その1 第四話

 階段を三人が駆け上がり、開けた場所へ出た。

 壁はスクリーンで埋め尽くされ、真正面には大きなガラスが見え、吹雪の銀世界を繋ぎ止めていた。

「ゾルグ!」

 ヴァルナが叫ぶ。ゾルグは窓の向こうを見つめて、微動だにしない。傍に居る機甲虫が、顎の間にある毛を震わせて声を発する。

「お待ちしておりました」

「ディディエールか」

「アレフ城塞内部に機甲虫は居ない、それがどういうことか、わかりますか」

「……まさかとは思うが……」

 ゾルグがバロンたちへ向き直り、右の翼を上げる。

「嵐は来た」

 その声と共に、天井が砕け、夥しい量の機甲虫が降下する。

「んなバカな!ラーフ!」

 ヴァーユが無線を叩く。

『バカな、こちらも把握できてない!上空にも反応はなかったはずだ!』

 ゾルグが翼を再び閉じる。

「ラーフと言ったか。お前はこの城塞の索敵システムの盲点を忘れているようだな」

『何だって?』

「この城塞は直上にある物体を索敵できない。屋上や、司令室の屋根に取り付かれたらその姿を捉えることはできない」

 天井に空いた穴からは大量の機甲虫が雪崩れ込み続ける。

「ゾウカブトにドルクス……拠点防御に傾倒している……!」

 ヴァルナが顔をしかめる。

「時間が重要だ。確かにお前たちは強い。だが所詮、僅かな兵が実力で押し留めているだけ。その実力を無に帰す圧倒的な数の暴力の前には、ただ疲弊するのみ。数で押し続け、強引に勝つ。それはムスペルヘイムのやり方だ」

 ゾルグが目を伏せると、機甲虫は一斉に飛び立つ。最初に飛び込んできた機甲虫エレファスをヴァーユが両断する。ヴァルナによって凍らされ、バロンによって串刺しにされ、次々と機甲虫の死体の山が出来上がっていく。しかし、機甲虫は延々と天井から侵入してくる。

「数が多いな……」

 ヴァルナが毒づく。

「あんまり派手にやると司令室が壊れちまうしな……!」

 ヴァーユが呟く。それにバロンが反応する。

「……ここが壊れなければ派手にやれるんだな」

「ん?」

「……僕にいい考えがある」

 ヴァルナとヴァーユがバロンに注目する。

「……僕を信じて一回派手にやってみてくれ」

 二人は一瞬ポカンとしたが、すぐに機甲虫に向かった。ヴァーユが凄まじい力で刀を振り抜くと、台風のような渦巻き状の闘気が現れて機甲虫を粉々にしていく。ヴァルナは氷剣に力を注ぎ、機甲虫へ向かって振る。すると機甲虫が片っ端から凍っていき、そして即座に砕け散る。

「……いいセンスだ」

 室内に張られていた鋼の膜が剥がれ落ち、天井の穴からボトボトと機甲虫が落下する。

「な、何が起きたんだ?」

 ヴァーユが驚きの声を漏らす。技の規模とは裏腹に、司令室内は全く傷ついていなかった。

「ほほう。元からそうやって仕留めるつもりだったろう」

 ゾルグが翼を勢いよく広げて翼に付着した鋼を吹き飛ばす。

「……下でコックローチの兵を殺すときに気付いてな。この自在に操れる鋼を生体に流し込めば、どれだけしぶとくても一瞬でケリがつくとな」

「ん?それとこれとなんの関係が?」

「……予め、この部屋に入った時点で鋼を部屋中に薄く張っておいたんだ。司令室に伏兵が居ることは、城塞内の兵士の数が少なすぎることで把握できたからな」

 ヴァルナはだいたい把握したような顔をしていたが、ヴァーユはまだまだ理解できていないようだった。

「……僕の張る鋼は、例え膜のような薄さでも極めて高い強度を持つ。氷の刃や台風程度では破れんさ。天井の穴から入ってくる機甲虫が、膜を通るときに体内に鋼が吸収されて機能停止したのは予想外だったがな」

