第3話 ノーティの過去、ヴィヴィアンの過去

一 


 ノーティが家を出てから十分後。

(……ん? ここは……。そうか、私は……)

 目を覚ましたユリアンが最初に見たのは、雲のようにふわふわになった自分の両腕だった。色もあまりはっきりしていない。

「体が……軽い……」

 歩いてみると、こちらもふわふわとスポンジの上を歩いているような感触がする。

「あ、しかも飛べる」

 まるで羽衣をまとった天女のようにバランスを取っていると、玄関からすぐ右の部屋からヴィヴィアンが出て来た。

「あ、ヴィヴィアン」

「気が付きましたか?」

 ユリアンを見て、今まで無表情だった彼女の口角が少し上がる。

「う、うん……」

 ユリアンは深呼吸し、

「どうして私を?」

「……ユリアンさん。貴方、亡くなった私の婚約者に似ているのです」

「え」

「二百年前、私が本当の二十七の時、結婚の誓いを交わしていた方がいました」

 ヴィヴィアンは曇り空のような顔で一枚の写真を見せる。

 そこに写っているのは、瞳以外はユリアンそのものの男性と顔は今と変わらないヴィヴィアンだ。二人ともとても幸せそうだ。

(確かに私と似ているな。瞳は――まるで黒曜石のようだ。絶対ノーティがいたらそのものだ、とか言いそうだな)

 ユリアンは肩をすくめる。

「名はカイン・フォリール。ステア城の騎士でした。出会って三年後、馬車の事故で亡くなりました」

 ヴィヴィアンの漆黒の瞳からぼろぼろと大粒の涙が溢れてくる。

「……よっぽど好きだったのか。彼が」

「……はい」

 涙声だが、はっきりと答える。

「少し話を変えるけど、ネクロフィリアになったのも――それがきっかけ?」

「それもありますが――死体に興味を抱いたのは物心ついた時です」

「そうか……」

 まるで自分のことのようにしゅんとするユリアンは、その後すぐにハッとした顔をして、

「そ、そうだ。今こんな姿だったんだ。私の体は何処に?」

 と慌てて聞く。

「安心して下さい。こちらに」

 ヴィヴィアンは涙を拭い、ユリアンを先程出て来た部屋へ案内する。

 そこには、木製の台座がドンと中央に鎮座していて、そこにユリアンの体がまるで棺に入っている姿となって横たわっている。服はそのままだ。

 後は、扉のすぐ左隅の机にノートが一冊置かれているだけだ。

「よく、私を運べたな」

 ユリアンが意外な反応を示す。傍から見たら素っ頓狂かもしれないが、確かに最もだ。

「これで運びました」

 ヴィヴィアンがユリアンに掲げたスティックを出すと、ユリアンの後ろからキュルキュルと音を立てて、車椅子がやって来た。

 それは車椅子ではあるが、背もたれに感知装置がついていて、その上にアンテナ。

 肘掛けと背もたれに金の装飾が施されている。

「……成程」

 少し感心するユリアン。

 彼女、呪術専門と思いきや、意外と機械の方も取り入れているようだ。

「やはり大柄な男性ですので。勿論今までの――特に成人男性はこれで運んでいます」

「このノートは?」

「これは今までの方の出身地、名前、ご家族の方を記したノートです」

 ヴィヴィアンは淡々と答える。

 ユリアンは窓の方へふわふわと行って外を眺める。

 外は王国や付近の森から轟く雷雲が嘘の様に静穏な空気を纏い、ここへ来て初めて濃く澄んだ青空が顔を見せている。

 ここは魔の力が及んでいないのだろう。

 ユリアンは今の青空のような目で彼方にいる相棒に向ける。

(ノーティ……。信じてるよ)



「ふう……。この森を抜けたら例の滝だな」

 その頃ノーティは、『聖なる水』を求めてバーバレスの湖へと向かっていた。

 空はヴィヴィアンの家の周りのように、青絵の具を延ばしたような空が一面広がっている。

 ふとノーティが足元を見ると、やはりと言うべきだろうサンダルやボトムの裾に土が所々付着している。

 それに足が少しふらついてきた。がむしゃらに歩いたためだろう。

「ちょっと……休むか」

 少し疲れが混じった声で荷物をドサリと下ろして、近くにあった庭石くらいの大きさの石に腰掛ける。

「ふう……。ここへ来るまでに結構傷や泥も付いちまったな。あいつがいないとここまでキツイとはね……」

 ノーティの左手の甲には、今はヒールで止血はしているものの十センチくらいの切り傷が出来ている。

(無理もねえな。俺は大体は魔法で戦ってるしな)

