、疲れた表情で周りを見回している。だがヒロユキとは違い、まだまだ歩けそうだ。

 カツミは、タカシと話している。大きなギターケースと、大量の肉や毛皮を背負っているにも関わらず、元気そうである。タカシに至っては、何が楽しいのか、ヘラヘラ笑いながらカツミにちょっかいを出しているのだ。

 ガイは、チャムと話している。時おり、ヒロユキのことをチラチラ見ている。その目線が、体力のないヒロユキを責めているように感じられた。


「みんな元気だな。オレみたいなオッサンにはキツいぜ」


 苦笑しながら、ギンジが呟いた時だった。


「ギンジさんはいいですよ。ぼくは、このメンバーの中では足手まといでしかない」


 ヒロユキの表情が、さらに暗くなる。


「そんなこと言うなよ」


「みんな、凄い人たちばかりだ。でも、ぼくは違う。何で、ぼくはここにいるんでしょう? 何で、ぼくみたいなクズが……」


 視線を落とすヒロユキ。その目からは、涙がこぼれ落ちる。さらに、嗚咽が洩れた。

 ギンジは、その様子を黙って見ていたが……ややあって、口を開く。


「確かに、今は厳しい状況だよ。だがな、泣き言いっても始まらない。とにかく、オレたちはここを脱出する。元の世界に戻るんだ。その鍵を握っているのは……ヒロユキ、お前だ。お前がここにいるのには、大きな意味がある」


「ぼくが、ですか?」


 驚いて聞き返すヒロユキ。すると、ギンジは微笑みながら頷いた。


「そうだ。お前にはここの知識がある。お前はゲームの世界、と言ってたが……そのゲームを作った奴は、この世界に来たことがあるんじゃないか?」


「えっ? そんなことが?」


「ああ。昔から、違う世界に足を踏み入れてしまう話は世界各地で伝えられている。時代も文化も違う国で、なぜか似たような話が伝わっているんだよ。今、オレたちが体験しているようなことが昔話として、な。オレは思うんだよ。実際に異世界に行った奴らがいたんじゃないか、ってな」


「ギンジさん……」


「だから、どんなに辛くても前を向け。そして歩き続けるんだ。お前がいないと、オレたちはここから脱出できない。お前の知識が必要なんだ。一緒に家に帰ろう」


 ギンジがそこまで言った時、ガイがこちらに近づいて来た。ヒロユキを睨みながら、口を開く。


「おいヒロユキ、そろそろ行くぞ。暗くなるまでに、村に到着しないとな」


 そう言うと、ガイは背中を向け、しゃがみこんだのだ。


「おぶってやる。何だか知らねえが、一緒にこんな場所に来ちまった縁だ。放って行く訳にはいかねえが、お前のペースに合わせる訳にもいかねえ」


「えっ? ガイさん、何を……」


 唖然とするヒロユキだったが、ガイの鋭い声が飛んだ。


「いいから早くしろ! 殴られてえのか!」


 そんな声を聞かされては、選択の余地は無い。ヒロユキは仕方なく、ガイの背中に乗った。

 すると、ガイはヒロユキを背負ったまま、いとも簡単に立ち上がる。平然とした顔で歩き始めた。


「なー! 凄いにゃ! ガイは強くて、優しいニャンゲン人だにゃ!」


 チャムは瞳を輝かせ、ガイに言う。


「おら行くぞ」


 しかし、ガイは素っ気ない態度でチャムを急かした。

 そのやりとりを見て、タカシがギンジをつつく。


「ギンジさん、ガイくんは顔のわりに好青年ですな。ギンジさんも疲れたら言ってください。カツミさんがいつでも担いでいくそうですよ――」


「勝手に決めるな!」


 言葉の途中で、カツミが一喝する。


「オレはいいよ。まだ大丈夫だ」


 思わず苦笑しながら、ギンジは答えた。


 ヒロユキを背負い、ガイは獣道を歩き続けた。無言のまま、チャムの後を付いて行く。その後ろから、他の三人も歩いて来る。

 日が沈みかけてきた頃、不意にチャムが立ち止まった。


「見えてきたにゃ。あれがケットシー村だにゃ」






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