その1 第三話
ニブルヘイム・アレフ城塞
コウモリの翼を外套のように体に巻き付けて、男が呟く。
「一体何時になれば、この世界は変調をきたすんだろうなァ……」
機甲虫が羽音を立てて男の側に着地する。
「ゾルグ様、ガルガンチュアより数名の兵士がこちらに向かっているとのことです」
機甲虫が大顎の間にある毛を擦らせて音を出す。
ゾルグは機甲虫を一瞥すると、ただ一言だけ告げる。
「守れ」
機甲虫はけたたましく羽音を散らし、城塞の指令室から飛び去った。
――……――……――
雪が降り積もる道を、青い髪の少女と歩く。
「ねえ、バロン。あの子にあげた世界、ちゃんと機能してるかな?」
雲に霞んで朧に光る太陽が、少女の美しい髪と注ぐ雪を照らし、思わず見とれてしまう。
「ちょ、ちょっと……急に見つめてこないでよね……!」
少女が恥ずかしそうに顔を赤らめて、抗議の視線を送ってくる。その視線を受け止めるように、優しく微笑んで、そして――
――……――……――
ニブルヘイム・氷竜の腕骨
「……ーい。おーい、バロン」
「……聞こえてる。なんだ」
バロンが気がつくと、そこは映像で見たアレフ城塞だった。そして、ヴァーユが少し怪訝な表情で見つめてきていた。
「お前大丈夫か?記憶どっかやってから呆けすぎじゃねえか?」
「……ああ。少し馬鹿になったかもな」
「はッ。減らず口を叩けるんなら大丈夫だな。気を引き締めろよ」
ヴァーユとバロンが雑談レベルの会話を続けていると、ヴァルナが提案を持ちかけてきた。
「二人とも聞け。正面から突っ込むのと、抜け道を選ぶのと、どちらがいい」
「楽な方だな!」
「……正面から突っ込むことにメリットがあるのか」
「ない」
若干呆れながら、バロンがため息をつく。
「……じゃあ提案しないでくれ」
深い雪道を、城塞に向かって進む。
城塞から横にずれたところに着くと、ヴァルナが地面の雪をどかし、金属の蓋を露出させる。
「……まさか、下水道か……?」
ヴァルナはバロンを見て微笑み、少し意地悪な笑顔を浮かべた。
「凍土の下水道は楽しいぞ、色々とな」
ニブルヘイム・下水道
「……ひどい臭いだ」
「水の流れが止まらないように温水が循環しているからな。下水に流れる汚物が発酵してすさまじい異臭を放つんだ」
「ま、下水道の入り口は最新鋭のエアカーテンがあるから、外に臭いが漏れにくいんだがな」
浅い溝に恐ろしく汚い水が流れ、温い風とすさまじい腐敗臭が漂う。
「進むぞ」
ヴァルナが溝の脇にある煉瓦の道を走り出す。ヴァーユとバロンもそれに追随する。
ある程度の距離を走ると、ヴァルナが立ち止まった。
「……どうした」
「この上だ」
「……ずいぶんと近いな」
「城塞のすぐ横にある下水道なんだからそりゃそうだろ」
「準備はいいか、バロン、ヴァーユ」
二人は頷き、ヴァルナははしごを上る。
ニブルヘイム・アレフ城塞
重い鉄の蓋を持ち上げて下水道の入り口から城塞内に出ると、そこは大量のパイプが張り巡らされた部屋だった。
僅に開いた鉄の扉から、光が漏れている。
「さて。ここは城塞の一階にある、ポンプ室だろう。ポンプ室は城塞の北の方にある部屋だ。ここから南下し、中央にある階段から二階に上がり、その後北西にある階段から三階の指令室へ突入する」
服についた汚れを叩き落としながら、ヴァルナが手短に説明する。
「……ブリーフィングによれば、籠城が得意な……ゾルグとやらがここを守っているのだったな」
「ああ、やつは剛顎隊にも劣らぬ自己防衛能力を持ち、また兵の士気を保つことにも長け、逃亡も極めて周到に行う。