 心で軽くぼやく。

 ふと、後ろを見ると一本の太い樹があったので、そこに軽くもたれる。

 背中から、樹の静かだがはっきりした命の鼓動が伝わる。

(……。「私がいなくとも、やって行けるか」か……。あの時の俺は、ただの軽い問いにしか思ってなかった……)

 王国へ着く前の軽々しかった自分を殴りたかった。

(そう言えば、ユリアンはどんな時でも曖昧にしなかった。軽い話でも、どんな時にでも真剣な奴で)

 メラジンハーブを一気に飲んで、その首を上に向けたまま、

(まさかアイツ。俺のそんな軽々しい性格に秘かに愛想を――。尽かされてもおかしくねえよな……)

 脳裏に怖いことが浮かび上がる。戻ってきたら「もう終わりにしよう」と言われるのでは、と。

(思えば……こんな俺を一年間支えてくれたのは――ユリアンだったんだよな)



 ノーティ・ヴィクトリーノ。

 彼は人間の父とエルフ族の母の間に生まれた。人間の父は既に他界していて、母は健在だ。

 兄弟は五つ上の兄と三歳下の弟がいる。

 出身はとある森の中にある村だ。そこはハーフエルフと人間とエルフ族が共生している。だから当時のノーティは、人間にもエルフ族にも比較的好意的だった。

 彼は――実年齢は何十、いや百年少しは経っているので、外見年齢と言うことにして欲しい。

 その彼が十七の時、旅に出た。別に喧嘩したからではない。色々な世界に触れてみたいという好奇心からだ。

 まだ母は健在だし、兄も弟もいるからあまり懸念はしていなかった。まあ、お互い多少の心配はしていたが。

 ノーティはあらゆる所を旅をして回っていた。一人であてもなく。

 最初は己の魔法や腕を鍛えていって、その時は割と順調だった。

 だが、一年くらいすると、一人旅ということもあってか、なかなか話をしたり、愚痴を聞いてくれる相手はいない。そうなると心の中には少しずつ鬱憤が溜まっていく。

 そこから徐々に荒れていった。それは魔法にも表れていて、攻撃もやたらと荒く周りにも飛び火してしまうこともしばしばだった。

 今ならあまり考えられないことだが。

 けれど、実力はあるし攻撃・回復魔法両方扱えるし、加えてあの容姿だ。老若問わず色々な女性から黄色い声が飛び交っていた。

 だが、口が悪く荒っぽい性格が災いしてすぐに愛想を尽かされるし、女性からも引かれていってしまう。

 次第にノーティは酒を飲むことが増えてきた。

 その頃になると、もう仲間を組む声も無くなり、一年のうち一人でいる事の方が多くなっていった。

 ノーティの人生の転機を迎えたのは、二十三になった時だった。

 ノーティは寄った町で夕食を取ろうとしていた。そこの町のレストランは、オープンデッキがあって外でも食べられる所だ。

「はいよ。ラムバードの唐揚げとレモンチューハイだよ」

 四十代の恰幅の良いレモンギンガムのエプロンを着けた女の人が、ノーティがいるテーブルへ持って来る。因みに外で待っていた。

 ノーティが片手で受け取ろうとすると、

「おう、すまねえな」

 と女の人の左隣から、無精ひげをたくわえて日焼けした、店員と同年代の男が割り込んできた。

「ちょっと、何するんだい!?」

 女の人が迷惑そうに皿とグラスを守る様にして注意する。

「良いじゃんかよ。俺も頼んでたんだからよ」

「オイ、おっさん。人のモノを勝手に横取りするんじゃねえよ!」

 カッとなったノーティが男に食って掛かる。

「ああ!? 何だ兄ちゃん」

 ノーティと男の目に火花が散る。周りも少し怯えの色を見せ始める。その様子に女性は慌てて店内に引っ込もうとする。

「あ、オイ、逃げんな!」

 男が女性を捕まえようとすると、

「させるか!」

 とノーティがそれを阻止する。

「くそ!」

 男は自分が座っていたテーブルに置いてあった空のビール瓶を、ノーティ目がけて振り下ろす。

「!」

 流石のノーティもやばいと思い、ぎゅっと目をつぶる。が、いつまで経っても瓶は振り下ろされない。何だ、と思って恐る恐る目を開ける。

 と同時に男がズウンとノーティのすぐ右にうつ伏せに倒れた。

「……」

 男の真後ろに、男より頭一つ分背の高い男性が足を下ろしていた。

 鎧にマント、そして腰に下げている剣からすると剣士だろう。

 その鎧の上にある顔はまるでそよ風のように穏やかで、今の嵐のような自分とは大違いだ。

「……ふう」

 男性は一呼吸置き、

「大丈夫でしたか?」

 と顔つきと同じチェロの様な低く涼やかな声でノーティに右手を差し出した。

 不思議と嫌な感じや鼻につく感じが全くしなかった。

「あ、ああ……」

 ノーティは軽く呆然としながらも、なんとか男性の手を握って立ち上がった。

(それがユリアンだったんだよな)

 その後、町の自警団が駆けつけて、酔っ払いの男は捕まった。

 あの男はかなり酒癖が悪く、酔うと色々な人に絡む性格の為迷惑がられていたのと、女性店員の証言で、ノーティはお咎め無しになった。

 その後はと言うと、頼んでいた物を店に頼んで持ち帰らせてもらい、ユリアンが泊まっていた宿について行った。

 すっかり冷めたラムバードの唐揚げにかぶりつきながら、

「その……有難う」

 と飲み込むように言う。

「いえいえ。流石にビール瓶はやばいと思いましたので」

 とユリアンは微笑みながら返す。

 ノーティは気泡が少なくなったレモンチューハイをグイっと半分ほど飲んで、

「なあ。あんた……今一人か?」

「ええ」

「そっか」

 ちょっと寂しそうな声で答える。

 それを察したユリアンは、

「良ければ、一緒に行動しませんか?」

「え、良いのか?」

「ええ。私は構いません」

「やった」


(それからアイツと組んで周っていた。半年くらいしてもアイツから別れを切り出されることは無かった。正直不安だった。いつ切り出されてもおかしくなかった事なんて数知れずだったのに)

 ノーティはぎゅっとコートの袖を握りしめる。灰色の目の視界が僅かに滲む。

(兎に角、まずは『聖なる水』を汲もう。それからヴィヴィヴァンにユリアンを元に戻してもらう。汲んできたら改めてアイツに伝えよう)

 ノーティが首をまっすぐ向けると、後ろの樹からドクン、と脈が伝わったように感じた。

 それはまるで声援のように。

「……休ませてくれてありがとな。行って来るよ」

 ノーティは樹の表面を優しく撫でてあげる。

「さて」

 パンパンと尻の周りをはたいて、トライデントと荷物を持って、改めてバーバレスの湖へと向かって行った。



 一方、そんなユリアンは、

「ねえ、ヴィヴィアン」

「はい」

 もう慣れたのか、ふわふわ~っと彼女の元へやって来た。

「その……。言い辛かったら申し訳ないんだけど、カインと言う人との出会いってどんなのだったか教えてくれないか?」

「……分かりました」

 

