光 200
ほとんど眠れないまま、外が明るくなっていくのを感じてた。
秋の虫が大合唱だなとか、鳥の鳴き声がし始めたとか。
目を閉じてたらもしかしたら寝れるかもしれないって期待を込めて閉じてた目を、もういいやって諦めて開けた。
鴉、居るのかな。
起きてった音がしてないからまだ寝てるかも。
ってことはまだ早い時間?鴉がいつも起きる時間より。
隣の布団の鴉を見たら、寝てるかもって予想の鴉は起きてた。目を開けてた。僕を見てた。
………眠れてない感じの、目。
「おはよう」
「………おはよう」
特別じゃない、当たり前の、普通の言葉。挨拶。
おめでとうとかだったらさ、ちょっと特別じゃん。毎日おめでとうなんて言わないから。
でもおはようって、ごく普通の、毎日、朝会う人会う人に言う、何回も口にする全然特別じゃない言葉。
それを明日は、鴉と言えない。
また言える日は来るはずだけど、明日は多分言えない。
「おはようって言い合えるって、すごいことだったんだね」
おはようだけじゃない。
全部がそう。
当たり前に言ってること、やってることって。
母さん。
ある日急にそれまでしてた当たり前ができなくなった人。
父さん。
いつからか、何でか当たり前ができなくなってた人。
当たり前は、当たり前じゃない。普通じゃない。
こんなにも、こんなにもすごいことだったんだ。
何かの弾みやタイミング、流れやできごとで、ものすごく簡単にあっけなく、当たり前じゃなくなる。
それは、天ちゃんや鴉が教えてくれたことでもあるよね。ここに来たときから。
ダメだなぁ。
分かってたつもりなのに、すぐに忘れちゃう。忘れちゃってた。
思い出して実感して後悔する。
もっともっと、僕は毎日を大事に、当たり前を当たり前じゃなく特別にしないと。
知ってるじゃん。当たり前、は、いつ当たり前じゃなくなるか分かんないんだよ。
それは急に、や、大事に特別にしそびれてる間に、だんだんどんどん、ぽろっとできなくなってっちゃうんだよ。
僕は手首にはまるミサンガを、ぎゅって握った。
「おはよう」
「………おはよ」
「おっはよー。あれ、今日はぴかるんも一緒?」
「………うん」
もう寝れないから起きようって、僕は鴉と一緒に起きて、鴉の後ろから台所に続いた。
台所では、天ちゃんが鼻歌を歌いながら朝ご飯の準備を始めてた。
かーくんといっちゃんときーちゃんは、テーブルの僕の席のいつもところ。
おはようって声をかけた。それぞれの返事が返ってくる。クワっ、おはよ、きゅう。
これも明日は。
天ちゃんは、手を止めてこっちを見た。僕たちの方。見てすぐに眉を下げた。
ふたりして眠そうだねぇって。
うん。眠い。目がしょぼしょぼする。全然眠れなくて。
「眠れなかった?」
続く声が、果てしなく優しい。
うん。眠れなかったよ。
寝たのってどれぐらいだろ。ほんの数時間。
鴉も僕も答えられず、僕は天ちゃんの足元に視線を落とした。
そこに聞こえる、そっかって声。
天ちゃんの声が今日はずっと優しくて、僕はまた、手首のミサンガを、手首ごとぎゅって握った。
今日の朝ご飯に、天ちゃんはオムレツを焼いてくれた。
オムレツは、ここに来て最初の朝ご飯のメニュー。
天ちゃんはそれを覚えててくれて、敢えてそうしてくれた。
最初のメニューが最後のメニュー。
天ちゃんと鴉にびくびくしながら、天ちゃんと鴉に衝撃を受けまくった最初。
あれから何回も食べたのに、食べたら泣いちゃいそうなのは、一旦の最後だから。
「大丈夫だから、食べよ?」
オムレツを見て色々思い出して固まってたら、優しい優しい、天ちゃんの声。
今日ずっとこの声なの?って。
そんなの余計最後って泣いちゃうじゃん。
そう思ってたら、くんって。引っ張られる感じがした。横から、服を。
重みが、急に来て。
横を見たら、鴉だった。
鴉がこないだみたいに、僕の服をつかんでた。
「………鴉?」
顔はオムレツを見てるのに、手が僕の服。
………鴉。
初めての、こと。
鴉にとっては。これも。
これって言うのは、『別れ』。誰か、との。人間、との。
ずっとこの山で、天ちゃんと暮らしてきたんだから、そうなんだよ。初めて。
一方僕はっていうと、『こういう』別れ、は、そりゃ初めてだよ。
でも、人との別れっていう大きい意味では、括りでは、知ってる。
………しっかりしよう。鴉のために。
よしって僕は、ふたりに見つからないよう、気合を入れた。
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