パラミナでの戦いでは、ゾルグのいた町の攻略にリソースを削がれ続けた結果、大敗を喫してしまった」
「……国境での戦いの直前か?」
「ああ。悪いが、時間が惜しい。先を急ぐぞ」
ポンプ室から出ると、無機質な金属の通路が続いていた。そこから右に進み、左へ曲がり、直進する。しばらく進むと、左手に大広間が見えた。その左奥には、大きな階段があった。
「……ポンプ室からここまでそこまで距離があるわけではないが、どうしてここまで敵が居ないんだ?」
「上だ!」
バロンが疑問を投げ掛けたのと同時に、天井に張り付いていたムスペルヘイムの兵が三匹通路へ降り立つ。ゴキブリのような外見のそれは、背にチェーンソーを装備し、触覚のようなマニュピレーターでそれを振り回す。
「……ヴァーユ、顔が歪んでるぞ」
「い、いや俺、機甲虫以外の虫は無理なんだよ……!」
「バロン、構えろ!」
ヴァルナが声を上げ、バロンが鉄の刃を床から突きだし虫を串刺しにする。ヴァルナの氷剣も続いて虫を両断し、ヴァーユも虫を一太刀で切り捨てる。
床に釘付けにされた三匹のムスペルヘイム兵は、死体のままモゾモゾと蠢き、六本ある足の最も後ろにある二本が肥大化し、切り捨てられたものは破片を元に繋ぎ合わせて立ち上がる。残る四本の足はノコギリのようなギザギザの足へと変貌していく。完全に変態を遂げたその虫は、バロンの鉄の刃を腹に残したまま飛び上がり、バロンへ襲いかかる。バロンは体に鋼を纏い、右腕で虫の顔面に強烈なパンチを叩き込んで殴り飛ばす。鉄の通路を脂ぎった背中で虫が滑る。そして顔面から茶色の液体を溢しながら、平然と立ち上がる。
もう一匹の虫はヴァルナへと襲いかかるが、瞬く間にノコギリの腕を全て切断され、腹へ氷剣を突き立てそのまま頭部へ切り上げられ、追撃で虫を支えている二本の足を切り、掌底を叩き込まれて魔力が炸裂し、氷漬けにする。
最後の一匹はヴァーユへ向かうが、半狂乱に切りかかるヴァーユによって滅多切りにされて通路に粉状に落ちた。
殴り飛ばされた虫はバロンへ突撃し、ノコギリを繰り出し、バロンはそれを避けずに手で受け止め、ノコギリを力任せに引きちぎる。空いた足の傷口に鋼を流し込み、虫の生物としての機能を停止させる。
「……大丈夫か、ヴァーユ」
「いやあ、はは……これ以上出てきたら作戦に支障が……」
「階段を登るぞ。早く上に行かないとな」
「……北西だな?」
「ああ。だがセキュリティ上、左右にある障壁管理モーターを弄らなければ指令室へは行けんだろうな」
「……なら急ぐぞ」
階段を登りきるとすぐに右に曲がり、物陰から通路の様子を伺う。先程と同じく、敵の姿は見当たらず、天井に張り付いている敵も見当たらない。
「……おかしいだろう、流石に。ゾルグはもう撤収しているのか?」
「いや、そんなはずは……ヴァーユ、ラーフに連絡しろ」
「了解、将軍」
ヴァーユが左腕のデバイスを叩き、無線が繋がれる。ラーフの声がデバイスから聞こえる。
『どうしたんだい、ヴァーユ。城塞に目立った変化は見られないけど……』
「城塞内に敵影がない。俺たちが辿り着く前に敵が移動したか?」
『いや。下水道の動体も雪原の動体も汚水や雪、つまりそこにあって然るべきものしかない。城塞内は迎撃設備が中心に建造されているから、事前に把握していた兵の数なら通路内を巡回する兵士がひどく多くなるはずだけど』
「……。つまり?」
『通路に兵士が居ないとなると、何かの新技術で兵を隠しているのか、それとも何者かの攻撃で消滅したか』
「何もわからん、か。それなら城塞の攻略を継続する」