 カイン・フォリール。享年三十歳。

 当時のステア王国の騎士の一人。その時は、国王はマークの曽祖父だった。

 性格はユリアンとそっくりで、誰に対しても真面目で誠実。王を始め、王族や城仕えの者。周りの騎士や町の人々からも一目置かれる存在だった。

 唯一の違いは瞳だった。ユリアンは碧いが、カインは髪と同じく漆黒だったのだ。

 ある日、彼は一人でバークジャーの森で剣の練習をしていた。その時の空も今のヴィヴィアンの家の周りと同じだった。太陽は雲に隠れていたが。

「ふう。少し休憩するか」

 と傍に置いてあった水の瓶を手に取ろうとした時、

「キャアアア」

 と左の方から悲鳴が聴こえてきた。

「何だ!?」

 と声がした方へ急いで向かってみると、そこには二体のマンイーターが今にも女性――ヴィヴィアンに襲い掛かろうとしていた。

「キシャアア!」

「くっ」

 赤と青のうち、青の方がヴィヴィアン目がけて牙を剥けてきた。

 ヴィヴィアンは、もうこれまでかと思い、目を瞑る。

「させん!」

 カインがすかさず縦切りで、青マンイーターを真っ二つに斬る。

 その刃はまるでかまいたちのようだった、と後に彼女は語る。

 真っ二つになったマンイーターはそのまま絶命し、赤の方も片割れの青が斬られたことで混乱し、その隙にカインが首の部分を横に斬ってこっちも瞬く間に絶命していった。

「ふう……」

 刃をカチンと綺麗な音で鞘に収め、カインは尻餅をついているヴィヴィアンに、

「大丈夫ですか?」

 とそっと手を差し伸べる。

 その時のカインの優しそうな顔と先程の剣さばきは、ヴィヴィアンの心を射抜くには十分だった。

 ヴィヴィアンはトマトのようになりながら、おずおずと手を差し出した。

 ぎゅっと握った瞬間、まるで血が逆流したかと思った。

「あ、有難うございました……」

 緊張してしまい、やっと絞り出した声で礼を言う。

「いいえ。危機に陥っている人を助ける事は、騎士として当然ですから」

 カインは誰にでも向けるであろう笑顔で答える。

 ヴィヴィアンはそんな笑顔でも、頬を更に赤く染めて、

「で、では、私はこれで」

 と照れをひたすら隠すように足早に帰った。

 家へ戻ってからは、火照った頬を冷ますのに精いっぱいだった。

 必死に胸に留まっている熱を冷まそうと必死に考える。

「あ、そ、そうだわ。ワンピースが……」

 襲われて尻餅をついた時に土で汚れてしまったワンピースを洗いがてら、シャワーを浴びることにした。

 ザアア……。

 金の装飾のシャワーから降り注ぐ湯を頭から浴びる。

 ほわほわと湯気が下から立ち込めて、そこが霧のようになる。

 暫く浴びていると、少しずつ火照った頬が冷めてきた。

 今までヴィヴィアンは人に対して――いや、正確には生きている人に対して恋心を抱いたことが無かった。

 ずっと恋慕を抱いていたのは、死体に対してだった。対象は意外にも幅広く、男だけでなく老人にも子供。時には女性にも。

 生きている人に対しては、親しくしたいと思ったことはあっても、先にも書いたように恋愛感情までは抱いたことが無い。そんな自分がまさか生きている男性に恋をするとは思いもよらなかった。

