ぼくたちは異世界に行った

不動凱のこと（注：こちら側の世界の話です）

　天田士郎は今、カラオケボックスにいた。

　浮かない顔をした男と、ふたりきりである。どちらも、さっきから一曲も歌っていないし、歌う気配もない。黙ったまま、ソフトドリンクを飲んでいる。まるで、お通夜のような暗い雰囲気であった。

　やがて沈黙に耐えきれなくなったのか、男が口を開いた。

「あんた、何なんです？　不動凱のことは思い出したくないんですよ。奴と話した記憶もあまり無いし……」

　男の名は安部（アベ）。かつて不動凱が入所していた養護施設『人間学園』で職員をしていた。

　そんな安部は士郎に対し、見るからに不快そうな態度で喋り続けた。

「あいつは……不動凱は、筋金入りの不良でした。我々は手を尽くして、あいつを更生させようとしたんです──」

「ちょっと待ってください。まず不動凱の両親は、凱が十二歳の時に、火災で死亡してる。これは間違いないですね」

　安部の言葉を遮り、士郎は尋ねた。

「そうです」

「で、凱はその後、あなた方の施設に預けられた。しかし十五歳の時、施設を飛び出した、と。不思議ですね」

　言いながら、安部の顔を覗きこむ。すると、彼の表情が歪んだのが見えた。

「な、何が──」

「あなたは今、凱と話した記憶が無いと言いました。しかし他の方からは、凱と一番仲が良かったのは、あなただと聞きました。しかも、あなたは凱が問題を起こす度に庇っていたとも聞いています。何だってあなたは、今になって凱を悪し様に言うんです？」

「えっ、いや──」

「安部さん、あなた何を隠してるんです？　凱について、何を知っているんですか？」

「ふ、不愉快だ！　こ、これ以上話すことはない！　帰る！」

　喚きながら、安部は席を立つ。だが、士郎は話し続けた。

「凱とツルんでた頃のあなたは、妙に羽振りが良かったとも聞いています。養護施設の一職員とは思えないくらいにね。これをどう解釈したもんか……」

「な、何が……」

「オレには、全て分かってるんですよ」

　士郎は、そう言って笑みを浮かべる。さっきまでの三流ルポライターの表情が消え、代わりに奇妙な雰囲気をまとい始めていた。

「あ、あんたは……何者なんだ？」

「ただのルポライターですよ。オレが知りたいのは、不動凱についてです。あんたの口から、真実を聞きたいんですよ。あんたが昔、凱を使って悪さして稼いでた、なんて話はどうでもいいんです」

　その言葉で、安部の表情がみるみるうちに変わっていった。顔面は蒼白になり、額からは汗が吹き出ている。

「お前は、何を言っているんだ……」

「ねえ安部さん、あんたがしらを切るなら、オレは徹底的に調べます。そして、あんたと凱のやらかした数々の悪事の証拠を警察に持って行きますよ。まだ時効になってないものもありますよね。いいんですか？」

　士郎は、ゆっくりと問い詰めていく。安部は何も言わず下を向き、小刻みに震えていた。異常なまでの怯え方だった。

　ややあって、安部は口を開く。

「あいつは、人間じゃないんだ……あいつは、化け物なんだよ」

　・・・

　不動凱は十二歳の時、家を全焼させる程の大規模な火災で両親を失った。自身も顔の右側と、体のあちこちに火傷を負う。その後、養護施設『人間学園』に預けられた。

　だが、体のあちこちに火傷痕のある上に、どこか不気味な雰囲気を漂わせている凱は周囲に溶け込みにくい。ひとりで行動することの多い少年だった。

　安部は、そんな凱の世話を積極的に焼くため、周囲の人間からは高く評価されていた。他の職員は安部を、若いのに人情味溢れる、優しい職員だと思っていたのだ。

　しかし、周囲の人間は安部の本性を知らない。

　凱は一見、不気味で取っ付きにくい雰囲気である。顔の火傷痕のせいで、余計に近寄りがたいものを感じさせる。だが、その中身は素直で物静かで、かつ他人に気を配ることのできる、読書好きの少年だった。

　対する安部は、一見すると不気味な少年の凱の世話を焼けば周囲からの評価が上がることを、計算の上でやっていた。

　しかも、凱の本性は物静かで素直だ。他の活発で、やたら動き回る反抗的な子供たちを相手することに比べれば、はるかに楽である。手間はかからない。

　こうして安部は、要領よく仕事をこなした。

　しばらくして、安部は恐ろしいことに気づく。

　凱は、普通の少年ではなかったのだ。彼の腕力は凄まじい強さだったし、動きは猿のように身軽で素早い。持久力もまた、同世代の子供と比べれば異常とも言えるレベルだったのだ。