「つまりは、お前が膜を張ってたから無傷だったってことか」

「……そうだ」

 ヴァーユもようやく理解したようで、ゾルグの方へ向き直した。

 ゾルグが翼を広げ、翼とは別に生えている腕を使い、手に持っていた手紙をディディエールに持たせる。

「いいのですね?」

 ディディエールの問いに、ゾルグはただ頷いた。ディディエールは後方のガラスを破壊して、外へと飛び去った。

「……さあゾルグ。この城塞を返してもらおうか。あの数で押し止める算段だったのなら、まだまだ僕らの残り時間は多いぞ」

 バロンが構える。

「フハハハ、そうだ。俺が一人で時間を稼ぐんだ」

 ゾルグは飛び上がり、ヴァーユへ右足で強烈な蹴りを繰り出す。ヴァーユは咄嗟に後ろへ下がる。ゾルグは続けて左足で蹴り上げてヴァーユの胸を切り裂く。

「これは!暗器かッ!」

 ゾルグが足の暗器を放り投げ、自分の手で掴む。

「毒だ!あれには毒が塗られている!」

 ヴァーユが叫び、傷口を押さえる。胸の裂傷からは、不自然なほど流血していた。

「……これは……」

「この世界に生きるのなら、バンギのような豪腕か、ヴァルナやバロン、お前のように特殊な力を持っていない限り無駄に死に続けることでしか生きられない。だが俺は、これがある。俺の体は出血性の毒が血液として循環している」

「ちっ、貴様に傷を付ければこちらが血を浴びると」

 ヴァーユは力み、毒素を排出する。刀を構え直し、ゾルグへ突っ込む。ゾルグは軽やかにステップを踏みながら、紙一重でヴァーユの鋭い斬撃を躱していく。

「クソが!躱すな!」

 ヴァーユの斬撃は次第に真空刃となり、ゾルグの退路を絶つように生まれていく。ゾルグはその真空刃をも自在に躱し、暗器で流れるようにヴァーユに傷をつけていく。ヴァーユが力を込めて振り下ろした刀を避け、その隙を逃さずゾルグが刀を蹴り飛ばす。そして翼を切り離してヴァーユの頭部に絡ませ、暗器で頭を刺す。だめ押しと言わんばかりに蹴りを叩き込み、ヴァーユは後方へ吹き飛ぶ。

「ヴァーユ!ゾルグ、次は私が相手だ!」

 ヴァルナが氷剣を抜刀しようとするが、バロンがそれを制止する。

「なぜ止める!」

「……落ち着いてくれ将軍。ヴァーユや将軍の戦い方は、奴と戦うには王道過ぎる。僕ぐらいややこしい方が、奴も読みにくいんじゃないかと思うが」

「ふん……お前の腕が鈍ってないかどうかを見るいい機会か……」

「……ならば行こう」

 バロンが前に出ると、ゾルグは暗器を構え直す。翼の無くなったゾルグは異常に華奢に見える。皮と骨ばかりの細腕が勢いよく動き、暗器を弄んでいる。

「バロン。お前は記憶を失っているとか。では一つ聞こう。お前は、黒崎奈野花という人間を知っているか?」

「……黒崎奈野花……?誰だ、それは」

「知らんか……(ということは、あちらのバロンでは無いのか……?)」

「……なんだ、お前は……お前は何を知っている」

「記憶を失った以上、お前が過去誰と関わっていたかなどどうでもいいだろう」

「……」

 ゾルグは暗器を投げつける。バロンは駆け寄りつつ暗器を右腕で弾き飛ばし、鋼を纏った拳を振るう。拳はゾルグの腹にクリーンヒットして、ゾルグの体はぼろ雑巾のように転がる。

 しかし、ゾルグは何事もなかったかのように立ち上がる。

「……バカな」

「なるほど中々活きがいいなァ」

 ゾルグは天井に届くほどの跳躍と共に、切り揉み回転しつつバロンへ突っ込む。バロンはそれを鋼の盾を作り出して弾き、そのまま盾を凝縮してゾルグへ射出する。するとゾルグは空中で器用に体を反らし、鋼を回避する。そして何もない空間をまるで足場のように使って力み、加速する。

「……!?」

 バロンがその様に動揺した一瞬に、ゾルグは左腕の手首からブレードを出現させてバロンへ突き出す。それはバロンの腹を貫いた。バロンは苦悶を表情には出しつつも怯まず、至近に迫ったゾルグの顎に強烈なアッパーを叩き込む。ブレードが根本からへし折れ、ゾルグは床を滑っていった。なおもゾルグは平然と起き上がり、ひょろひょろの体を動かしている。

「不死というのも苦痛なだけだなァ、バロン」

「……(機甲虫とは何か……手応えが違う。中身が無い……まるで的を殴り付けているような感覚さえある)」

「さァ、勝負はまだまだここからだ」

 ゾルグは大袈裟に両手を広げ、そして右手で腰に提げていたナイフを取り出す。バロンは腹に刺さったブレードを引き抜くと投げ捨て、傷口を鋼で塞いだ。バロンが先に距離を詰め、鋭いストレートを繰り出す。ゾルグは軽やかなステップでそれを避けると共に、ナイフで何度もバロンを切りつける。バロンの皮膚は裂けていくが、まるで血が流れない。司令室の左右にあるディスプレイの光がバロンに当たる度に、バロンの傷口が鈍く輝く。

