世界大変化(1)

「おい少年、起きろ」


 どこからか、男の声が聞こえる。さらに、誰かに揺さぶられるような感覚。川井博之カワイ ヒロユキは不快な気分とともに目を覚ました。


 誰だよ……。


 ヒロユキは、目をこすりながら辺りを見回す。自分の安眠を妨害した無礼者が誰であるかを確かめるためだ。

 そんな彼の目にまず飛び込んできたのは、髪の毛が銀色の中年男と、バスの座席や吊革であった。どうやら、バスの中で寝てしまったらしい。

 そういえば、急に大雨が降ってきて、屋根のあるバス停に避難した記憶はある。

 すると、タイミングを計ったかのようにバスが到着したのだ。仕方なくバスに乗り込んだのも覚えている。彼の背負うリュックには、いずれプレミアが付くかもしれないノートが十冊ほど入っている。それを濡らしたくはない。

 バスに乗り、空いている席に腰掛けた。他にも、数人の客が乗っていたのを覚えている。

 だが、覚えているのはそこまでだった。




 ヒロユキはぼんやりする頭で、窓から外を見る。その瞬間、我が目を疑った──

 バスは、木の生い茂る場所に停車している。地面からはアスファルトが消え失せ、代わりに辺り一面が草原になっているのだ。都内では、あり得ない風景である。しかも、外に生えている木は見たこともない種類のものばかりだ。


 おい……。

 ここ、どこだよ?


 頭が混乱し唖然となるヒロユキを尻目に、銀色の髪をした中年男は動き続けていた。バスの中で、なおも眠り続けている乗客を起こしていく。その表情は、冷静そのものであった。こんな異様な状況にもかかわらず、全く動じていないのだ。


 そんな中年男に、初めて動揺したような素振りが見られたのは、彼が運転席に行った時だった。首を傾げながら、こちらを向く。


「おい、運転手が消えてるぞ」


 中年男の言った通り。バスの運転手は影も形も無かった。おまけに、携帯電話はいっさい通じなくなっている。普通の人間なら、確実に取り乱していただろう。事実、ヒロユキも取り乱したい気分だったのだから。パニック映画の登場人物のごとく、喚き散らしたかった。周囲の人間に、どういうことなのか聞きたかった。

 だが、それは出来なかった。何故なら、他の乗客たちは皆、無言で辺りを見回している。しかも、獣のような危険な雰囲気を醸し出している者ばかりなのだ。

 下手に話しかけたら、睨み殺されてしまいそうだ……。


「なあ、みんな」


 不意に、中年男が声を発した。すると、全員の視線が彼に集まる。


「何でこんな場所にいるのか、全く分からねえが……とりあえずは、自己紹介といこうぜ。お互いの名前すら分からないんじゃ、話にならないからな」


 その言葉に誘われるかのように、誰からともなく自己紹介が始まった。




 不動凱フドウ ガイ。二十歳。自称、ただのフリーター。短めの髪、作業服姿。顔の右側にある火傷痕と妙にしなやかな動作が特徴的。こんな奇怪な状況にも関わらず、不敵な表情を浮かべている。


 花田克美ハナダ カツミ。三十三歳。自称、ただのサラリーマン。スキンヘッドと高い身長、がっちりした体つき、そして怖い顔が特徴的。革ジャンとジーンズに、ギターケースを抱えているが、ミュージシャンの雰囲気は欠片もない。鋭い目付きで、あちこちを見回している。


 黒沢貴史クロサワ タカシ。二十八歳。自称、青年実業家。細い体を地味なスーツで包んでいる。ふてぶてしい表情で、落ち着きがない。へらへらした態度で、皆を見ている。


 平田銀士ヒラタ ギンジ。四十歳。自称、リストラされたサラリーマン。全員を起こして回った男。銀色の髪と、同じく銀色の眉毛が特徴的。中肉中背。スーツの上にコートを着ている。異様に落ち着いた態度で、ひとりひとりを値踏みするかのような目で見ている。


 簡単な紹介が終わったが、それからは全員が黙ったままだ。特に会話をしようともしていない。むしろ、お互いの出方を探っているようにも見える。

 ヒロユキは、言い様の無い不安を感じた。


 この人たちは何なんだ?

 映画やマンガ、アニメとかだと、たいがい誰かひとりはパニック起こすはずなのに……。

 この人たちは、動じてない。


 そう、パニックに陥って泣き出すわけでも怒り出すわけでもなく、全員が黙りこんでいるのだ。

 もっとも、彼らとて何も感じていなかったわけではない。実は、全員が動揺していたのだ。

 ただし、それは世界が変化したことだけが原因ではない。それと同じくらい、目の前にいる者たちの存在に対して驚き、戸惑っていたのだ。

 彼らはお互いに、本能で悟っていた。目の前にいる者たちが、見たこともない怪物であることを。

 そう、彼らは生まれて初めて遭遇したのだ……自分たちの同類に。




 バスの中を支配する不気味な空気に耐えられなくなったヒロユキが、窓の外を見た。

 その途端、思わず叫び声を上げる──


「な、何ですかあれは!」


 お、おい。

 あれは、アレだよな?

 ゴブリンじゃないか!