「また……会えるかしら……」

 湯気のように呟きながら、シャワーのノズルを捻って湯を止めた。

 髪を乾かして鏡で己の姿を見ると、もうすっかり火照りは冷めていた。


 あれから一週間が経った。再会はあまりにも早く、突然だった。

『!!』

 なんと二人はステア城下町でばったりと再会した。ユリアンとノーティが立っていた城前の噴水で。

 二人はお互い買い物をしていた。

 カインの服は、休暇中の為か私服だった。これが偶然にもユリアンの鎧を外した時の格好と同じだった。

「あ、あの時の」

「あ、はい。先日はお世話になりました」

 ヴィヴィアンは慌てて会釈する。

「そういえば、まだ名前を教えてませんでしたね。カイン・フォリールです」

「あ、ヴィヴィアン・ランドルフです」

 ヴィヴィアンも名乗る。

「え、えっと……」

 必死に言葉を紡ごうと頭を回転させていると、カインがその様子を見て笑み、

「よろしかったら少し話しませんか?」

 とヴィヴィアンを町の角にあるレトロな外観の喫茶店へ連れて行く。

 カララン、と新しさがある涼やかなベルの音が、二人を出迎えてくれた。

「いらっしゃい」

 出迎えてくれたのは、四十代の夫婦であろう男性と女性だ。男性はカウンターの奥にいる。

「おや、カインじゃないか。ヴィヴィアンちゃんも一緒なのかい?」

 奥さんが快活そうな声で二人に言う。

「女将さん。彼女を知ってるんですか?」

「ああ。彼女には世話になってるからねえ」

「世話に?」

「ああ。それは……」

 ご主人が少し戸惑いながらヴィヴィアンに目を向ける。話して良いかと言う事だろう。

 ヴィヴィアンは「構わない」と視線だけを送る。

「この子、ネクロフィリアでね。あっしらの親の体を預かってくれてるのさ」

「へえ……」

 とカインは少し驚きながらも学者のように感心する。

「時々会いたいからねえ。そりゃあずっと放っておくと良くないけど、お顔を見られないのも寂しいからねえ」

 と女将さんがしみじみと呟く。

 因みにカインのご両親は、彼が十七の時に病死していて、今はお墓に入っている。兄弟はいないから、天涯孤独の身ではある。

 ネクロフィリアとカミングアウトしても、特に偏見の目を持たないカインに、ヴィヴィアンはますます惹かれていった。

「それで、今日はどうしたんだい?」

 女将さんが改めて訊く。

「はい。先日、彼女が襲われていたところを助けて、そしてさっきバッタリ会いまして」

 カインの言葉に、はにかむヴィヴィアン。

 夫婦も笑い、女将さんは奥のテーブルへ二人を案内する。

 二人ともアイスコーヒーを頼み、女将さんはまたカウンターへ戻っていった。

 ヴィヴィアンはミルクと砂糖をそこそこ入れたアイスコーヒーを一口すすり、糸で結ばれたような小さな口を漸く開ける。

「あの……」

 ヴィヴィアンは思い切って聞いてみる事にした。

「カインさんは――ネクロフィリアの事をどう思っていますか?」

「え?」

 カインは少し目を開く。

「ネクロフィリアは死体を好みます。中には不気味に思われ、畏怖の対象になります。私自身はあまり恐れられたことはありませんが、数少ない同業者の人は、それで追放された人もいるくらいです」

 確かにステア王国の者は、何度も書いている通り、ネクロフィリアには特に偏見も無く、むしろ世話になっていている人が多いからか、彼女を厄介者扱いする人はまずいない。

 それでも、だ。死体に関わっているから、中には異端者という目で見られることも少なくない。人はいずれ死を迎えるとは言え。

 カインはヴィヴィアンの話を目を伏せがちにして聴きながら、ブラックのアイスコーヒーを一口すすり、

「……そうですね。確かに世の中には幾多の頭の固い人がいます。でも、私は嫌とは思いませんよ。亡くなった大切な人を思う気持ちは分かりますから。まあ、私自身はきっちりと弔いたい派なので、火葬させて墓石へ埋葬させますが」