　実際、安部は凱と腕相撲をしてみたところ、全く相手にならなかった。十二歳の少年の凱に、成人男性の安部が瞬殺されたのだ。

「ぼくって、力持ちでしょ」

　そう言って、安部に笑顔を見せた凱。表情は、十二歳の少年らしいものだったが……その腕力は、力持ちという域を超えていた。

　もっとも、凱は他の人の前では、自らの腕力をひけらかしたりはしなかった。読書を好み、孤独を愛する素直な少年として凱は生活していたのだ。

　腕力を見せるのは、安部の前でだけ……凱は安部を信用し、慕っていた。

　そんな凱を見て、安部はあることを思い付く。

　翌日、安部は凱を連れて外に出た。まずは手始めに、空き巣をさせてみたのだ。

　実は安部は『人間学園』で働く前は、札付きの不良であった。喧嘩や万引きやひったくり、強盗などで警察に何度も逮捕され、鑑別所や少年院にも入っている。

　そんな安部だからこそ、小遣い稼ぎに凱を使うことを思いついたのだ。凱には人間離れした身体能力がある。空き巣くらいなら、簡単だろう、と。

　安部の読みは当たった。凱はいとも簡単に、ベランダから留守の家に侵入し、ドアの鍵を開ける。安部は玄関から入り、金目の物を物色し素早く出ていく。

　やがて安部と凱のコンビは……空き巣だけでなく、万引きやひったくり、恐喝や強盗などもやるようになっていった。

　だが、この時の安部は変化していく凱に気づいていなかった。

　安部という男は、他の職員たちの前では好青年を演じていたが、その実体はチンピラであった。すれ違いざまに他の通行人と肩がぶつかると、睨みつけ因縁つけて金を脅しとるような男である。

　そんな男と行動を共にし、命じられるまま犯罪に手を染めていくうちに、凱の人格は変化していったのだ。

　悪い方向に、加速度的に。

　やがて、凱は中学に入った。だが、入学して三日後に凱は事件を起こす。

　事件は、体育の授業中に起きた。凱は、皆と一緒に着替えることを拒否したのだ。

　そんな凱に、体育教師はキツい口調で注意した。しかし、凱はなおも皆との着替えを拒絶する。火傷痕の残る自分の体を見られたくなかったのだ。

　すると、体育教師は彼に平手打ちを食らわす。しかし、それから一分後……体育教師は、床に倒されていた。

　その教師は柔道部の顧問であり、体格的にも凱をはるかに上回る男である。そんな男を凱は一方的に叩きのめし、病院送りにしてしまった……。

「いや、凄かったよ。あんな喧嘩見たことない。なんか、ダンスしてるみたいな速くしなやかな動きで、先生の周りをぐるぐる回って……気がついたら、先生が血まみれで倒れてたんだ」

　目撃した生徒のひとりは、そう語る。

　その一件により、凱の名は校内に知れ渡る。あいつはイカレてる、という評判が。

　その後、成長していくにつれ、凱は安部にはコントロールできなくなっていく。

　体が大きくなると、それだけ凱の身体能力は増していった。さらに知恵も行動力も付き、安部のようなチンピラには想像もつかないような犯罪を計画し、実行していく。

　やがて、凱は決定的な事件を起こした。

　・・・

「あいつは、人を殺したんだ。人を殺した後、姿を消した。あいつは本物の化け物になっちまった……もう、あいつのことは思い出したくない。忘れちまいたいんだよ」

　そう言うと、安部は両手で顔を覆う。だが、士郎は冷ややかな目で安部を見つめていた。

「なあ、凱は生まれつきの化け物なんだよ。オレは悪くねえ……悪くねえんだ。あんな奴と関わるんじゃなかった」

　愚痴り始める安部を見て、士郎の顔に不快そうな表情が浮かぶ。

「なあ、凱は何で人を殺したんだ？　あんたは知ってるんだろ？　教えてくれよ」

　士郎の言葉を聞いた瞬間、安部の表情が歪んだ。

「そ、そんな事……オレが知る訳ないだろう」

「嘘つくなよ。あんた今言っただろうが……凱は人を殺したって。あんた、その場にいたんだろ？　本当のことを言えよ」

「それは……」

　それきり黙りこむ安部に、士郎は喋り続ける。

「あんたは、凱のやらかした殺しに関わっているんだろう？　正直に言っちまえよ」

「ち、違う！」

「いや違わない。だったらオレが言ってやるよ、何があったかを。あんたは凱と一緒に、いろんな悪さをした。その結果、地元のヤクザの逆鱗に触れた。あんたは拉致されたが……凱が事務所に乗り込み、見張っていたヤクザ三人を殺した上に、放火した」