「ぬ!?なるほど、鋼は変幻自在、自らの体内にすら住まわせられるということか!」

「……そうだ。即ち、僕の体はその程度のなまくらで切り刻むことは不可能だ」

「クッハハハ!だが先程の刺突は防げなかった!鋼を流すにも多少の時間とお前自身の反応速度が必要らしいなァ!」

 ゾルグはナイフを右足で持つと、左足を軸に回転しながらバロンへと接近する。バロンもそれを迎え撃つように回し蹴りを繰り出し、両者の足が激突して競り合う。

「さすがバロン」

「……そろそろ本気でも出したらどうだ。このままでは決着がつかないぞ」

「それでいい。俺の目的は時間稼ぎ、お前たちも知っているだろう?」

「……ならこちらから行くぞ!」

 バロンの足がゾルグの足を膝で抱え込み、バロンは体を宙に浮かせてゾルグへもう片方の足で蹴りを入れ、怯んだゾルグへ逃さず拳を突き入れ、ゾルグの体内で鋼を炸裂させる。

「ぐはあっ!」

 バロンが勢いよく拳を引き抜くと、ゾルグは後退しながら悶える。鳩尾の部分に出来た大きな傷口からは、液状の鋼が滴り落ちている。

「……勝負あったな」

「バカめ、遅いわ」

「……何?」

 バロンの後方で、ヴァーユの端末が電子音を鳴らし、ラーフの声が聞こえる。

「国境に再びコーカサスが現れた!」

「……なんだと!」

 ゾルグが口から鋼を吹き出しながら笑う。

「フフフ……グフッ……そもそも俺が時間を稼ぐ必要すら無かったのだ……俺がここでお前たちに瞬殺されてお前たちが国境へ向かったところで……コーカサスには勝てん……!」

「戻るぞ!」

 ヴァルナが叫び、他の二人も同意する。ゾルグはふらふらのまま飛び上がり、そこから驚くべき速度で飛翔し、去っていった。

「あいつは逃がしてもいいのか!」

 ヴァーユが問う。

「構わん!今コーカサスがガルガンチュアまで来たら終わりだ!」

 ヴァルナが答える。

 そして、三人は城塞から飛び出した。


 ニブルヘイム国境

 三人は雪原を駆け抜け、次第に遠くに砂の大地が見え始めた。砂の大地と雪原の丁度合間に、直線状の建造物の残骸と、ニブルヘイム、ムスペルヘイム、パラミナの三か国の兵士の亡骸があった。

「急ぐぞ!」

 ヴァルナが先行し、それに二人が続く。残骸の下に辿り着くと、この世のものとは思えぬ絶叫が、空から響き渡る。

「コオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 直上から、三本角の機甲虫が落ちてくる。三人は咄嗟に回避する。機甲虫が残骸に落下すると、凄まじい竜巻が巻き起こる。

「……こ、これは……!」

 バロンが驚く。

「なんだ、どうしたってんだバロン!」

 バロンの反応にヴァーユが反応する。

「……こいつだ。こいつが国境を破壊したやつだ」

「貴様やはり覚えているんじゃないか!」

「……待てヴァルナ。今思い出したんだ」

「まあいい、話は後だ!」

 三本角の機甲虫―――コーカサスは、超巨大なクレーターの中から飛び出し、バロンへ突っ込む。バロンはすんでのところで回避する。コーカサスの通り道には、暴風が吹き荒んだ。雪も砂も舞い上がって、視界が極端に悪くなる。

「……くっ……二人はどこだ……!」

 バロンが左右を見渡しても、濃霧のように砂と雪が荒れ狂うだけで、二人の姿は全く見えない。そこにコーカサスが狙いすました突進を繰り出してくる。余りの速さに受け止めるわけにもいかず、バロンはただそれを回避する。コーカサスが通るだけで暴風が通り抜け、そのせいで更に視界が悪くなっていく。

「……逃げようにも二人を置いて行くわけには……コーカサスを撃退する他に選択肢はないか……!」

 バロンは目を閉じ、静かに佇む。暗闇の中に、吹き荒ぶ風の音が聞こえる。その中に、風の音を遮る不快な羽音が途切れ途切れに響き渡る。ある一点でその羽音は向きを変え、バロンの方へ向かってくる。バロンは更に意識を研ぎ澄まし、羽音との距離を測る。そして、最接近した瞬間に目を見開き、渾身の力を両腕に込める。見事にコーカサスの三本角の内、上部の二本を掴んで押し止める。