 相手を尊重しつつも自分に意思をアサーティブに言う。そういうところもユリアンと似ている。

 カインの言葉を聴いたヴィヴィアンは、安堵の色に包まれながら、

「そうですか……」

 とだけ返す。

 それからと言うと、少々長くなるのであらすじのようにざっと話していこう。

 その後は、今何をしているかとか、家族の思い出などを振り返っていた。

 二人は幾度も会うにつれて、少しずつ愛情が芽生えてきた。まるで種から花へ成長していくように。

 そして二年後、遂に婚約まで持ち込んだ。国中からも前祝いの祝福をいただいて。

 そしていよいよ明後日に結婚式を控えていた三か月後、その悲劇がヴィヴィアンを襲った。まるで大地震の後の津波のように。

 その日、ヴィヴィアンは薬草を採りに行っていた。勿論、バークジャーの森でだ。

「……」

 だが、ヴィヴィアンの顔には不安の色が浮かんでいた。その不安は、結婚を控えているからの不安と周りからは取れるだろうが、彼女自身は少し違っていた。

 何と言うか――これから自身に大きな厄災の雷が落ちて来そうというものだった。

 今は雷まで鳴るほど天気も別に悪くはない。確かに薄墨で塗ったかのような曇り空ではあるから日差しは弱いが。

 兎に角、長方形のバスケットに入っている大小バラバラの薬草が、バスケットの三分の二ほどになったので、一度家へ戻ろうとしたその時、

「あ、ヴィヴィアンさん。良かった、ここにいたんですね」

 彼女の元に、青い顔をしたカインの同僚の若い男性騎士が息を切らして駆けてきた。

 彼は婚約前にヴィヴィアンとは二、三度会っているので、顔馴染みなのだ。

「ど、どうしましたか?」

 彼の顔を見て、何か良からぬことを察したヴィヴィアン。

「カインが……、カインが……」

「カインさんがどうかしましたか?」

 向こうがあまりの惨劇なのだろうか、同僚騎士の唇がひどく震えている。

 そして、漸く少し収まった唇で、

「カインが……馬車の……事故で……」

 とこれまた音叉のように震えている声でなんとか一言ずつ紡ぐ。

「え……」

 ヴィヴィアンは察したのか、薬草を入れていたバスケットの手を放してしまった。

 バスケットからは、滑り落ちた薬草が、まるで枯葉のようにばらまかれた。

「ま、まさか……」

 ヴィヴィアンの顔も、同僚騎士と同じ様に青ざめる。

 同僚騎士は頷きながら、

「……勤務が終わって、今日は休もうと城へ戻ろうとした時、突然暴走した馬車がカイン達のところへ突っ込んで来て……」

 とまだ震えの止まない声で続ける。

 あの時の妙な胸騒ぎの元はこれだったのか。

 ヴィヴィアンの頭と心では、堤防が荒波によって決壊したかのようなものだった。

 それでも、彼女は辛うじて平静を保ちながら、

「あ、あの……カインさんに会わせていただけませんか?」

 と同僚騎士に頼む。

「え?」

「確かに――今の彼に会うのは怖いです。でも、このままだと一生後悔を背負うと思います。だから……お願いします」

「……分かりました」

 ヴィヴィアンが必死に頭を下げて頼む姿に、同僚騎士も彼女の意思を汲んで彼女をカインの元へ連れていくことにした。

 通されたカインの部屋は、何も音の無い静寂に包まれている。その奥のベッドに確かに彼は――いた。

「カ、カイン……さん……」

 そこにいたカインは、白い衣に身を包み、蝋人形のような肌で静かに横たわっている。

 死に化粧で多少は消されてはいるが、左頬にうっすらと青紫色の打撲痕がある。

 もうこれがただ眠っているだけではないことは、ネクロフィリアのヴィヴィアンだからこそ分かるのだ。

「貴女が来る少し前に、寝かせたばかりだそうだよ」

