第4話 命の薬

「あれだな。バーバレスの滝は」

 あれからまた三十分ほど歩いて、やっとの思いでバーバレスの滝へやって来た。

 歩き疲れているのか、足の指先が微かに震えている。その足元は、土と枯葉でまた裾が汚れている。

「確かに透明度の高い水だな。底まで見えそうなくらいだぜ」

 そう。バーバレスの滝はヴィヴィアンが言っていた通り、この国で最も清らかな水がたゆたう所だ。

 今の空は、西の方――ノーティがいる所の左の地平線が少し黄色がかっている。

 陳腐かもしれないが、透明度の高い水面下に映る景色を鏡のようだ、と例える人が多いだろう。この湖もその典型の一つになっている。

(もう一つの世界がありそうとはよく言ったもんだな)

 ノーティはこのとびっきり美しい滝と湖を少し心奪われそうな目で交互に見て、

「よし。早いとこ汲んでいって、ユリアンを元に戻してもらうか」

 ノーティは自分の荷物から、自分の手と同じくらいの大きさの瓶を二つ取り出して汲もうとする。

 ザバァァ!!

 すると、水面がいきなり爆発した様に噴き上がる。

「うわ、何だよ!」

 咄嗟に左腕で顔を覆ったノーティには、全身に水が盛大にかかってずぶ濡れになった。腕で覆っていたので、顔だけはあまり濡れなかったが。

「何用じゃ?」

 そこに現れたのは、三十メートルはあるであろう巨大な白蛇はくじゃが頭をぬらぬらと動かしながら、老人のような声色でノーティに聞いた。

「俺はノーティだ。友人と王女が危機に陥ってて、特に王女を助けるのに『聖なる水』がいるんだ。それで」

 と白蛇に毅然とした態度かつ落ち着いた声で答えた。

 それを聞いた白蛇の目つきが少し緩んだ。

「ふむ……。そう言えばここのところ、王国の方に妙な気配がしたと思ったら……。そうか」

「ああ。薬を作るのに切らしてるって言ってたんだ」

「ヴィヴィアンという娘に頼まれて、じゃろ?」

「え、ど、どうしてそれを!?」

 ノーティはびくっとする。

「私は十年前大怪我を負ったところ、彼女に助けてもらったのだ。それ以来、何かあれば彼女の手助けをしているのだ。そうか……」

 口角を上げていた白蛇が、突然真顔になり、

「ただし、条件がある」

「な、何だよ」

 また条件か? と言わんばかりに渋い顔になる。

「私を倒してみよ。『聖なる水』を取るに相応しい実力を持っているか試してやろう」

「そういう事か。面白え、やってやるぜ!」

 ノーティはすぐにトライデントを取り出して構えて、戦闘態勢に入る。

 お互い一呼吸置いて、

「いざ!」

 白蛇が叫んだと同時に、首――牙のギロチンをノーティ目がけて振り下ろす。

「おっと」

 察知していたノーティは左に避けて、

「ファイヤーボール!」

 首――特に顎目がけてフライパンくらいの大きさの火球を二発ぶつける。

「ぐ」

 白蛇は少し怯む。が、そこが少し焦げただけの様で、

「なかなかの威力だ。だが、それだけだな」

 あまり効いていないようで、クククとにやける。

「くそ。炎は効きにくいか」

 ノーティは口惜しく爪を噛む。

「私は水精の一人だ。炎など焚火に当たっているようにしか感じぬぞ」

 白蛇は少し煽るように首をくねらせる。

「さあどうする?」

(……よし。次はアレをやってみるか)