「……くうっ!なんという蛮力だ!」

 バロンの筋肉が悲鳴を上げる。バロンは咄嗟に、自分の体に鋼を循環させた。するとどうしたことか、バロンの肉体は一時的な筋力増強を促されたようで、コーカサスの角を難なく塞き止める。

「コオオオオオオ!!!!!オオオオオオッ!!!!」

 コーカサスは唸り声を上げ、雪のように白い羽を黄色く変色させて、身体中に赤黒い筋が浮かび上がる。

「……ッ!」

 コーカサスが赤黒い瘴気を放ち、バロンを遠く吹き飛ばす。そしてバロンは国境の残骸に叩きつけられ、視界が揺らぐ。

「コオオオオオオオオオッ!!!!!!!」

 コーカサスの瘴気は砂と雪の嵐を吹き飛ばし、尚も荒ぶり続ける。羽をしっちゃかめっちゃかに開いたり閉じたりして、辺りの雪を巻き上げて、瘴気が一瞬でそれを灰にして撃ち落とす。

「……なんだ、あれは……鋼を流した時、確かに僕の肉体は強靭になってやつの角を押し返したはず……!」

 バロンはゆっくりと立ち上がり、拳を構え直す。コーカサスが羽をはためかせバロンへ突っ込む。バロンは腕だけで飛び上がり、突進を回避する。そしてすれ違い様に両腕を横に振るい、剥き出しのコーカサスの腹を切り裂く。コーカサスは勢いを殺せずに残骸に突進し、残骸を粉々にして振り向く。

「……バカな、何のダメージも無いのか……!」

 コーカサスは突進を再び行い、バロンを突き飛ばす。バロンは両腕を交差して鋼を充填させて突進を堪える。猛るコーカサスの角を無理矢理に抑え込み、力を込めて角を弾き返し、続けて繰り出そうとした角の一閃を鋼を纏った拳で打ち返す。コーカサスの右角の先端が少しだけ欠けてコーカサスが怯む。

「オオオオオオオオオオ!!!!!!!」

 コーカサスが激昂し、更に激しい瘴気を放つ。その瘴気に巻き込まれてバロンは再び吹き飛ぶ。そしてコーカサスは頭部を振り回す。すると、瘴気が竜巻となってバロンへ向かう。

「……くっ、もはやここまでか……ッ!」

「諦めるな!」

 倒れたバロンをヴァルナが抱えて飛ぶ。

「……ヴァルナ!」

「まだ動けるか!」

「……ああ!」

「ならば行こう、奴を倒すぞ!」

 コーカサスはヴァルナとバロンを見据え、猛る。ヴァルナはバロンを下ろし氷剣を生成し、バロンは両腕に鋼を纏わせる。

「あの色の羽で戦場に来るとは……正気の沙汰ではないな」

「……油断は出来ないぞ」

「当然だ」

 ヴァルナが氷剣を振るうと、無数の氷塊がコーカサスへ飛ぶ。コーカサスは瘴気でそれらを撃ち落とし、羽をはためかせて突進する。ヴァルナがそれを迎え撃つように氷剣を振るい、コーカサスを氷漬けにして釘付けにする。バロンはその隙に開いたままのコーカサスの腹にラッシュを叩き込む。コーカサスが瘴気を放ち氷塊を粉々にすると、腹から汁を垂れ流しながらバロンへ振り向く。

「コオオオオオオオオオ!!!!!!オオオオオッ!」

「な、何だ!何がここまで……!」

「……ッ!何か来るッ!」

 コーカサスが再び角を振ろうとしたとき鋭い空気の刃がコーカサスを切り刻む。そして刃が来た方向からは、刀を持った男が一人悠々と歩いてくる。

「……ヴァーユ!」

「よお!視界が遮られて将軍ともはぐれたときは泣きそうになったが……三人揃えばたかが虫一匹!」

「オオオ……オオオオオオオオオッ!!!!!!!」

 コーカサスは不利を悟ったのか、羽をはためかせて直ぐ様パラミナの領地へと飛び去っていった。

「およ?俺らに恐れをなしたのか?」

「バカが。そんなわけがないだろう。だが確かに、最後の貴様の攻撃がバロンの連打で傷を負ったやつの戦意を折るには充分だっただろう」

「……ぐふっ……はぁはぁ……っ……一先ず、ガルガンチュアへ戻ろう……」

「ああ、そうだな」

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