世界大変化(2)

 一方、バスの中にいる中年男と青年はというと、自宅でテレビでも観ているかのような雰囲気で語り合っている。


「いやあギンジさん、頼もしい人たちがいて良かったですねえ。しかし、ここは何なんでしょう?」


 タカシと名乗った青年が尋ねると、ギンジはかぶりを振った。


「わからん。正直、オレの理解を完全に超えてるよ。ま、しばらくは成り行きを見守るしかねえ」


「ですよねえ。あ、終わったみたいです」


 タカシの言葉に、ヒロユキは慌てて外に視線を移す。

 彼の言う通り、外の戦いは終わっていた。ゴブリンは全員が死体と化し、草原にて無造作に転がっている。ヒロユキは呆然となりながら、死体の山を見つめるしかなかった。

 その時、とぼけた声が聞こえてきた。


「さて、戦ったお二方と亡くなったお猿さんたちには悪いが、私は今からメシ食わせてもらいますよ」


 そう言うと、タカシはカバンを開ける。中から潰れたサンドイッチらしきものを取り出し、ぱくぱく食べ始めた。

 ヒロユキは口を開けたまま、タカシの奇行と外の惨状を交互に見ている。彼に残っているはずの僅かな正気が、音を立てて崩壊し始めていく……そんな気がしていた。

 もっとも、タカシはそんな思いなどお構い無しだ。ギンジに向かい、話を続ける。


「ところでギンジさん、あの猿は食べられますかね?」


「いや、食えんことはないだろうが……お前、食うのか? あの猿を?」


「いやー、今はこんな状況じゃないですか。食料になるかと思って……まずそうですけどね」


 その会話を聞き、ヒロユキは頭を抱える。このまま、全てを拒絶して眠りたかった。


 何これ?

 日本刀持った怖いオッサンと、ナイフ持ったチンピラが、ゴブリンの群を全滅させたよ。

 その横での、このふたりの会話は何だ?

 これは夢だ。

 早く覚めてくれ!


 だが、そんな祈りも空しく、さらなるトラブルが発生した。不意に声が聞こえてきたのだ。


「オッサン、誰もあんたに手伝えとは言ってねえよな?」


 明らかに不快そうな声である。発したのはガイだろう。ヒロユキは、恐る恐る外を覗く。

 ゴブリンの死体が転がる中、返り血を浴びた両者が睨み合っていた──


「だが、手伝うなとも言ってねえだろうが」


 カツミは刀に付着した血と脂をゴブリンの腰巻きで拭いながら、静かな口調で答える。


「はあ? その態度、気に入らねえな。何様のつもりだよ!」


 ガイが吠える。しかし、カツミも怯まず言葉を返す。


「うるせえガキだな。てめえこそ、礼儀ってものを知らねえのか」


 言ったカツミの表情も変化していた。今にも襲いかかりそうな目付きでガイを睨んでいる。

 その態度が、ガイの心に火をつけたらしい。。


「上等じゃねえか! てめえも殺ってやろうか!?」


 ナイフを振りながら吠えた。直後、残忍な目で睨みつけながら、低い姿勢でナイフを構える。

 すると、カツミも立ち上がった。その目には、危険な光が宿っている。


「てめえは、頭がイカレてるらしいな。そんなに死にたいなら、殺してやるよ」


 そう言うと、カツミは綺麗にしたばかりの刀を構える。

 ゴブリンの返り血を浴びたまま、対峙する二匹の怪物。しかし、そこに乱入してきた者がいた。


「まあ待てよ。んなことしてる場合か? ガイ、ここで殺りあわなくても、獲物は後からいくらでも出てくるだろうよ」


 静かな、しかし強固な意思を感じさせる声だ。

 その声の主は、ギンジだった。いつの間に外に出たのか、平静な表情でふたりに歩みよる。


「何だてめえは!」


 不意の乱入者に、ガイは怒りを露にして吠える。カツミもまた、不快そうな顔で睨む。しかし、ギンジは引かなかった。


「お前ら、周りを見てみろ。ここがどこなのか、オレたちに何が起きたのか、お前らは知っているのか? それがわかってるなら、まずオレに教えてくれ。その後で、好きなだけ殺し合ってくれよ。オレは止めないぜ」


 口調は静かではあるが、奥底に強烈な意思を秘めている。両者は顔をしかめ、周りを見回した。

 そんなふたりに、ギンジは語り続ける。


「なあ、オレたちは今どこにいるんだ? 何が起きた? これからどうすればいい? 何もわかっていないんだぞ。しかも、こんな訳の分からない生き物が出てくる状況だ。協力しなきゃいけないだろうが。協力して、ここを脱出しなきゃならないだろうが。殺り合うのは、その後でも遅くない。なあ、オレの言っていることは間違ってるか?」


 ギンジの言葉に対し、ガイもカツミも黙ったままだ。両者を包む空気が、徐々に変わっていく。

 その空気を敏感に察したのか、ギンジは言葉を続ける。


「その程度の損得勘定もできねえバカなのか、お前らは? 違うだろうが」


 そのセリフに、ふたりは何も言えなかった。ギンジの冷めた迫力と、説得力ある言葉を聞き、徐々に理性を取り戻しつつあるようだった。その顔からは、怒りの表情が消えている。代わりに、己の今いる状況を冷静に吟味する理性が働きだしたらしい。鋭い目付きで、じっと周囲を見回している。


 一方、バスの中では……。


「いやあ、大したもんですねえ、あのギンジさんて人は。あの二匹の化け物の殺し合いを収めちまいましたよ」


 ヘラヘラ笑いながら、サンドイッチを食べているタカシ。そのサンドイッチを咀嚼する音が聞こえてきた瞬間──

 ヒロユキの神経は、限界を超えた。窓から頭を出し、胃の中のものを戻し始めた。同時に、涙がこぼれる。


 これは悪夢なのか?

 夢なら覚めてくれよ。

 それとも、ここは地獄なのか?

 ぼくたちは、ここに何をしに来たんだ?




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