 同僚騎士の言葉を皮切りに、必死に食い止めていた堤防が一気に決壊した。

 膝を崩し、カインの体を包んでいるシーツに顔をうずめてひたすら泣き続けた。

 この悲惨な光景を生み出している夜が明けるまでずっと……。

 そんな彼女を止める者は勿論おらず、もらい泣きをしながら後ろでみつめていた。


 そして夜が明けた。

 地平線が橙色を持ち、やがて朝陽が昇ってくるのを、瞳の奥で感じ取ったヴィヴィアンが涙を拭い、立ち上がった。

 その目は赤く充血しているが、目つきは剣のように真剣になっている。

 最後にカインの体にそっと手にかけて、テーブルを拭くように触れ、指を離した。

(有難う……。そしてさようなら)

 それから、間もなくして城でカインの葬儀が執り行われた。国中から献花として白い花がカインに贈られた。

 ステア王国では、種類問わず白い花を献花として捧げるそうだ。

 ヴィヴィアンは白いバラを彼の頬に贈った。

 カインの遺体は国中の人によって手厚く葬られた。火葬で。

 これは、カインが亡くなる一週間前にカインから、こう頼まれていたのだ。

「もし、私が亡くなったら、燃やして弔って欲しい。未練を残してほしくないのだ。貴女にも、周りにも、私自身にとっても」と。

 ヴィヴィアンはその時少し迷っていた。まさか寿命で亡くなるにはまだ早すぎるし、今の現状が起こるなんて露にも思っていなかったからだ。

 だが、婚約者の約束を無下にしたくなかったヴィヴィアンは、これを受けた。

 確かに種族を考えると、先に亡くなるのは人間であるカインだという事は分かっていたから。

 カインのお骨は骨壺に納められ、フォリール家の墓石に埋葬された。

 それ以降彼の命日には、ヴィヴィアンは欠かさず銀色のロザリオを握りしめて祈るようになった。もう、この事故を目の当たりにした者は皆亡くなり、知る者はヴィヴィアンのみだ。



「あれから百年。私は一度たりとも彼を忘れた事はありません」

 静かだが、はっきりとした声色で締めくくる。

「……」

 話を聞き終えたユリアンからは、碧海のような涙が零れてきた。その時の光景を知らなくても、頭に走馬灯のように浮かんできた。

 今は恋人はいないからそれに関しては、確かに彼は疎いが、もしも未来に恋人が出来て、同じようなことになったならば、どれほど悲しい思いになるだろう。

「ユリアンさんがここへ来た時、本当に驚きました。一瞬、カインさんが生きて帰って来たのだと思いました。勿論すぐに別人だとは分かりましたが」

「……そうか」

 ユリアンは、まるで元に戻ったかのように左腕で涙を拭い、

「有難う。話してくれて」

 と呟く。

「……ノーティさんは、本当に『聖なる水』を汲んで戻って来るでしょうか」

 突然のヴィヴィアンの言葉に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするユリアン。

「――。あいつは必ず戻って来るさ。確かに口は悪いし、あっけらかんとしているけど、決して裏切るような奴じゃないと私は信じている」

 と真剣な顔に戻り、剣のような目でヴィヴィアンを見つめた。

 ヴィヴィアンも観念した容疑者みたいな顔になりながら、

「……そうですね。ユリアンさんの魂を肉体に戻さないと、ノーティさんに恨まれますものね」

「……うん」

 そうは言っているものの、やはり心配を隠せないユリアンは、今自分の為に必死になって『聖なる水』を探してくれている大切な戦友の帰りを窓から見つめていた。

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