ぼくたちは異世界に行った
板倉恭司
プロローグ
ルポライターの
士郎は、建物とは反対側の壁にもたれ掛かり、スマホをいじくる……ふりをしながら、じっと建物を見張っていた。
やがて門が開き、中からひとりの青年が出てきた。地味な服装で、顔立ちもごく普通だ。人混みの中で、特に目立つようなタイプではない。
だが、士郎は知っている。この青年は六年前、ひとりの男を殺したのだ。
しかも被害者の首を切り落とし、その首を持ったまま交番に行き自首するという奇怪な行動をして……青年は一時ではあるが、有名人になった。
「すみません、ちょっと待っていただけませんか」
歩いて行く青年に対し、士郎は後ろから声をかける。だが、青年は歩みを止めない。大きなスポーツバッグを片手に、すたすたと歩いている。士郎は、もう一度声をかけた。
「
その声に反応し、青年は歩みを止めた。ゆっくりと振り返る。
「川井さん、出所したてのところ申し訳ないのですが……よかったら、お話を聞かせていただけないでしょうかね? 無論、ただとは言いませんよ」
ヘラヘラ笑いながら、一方的に喋り続ける士郎。青年は、そんな士郎をじっと見つめる。その表情は穏やかなものだった。ひとりの人間を殺した挙げ句、その生首を片手に自首したとは思えない。
やがて、青年は頷いた。
「いいでしょう」
士郎と川井は、近くの喫茶店へと入って行った。ふたりのいる店は薄暗く、他に客はいない。落ち着いた雰囲気の音楽が聞こえてくるが、会話の邪魔にならない程度の音量だ。
川井は出されたコーヒーを飲み干した後、呟くように言った。
「刑務所を出た直後は、コーヒー飲むと眠れないって聞きました。しかし六年ぶりに飲むと、美味いもんですね」
「その話、元受刑者から聞いたことがあります。六年ぶりのカフェインは効くらしいですね。それより、なんだってあなた、あんなことをしでかしたんです?」
その問いに、川井は何も答えない。彼の表情は、先ほどまでと同じである。機嫌を損ねたようには見えないが、かといって愉快な気分であるようにも見えない。
そんな川井に向かい、士郎は一方的に喋り続ける。
「川井さん、あなたはニートでしたよね。いじめが原因で高校を中退した後、家に引きこもっていました。ところが、あなたは八年前に外出したきり行方不明になり、そして六年前に事件を起こして逮捕されたとのことですが……間違いないですか?」
ぶしつけな態度の士郎に、川井は苦笑しながら口を開いた。
「その通り、間違いありませんよ。よく調べましたね」
「褒めていただき光栄です。しかし、私には分からないんですよ。あなたは二年近く失踪していましたが……その間、何をしていたんです? それに以前のあなたは、いじめられっ子の無気力で自堕落なニートだったと聞いています。そんなあなたが、何故あんな事件を?」
「天田さん、でしたよね……あなたは、本当に失礼な人だ」
怒っているかのような川井の言葉だが、彼の表情は怒るというより、むしろ呆れているといった方が正しい。あまりにも図々しい士郎の態度に対し、怒るより苦笑している。
一方、士郎に怯む気配はない。
「気分を悪くしたのなら謝ります。しかしね、ルポライターって仕事は、時に失礼なことも聞く必要があるんですよ。私は以前から、あなたの起こした事件はおかしいと思っていたのですよ。そして今日、あなたに直接会って確信しました。この事件には、裏があるとね」
「裏?」
「はい。あなたは、怒りに任せて人を殺す粗暴犯ではない。かといって、妄想に取り憑かれて殺人を犯したわけでもない。私の見たところ、あなたは政治犯のように見えます」
「政治犯、ですか」
その時になって、川井の表情が僅かながら変化した。士郎という人間に対し、ほんの欠片ほどの興味を抱いたらしい。
「そうです。あなたは、あなたにしか分からない理由で人を殺した。何か大きな目的のために……その目的というのは、あなたが失踪していた二年間と深い関係がある。私には、そうとしか思えないんですよ」
「では、逆にお聞きしたいのですが……あなたは、ぼくの言うことを信じますか?」
言いながら、川井はスポーツバッグの中から一冊のノートを取り出した。
そのノートを、士郎に手渡す。
「このノートには、ぼくが二年間に体験した全ての出来事が書かれています。多少、想像で補った部分はありますが、ありのままを書いたつもりですよ」
「このノートに、ですか」
言いながら、士郎はそのノートを見てみた。表紙には、かつて放送していたアニメのキャラクターが描かれていた。表紙には泥や、得体の知れない汚れがこびりついている。しかも、中に書かれている文字は小さい。これでは、読むのに一苦労だ。
「長いですが、ぼくが口で説明するよりは理解しやすいでしょう。もっとも、信じるか信じないかは、あなた次第です」
「そうですか。では、このノートをお借りして構わないでしょうか──」
「駄目です。このノートをお貸しするわけにはいきません。今、ここで読み終えてください。それが出来ないなら、あなたの取材は受けません」
士郎の言葉を遮り、はっきりした口調で言った。川井の表情には先ほどまでと違い、強い意思が感じられる。士郎は仕方なく頷いた。
「分かりました。では、拝読させていただきます」
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