 そうなのだ。緑色の肌を持ち、猿のような姿形の生物が、バスの周りに集まっている。

 その姿は……ファンタジー系RPGの雑魚モンスターの代表ともいうべき、ゴブリンに似ている。だが外にいるゴブリンは、まるで野生の猛獣のようだ。

 いや、猛獣より始末が悪い。その目や動きからは、知能が感じられるのだ。ギャアギャア鳴きながら、しきりにこちらを指差している。時おり、ウンウンと頷くような仕種も見られる。どうやら、バスの中にいる人間たちを敵だと認識しているらしい。

 ゴブリンは、十匹以上はいるだろう。バスの周りをゆっくりと回りながら、時おり威嚇するかのような叫び声を挙げている。叫ぶ度に、鋭く伸びた牙が見えた。

 大きさは百五十センチから百六十センチほどか。背は小さいが両腕は長く、力は強そうだ。皮の腰巻きのようなものを身に付け、手には棍棒や斧のような武器を持っている。さらに、こちらに敵意を剥き出しにした視線を向けていた。放っておけば、バスの中に入って来そうな勢いだ。

 ヒロユキは、さらに混乱した……。


 夢だ。夢に違いない。

 現実なわけないよ。

 すぐに、目が覚めるはずだ。

 ははは、そうに決まってる。

 だって、こんなことあるはずない。


「何なんだよ、あの猿は……うっとおしいな。おっさんたち、俺ちょっと追っ払ってくるわ」


 不意に、軽い感じの声が聞こえた。ヒロユキがそちらを見ると、ガイと名乗った青年が立ち上がった。

 直後、身軽な動きで窓を開け、外に出て行ったのだ──


 ヒロユキは唖然としながらも、ただ見ていることしかできなかった。

 他の三人はというと、ガイの行動を止める気配はない。黙ったまま、成り行きを見ていたのだ。まるで、お手並み拝見とでも言わんばかりの様子で。


 一方、外に出たガイは、ポケットから折り畳みナイフを取り出した。凶暴そうな風体のゴブリンたちを前に、恐れる様子がない。楽しそうにニヤニヤしながら、手近な一匹のゴブリンの前に立つ。


「おい、お前ら何なんだ? 緑色の毛なし猿なんざ、動物番組でも見たことねえぞ。ところで、言葉わかるか? いや、わかるわけねえやな」


 この状況にそぐわぬ、とぼけたセリフだった。それに対し、ゴブリンは耳障りな鳴き声で返す。

 次の瞬間、ゴブリンは棍棒を振り上げた──

 惨劇を想像し、ヒロユキは思わず顔をしかめる。しかし、ガイは余裕の表情だ。

 直後、振り下ろされた棍棒を受け止める。いや正確には、棍棒を握っているゴブリンの手首を受け止めたのである。

 すると、ゴブリンが悲鳴を上げ棍棒を落とした。ガイは超人的な腕力で、ゴブリンの手首を握り潰したのだ。

 直後、ガイは笑みを浮かべながら、右手のナイフを振るう。ゴブリンの喉に突き刺し、さらに横に切り裂いた──

 ゴブリンは声も出せず、喉から血を吹き出し倒れる。

 それを見た他のゴブリンたちは、一斉に動き出した。獣のように吠えながら、ガイの周りを取り囲む。

 しかし、ガイの反応の方が早い。囲まれたと見るや、いきなり前転し間合いを詰める。手近にいたゴブリンの胸をナイフで一突きし、さらに喉を切り裂く──

 次の瞬間、ガイはそのゴブリンの体を片手で支えて立たせ、楯のようにしながらゴブリンの出方をうかがう。

 その瞳は、喜びに満ち溢れているように見えた。


「暇だから、オレも遊んでくる」


 突然、低い声が聞こえてきた。花田克美と名乗った大男が発した声である。

 カツミは冷めた表情でギターケースを開け、中に入っていた物を取り出した。それを見た瞬間、ヒロユキの顔がひきつる。


 何だあれ?

 日本刀じゃないか!

 何でギターケースに日本刀入ってる?

 こいつら、おかしいだろうが!

 みんな狂ってる!


 ヒロユキの混乱をよそに、カツミは日本刀を片手に慣れた手つきでドアコックを操作し、ドアを開けた。

 刀の鞘を抜くと、バスの中に置く。


「おい、そこのガキ。鞘を頼む」


 ヒロユキの方を向き、鞘を放った。その直後──


「緑の猿は見るのも初めてだが、斬るのも初めてだ」


 言葉と同時に刀を構え、ゴブリンの群れめがけて突進した。

 そして、刀を振る──

 直後、一匹のゴブリンの首が飛んでいった。

 新たな敵の出現に、ざわつくゴブリン。一方、ガイは不快そうな顔でカツミを睨む。

 しかし、カツミは周りの雑音を無視し、次のゴブリンへと突進する。

 その顔には返り血を浴びていたが、気にする様子はない。平然とした表情で、刀を振るっていく──

 その横では、ガイが敏捷な猫のように動き回る。ナイフをゴブリンに突き刺し、さらに切り裂き、絶命させていく。ガイの巧みなナイフさばきと身軽な身のこなしは、プロのダンサーの動きのように見事で、華麗ですらあった──




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