無線を切り、誰も居ない通路を突き進み、途中にある左の通路を進み、頭上が高く開けた場所に出た。壁に沿うように付けられた階段を駆け上がり、緑色の光を放つ機械がある部屋に出た。
巨大な黒色の機甲虫一匹と黒みがかった黄色の機甲虫二匹が、バロンたちを捕捉した途端猛る。
「アクティオンとギアスか」
「……わからん。なんだそれは」
「アクティオンゾウカブトとギアスゾウカブト。機甲虫のなかでも重量級で有名なやつだ。少しは気を引き締めんとな」
アクティオンが羽をはためかせ、バロンに向かって飛ぶ。バロンが横に避け、アクティオンは壁に激突して瓦礫が直撃する。続いてギアスが飛び、それをヴァルナが氷で押し止め、羽が開いて丸見えになっている腹にヴァーユが斬撃を与えて切断する。アクティオンは直ぐ様向き直り、角を使って床を思いっきり叩く。鉄の床が歪み、足元がふらつく。そして再び羽を開き、アクティオンが突進する。ヴァルナが氷の壁を作り出すが、その氷の壁を躊躇なくアクティオンは破壊し、ヴァーユを突き飛ばし、バロンへ突き進む。
バロンはそれもまた回避し、アクティオンは緑色の光に突っ込み、溶けた。緑色の光が消え、部屋が暗くなる。
「……器物破損は軍法会議ものか?」
「実戦部隊しか居ない軍隊にそんな詰まらんものはないさ」
ひび割れた床が崩れ、瓦礫と共に階段の始点へ落ちる。
「降りる手間が省けていいな!」
「……全くだ」
塔から通路に戻り、反対側の通路へ進み、もうひとつの塔を登る。
塔の上には先程と同じように緑色の光を放つ装置があり、黒光りするクワガタ型機甲虫一匹と黄色い艶のあるクワガタ型機甲虫二匹が待ち構えていた。
「……こいつらは」
「ブルマイスターとタランドゥス。ツヤクワガタというタイプだな。まあ正確に言えば違うが」
タランドゥスが羽をはためかせ、忙しく足を動かしてバロンへ突進する。バロンは真正面でそれを受け止め、筋肉を強張らせて、タランドゥスを無理矢理二つに千切る。二体のブルマイスターは顎でヴァルナとヴァーユに切りかかるが、瞬く間に細切れにされ、三人は障壁管理モーターを機能停止させた。
ゾルグは後ろで緑色の障壁が消えたのを片目に、ゆっくりと翼を広げた。そして横に居る特徴的な大顎を持つ機甲虫を見た。
「ゾルグ様、何かご用でしょうか」
機甲虫は主の視線に応える。ゾルグはふと司令室から見える銀世界に目を向けて、そのまま口を開く。
「俺はニブルヘイムで生まれた。氷竜の骨の食料基地に居たんだ。俺は生まれた時から戦争のただ中にいた。俺が生まれたとき、氷竜の骨でムスペルヘイムとニブルヘイムが戦っていたんだ。俺は生きるために、ムスペルヘイムもニブルヘイムも罠に嵌めて食料基地に籠り続けた」
ゾルグはゆっくりと歩き、なおも話し続ける。
「しばらく過ぎて、辺りが砂嵐に包まれた。このニブルヘイムで砂嵐が起こること自体おかしいことだったが、食料基地に罠を抜けて男が一人入ってきたんだ。
ハンマーのような頭、鮫のような鰭、細身の長剣……そうだ、俺たちの主、カルブルムだ」
「ゾルグ様。昔話をなぜ今なさるのです」
「さあ、どうしてか、懐かしみたくなった。今思えば、カルブルムとは不思議なやつだ。中立を保っていたころのパラミナの長が、食料基地に籠っていた男にわざわざ会いに来て、打ち負かし、止めを刺さずに連れ帰るなど……しかもやつは、ことあるごとに娘がどうとかと……この世界に女は、神子しか居ないのに」
「ゾルグ様、やつらが来たようです」
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