「来ないなら、こちらから行くぞ」

 白蛇がもう一度ノーティの右肩目がけて振り下ろそうとする。

「サンダークラッシュ!」

 ノーティがすかさず槍の穂先から青緑色の稲妻を放ち、白蛇の頭上目がけて落とす。

「ぐう!」

 今度はかなり効いただろう。思わず頭を下げて怯んだ。

 頭上がかなりの広範囲に焦げている。

「ぐ……。なかなかやるな。流石ハーフエルフの子だな」

「やっぱこっちが弱点か」

「反撃だ!」

 白蛇は庭石なら軽く呑み込めそうな大きな口を開いて、その口をノーティに向ける。

 すると、口から青白い光を発射する。

「おっと!」

 ノーティは必死に避ける。一回だけじゃなく、二回、三回と。

 光弾が当たった所がバシャリと水になる。

 何回か避けていったが五回目で、

「うわっぷ!」

 避け損ねてしまい、ザバアと浴びてしまった。

「うっわ、冷てえ!」

 まるで氷だ。

 コートとオーバーシャツで守られてはいるが、それでも冷たい。特に足元はサンダルだ。

「うひぃ~。しもやけになっちまう」

 ノーティは無我夢中で全身に纏わりついている雫を払う。

「ふふふ。早くせねば風邪をひくぞ」

「くそ。こうなったらもっと強力なの行くぜ!」

 ノーティはその場から離れて、穂先を地面に向ける。

 すぅぅ……。

 目を閉じながら静かに空気を吸うと、彼の足元に紫色の魔法陣が白色の光を発しながら浮かび上がる。

 光が目の辺りに当たると、ゆっくり目を開ける。その目は反射光で紫色に変わっているように見える。

 白蛇はノーティの気に軽く驚くが、隙ありと攻撃態勢に入る。だが、

「サンダーブレード!!」

 穂先から雷が噴出し、それが剣の形を作り、白蛇の頭目がけて落としてゆく。

 白蛇も対抗せんとさっきより一回り大きな氷の光弾を発射した。

 バシャーーンと雷鳴と共に雷と氷がタックルする。互いの技は一歩も引かずにぶつかり合っている。

(くぅ……。流石に強い)

 槍の柄を持つ両腕に震えが走る。

(でも俺は……ここで負けるわけにはいかねえ! アイツの元に無事に戻る為には!)

「うおおお!!」

 雄叫びを上げると、それに応えるかように剣の威力が増し、光弾を押し込んでいき、遂に倒す事に成功した。

「ぬ、ぐぅぅぅ!」

 白蛇は雷の剣をモロに喰らい、湖に浸っているところ以外が焦げた。

「ハア、ハア……。ど、どうだ……」

 お互い息絶え絶えになっている。白蛇の方が笑みを浮かべながら、

「フウ、フウ……。見事だ……。お前の実力ならば、この先もその力で友人を助けてやれると信じられる。約束だ。『聖なる水』を汲んでも良い」

「おう」

 ノーティも笑みを浮かべ、コートの裏にしまっていた瓶を取り出して、やっと汲むことが出来た。

「……ふう。なんか半日かかっている筈なのに、随分長く感じたな」

「その水は飲むと状態異常を治す事も出来る」

「お、そうなのか。んじゃあもう一瓶分汲んどくか」

(ふう。……ん?)