「やめてくれえ！」

　不意に、安部は絞り出すような叫び声を上げた。

「あいつは、あいつは化け物なんだ！　オレは、オレは悪くない……あいつが勝手にやったんだ！　オレには何の責任もない！」

「あんたは本当に……いや、やめとこうか」

　そう言って、士郎は立ち上がる。と同時に、テーブルに数枚の紙幣を置いた。

「とりあえず、これ取材費ってことで……そうそう、あんたは凱を化け物って言ってたな。生まれつきの化け物だと。だが、それは違うぜ」

　士郎は、そこでいったん言葉を止める。奇妙な目つきで安部を見た。

「あんたは……凱の家が火事になった時、奴が何をしたか知ってるか？」

「い、いや……」

「不動凱の家は……消防士たちが駆けつけた時には、手の打ちようがなかった。家にいる人間は皆、死んでいるだろうと誰もが思った。ところがだ、幼い子供が黒焦げになった両親の死体を担いで出て来たんだよ。消防士すら入れなかった、燃えさかる家からな」

「そんなこと、オレは知らない……」

　首を振る安部を見て、士郎の口元が歪んだ。

「あんた、職員のくせに知らなかったのかい……まあいい。十二歳の四十キロもない子供が、合わせて百キロを超える成人二人の体を担いで運んだんだ。消防士も突入できなかった、燃えさかる家からな。生きてるだけでも、奇跡なのに……あり得ない話だと思わないかい？」

「あいつなら……凱ならできる。凱は人間じゃないんだ！」

　安部は震えていた。体を震わせながら、絞り出すように叫ぶ。

　そんな安部を、士郎は睨み付けた。

「あんたには、オレの言わんとするところが分かってないみたいだな。こっから先は、オレの想像だがな……凱は見ちまったんだよ、自分の両親が黒焦げになって死んでいくのを。その時、凱はどれだけ自分の無力さを呪ったことか。両親を助けたくても助けられない、自分のひ弱さをどれだけ憎んだか。たぶん、その時に目覚めちまったんだよ。奴の秘められた、超人的な腕力がな」

　今や士郎の目には、怒りの色があった。安部を睨みながら、淡々と語っていく。

「憐れな奴だよ。自分の両親が、目の前で焼けていくんだ。黒焦げになって死んでいくんだぜ。そんな、地獄の光景と引き換えに得た力なんだよ。あんたに分かるかい？」

「そんな……」

「ま、偉そうなこと言ってるが、全てはオレの想像の域を出ない話だ。ひょっとしたら違うのかもしれん。だがな、ひとつだけ確かな事がある。凱は、生まれつきのモンスターじゃない。まっとうな部分を持った人間だったはずだ。それを狂わせたのは、あんただよ」

　言いながら、士郎は安部を指差した。冷酷な憎しみの視線を向けながら、士郎はさらに語り続ける。

「あんたに出会わなかったら、凱はもう少しマシな人間になっていただろうよ。あんたみたいな、本当にどうしようもない……ヤクザにすらなれないクズに出会わなければ、な。あんたは凱を正しい方向に導かなければいけなかったのに、それをしなかった。それができる唯一の人間だったのにな。それどころか……両親を失い、ボロボロの心を抱えた凱をあんたは利用した！　あんたが凱を化け物に変えたんだよ！」

「違う！　オレのせいじゃない！　オレは悪くない……悪くないんだ！　もう止めてくれ！」

　安部は泣き出していた。両手で顔を覆い、体を震わせ、嗚咽を洩らし、士郎の目の前で幼子のように泣きじゃくっている。

　だが士郎は容赦しない。厳しい表情と鋭い目つきで安部を見ながら、言葉を続けた。

「いいや、違わない。オレは今日、あんたという人間と会い、話した結果そう確信した。正直言うとな、オレはあんたから話を聞く必要はなかったんだよ。あんたと凱のやったことは大体わかってた。あんたという人間を見に来たんだ。元凶はあんただよ」

　そう言って、士郎は出て行こうとした。だが、安部が呼び止める。

「待ってくれ！　奴は……凱は今どこにいる？　何をしてる？」

　涙と鼻水で顔をグシャグシャにした安部が、声を振り絞った。

「知らないよ。たとえ知ってても、あんたにだけは絶対に教えたくないな。これ以上あんたと話してると、オレはあんたを殺してしまいそうだ。だから引き上げるよ」

　安部の顔を見ようともせず、士郎はそう言って立ち去った。