 ノーティが何かに気付く。それは、さっきの戦いで過度に水を浴びたせいで元気を失っていた一叢の草だった。

「……悪かったな」

 シンプルに呟き、ヒールをかけてあげる。すると、草は元気を取り戻し、また背筋が伸びた。

 それを見た白蛇は、このうら若き賢者を見る眼が大きく変わったとか。

 後、濡れた服は先程より遥かに小さいファイヤーボールを指先に灯し、なんとか乾かした。


「戻ったぞ」

 疲れを多く含んだ声を出したノーティが、ヴィヴィアンの家の扉を実家のように開ける。

「お帰りなさい」

「お帰り」

 ノーティはぎょっとした。勿論、澄んだ声で迎えたヴィヴィアンの事ではない。

 ふわふわと飛んでやって来たユリアンに、だ。

「オ、オイ、ユリアン。お前……」

「ああ。今は魂なんだよ。最初は驚いたけど、体が軽くてこれはこれで面白いよ」

「あのなあ……」

 意外と満更でもないユリアンを見て、呆れてしまうノーティ。でも、たった半日の筈なのに数年会えなかったように感じた相棒を見て、やっと安堵の息を漏らした。

「ほらよ。約束のモンだ」

 ノーティが少し焦るようにヴィヴィアンに『聖なる水』を入れた瓶を一つ渡す。

「有難うございます。これで『命の薬』を作ることが出来ます」

「んじゃあ、ユリアンを元に戻してくれよ」

「『命の薬』を作ってからです。こちらも急ぎですから」

 きっぱりと言い、ユリアンの肉体がある作業室へ入って行った。

「くそ。まだかよ」

 怒るノーティ。

「まあまあ。何も戻さないとは言ってないんだし」

「ったく」

「そうだ、ノーティ。彼女の事なんだけど」

 ユリアンは魂になった時に彼女が話してくれた彼女の過去について話した。彼女が話してくれた通りに。

 ノーティはそれをそよ風のように静かに聴いた。

「……そうか。それで彼女、お前を見た時驚いてたのか」

「……。この人がそうだよ」

 ユリアンが例のヴィヴィアンとカインの写真を指さす。

「うわ。確かに目以外はビンゴじゃねえか」

「そうだな。私も驚いたよ。ここまで似ている人がいたなんてね」

「まるで生まれ変わりだな。ここまで来ると」

 ノーティは少し冗談めかして言うが、なかなか否定できないものだった。

 二時間後、ヴィヴィアンがひし形の小瓶を両手に一本ずつ持って出て来た。

 中にはバーバレスの湖のように澄んだ青色の液体が入っている。

「出来ました。これをリリー王女にかけたら、王女は元に戻ります」

「おう」

 ノーティはしっかりと手で受けて、

「んじゃあ約束だ。ユリアンを」

「はい」

 ヴィヴィアンは銅製のスティックを取り出して、ユリアンの額に再び当てる。

 するとユリアンの魂が靄のようにフッと溶けた。

「!」

「これで器へと戻りました」

 それを聞いたノーティは、一目散に作業室へ向かう。

 入ると、作業台に横たわっていたユリアンのまつ毛がふるふると動き、目蓋がゆっくりと開いた。

「あ……」

 柱時計の振り子のようにゆっくりと頭を左右に動かし、これまたゆっくりと体を起こす。

「戻った……」

 ユリアンは自身のはっきりした色の両手を見て、安堵の声を漏らす。

「良かった……」

 そんなユリアンを見たノーティもまた同じ息を漏らした。

「……なあユリアン。俺……」

「さあ、二人とも、時間がありません。急いでステア王国へ」

「あ、ああ」

 ヴィヴィアンに急かされ、少々口惜しくしたノーティが出ようとすると、

「ちょっと待ってくれ」

 とユリアンが手を前に出す。

「……これを」

 ユリアンは自分のタートルネックに指を入れ、あるものを外してヴィヴィアンに渡した。

 それはドロップ型の薄い桃色のローズクォーツのペンダントだ。

「これは……」

「私の父の形見だ。でも、私には勿体ないし、君のせめてもの心の慰みになれるように」

「! ……有難う……ございます……」

 ヴィヴィアンの目からは大量の青紫色に輝いた涙が零れる。それはまるで宝石のようだ。

(ローズクォーツって確か……)

 ノーティは首だけ左に向いて考え込んだ。

「では」

 二人はヴィヴィアンの家を後にした。ユリアンの顔が何処となく寂しそうだったが。

「なあ。良いのか? あれ親父さんの形見なんだろ?」

「ああ。さっきも言った通り、私にはあの美しい宝石は勿体ないくらいだ。それに……」

「それに?」

「私が弱気になると、あれに縋ることも多々あった。お前が見ていないところでだったから知らないのは無理も無いが」

「……」

「もうあれに頼りっきりになるのは、自分でも潮時だと思っていたから良かったと思っている」

「そうか」

 口元は笑みを浮かべているが、目は寂し気な色を浮かべていた。

 ユリアンはそんなノーティを見て、

「さあ、急いで戻ろう」

「あ、ああ」

 ステア王国へ戻る為の吊り橋にノーティが足をかけた瞬間。

 ヒュ!!

 かまいたちのような音がしたと思ったら、その瞬間ノーティの体がガクンとエレベーターのように落ち、谷底に転落すると思ったが、間一髪ふちに捕まった。

「く……」

「ノーティ!」

 ユリアンがノーティの左腕を掴み、引き上げようとする。

「こ、これは……」

 音を聞いたヴィヴィアンが慌てて駆けつける。

「あ、あれは……」

 ふと上を見ると、黒い霧のようなものがステア王国の方へ向かっていっていた。

 はっと我に返ったヴィヴィアンは、ユリアンと一緒にノーティの左腕を掴む。

「ふ、くぅぅぅぅ」

 ユリアンとヴィヴィアンは歯を食いしばってノーティをゆっくりと引き上げた。何とかノーティは魂の手招きから逃れることが出来た。

「ふう……。すまねえ」

 肝が冷えたのか、こめかみから汗が吹きだす。

「二人とも、大変です。妙な霧が先程ステア王国の方へ向かいました」

「何だって!?」

 嫌な予感を感じた二人だが、

「つっても……」

「ああ。橋が落とされては戻ろうにも……」

「二人とも。こちらへ」

 ヴィヴィアンが自分の家の右側へ手を差し出す。ヴィヴィアンの後をついて行くと、

「こちらが王国へ戻る近道です。あまり整備されていないので、町の人は滅多に使いませんが」

 これは朗報だ。

「マジか。これはナイスだぜ、ヴィヴィアン」

「有難う」

「どうかお気をつけて」

 ヴィヴィアンの言葉に二人は頷き、急いで王国へ戻っていった。

(……。アレがい必要かもしれない)

 ヴィヴィアンは何かを予感したのか、血相変えて家へ戻っていった。

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