鴉 198

「疲れた?」

「………いや。くさかった」






光の頭に鼻を埋めてにおいを嗅いでたのに、光は怒ることなくじっとしてた。






正直ありがたかった。






『杏奈さん』や『杏奈さん』の店は大丈夫だけど、一歩外に出れば色んなにおいがしてて、それは俺にとって『悪臭』だから。






口直し、ならぬ、鼻直し。






光の、消えることない悲しいにおいとひなたのにおいで、鼻をいっぱいにする。



くさいにおいと一緒に吸い込んでたみたいな淀んだ空気が、光のにおいで消えてく。



………気がする。






そういうのを分かってくれてるのか、分かろうとしてくれてるのか、光はくさかったって言った俺に、そっか………って言って、やっぱりじっとしてくれてた。






これ。におい。



これもスマホでとって保存できたらいいのに。写真みたいに。






なんてことを思いつつ、光のにおいでくさいにおいを鼻から身体からせっせと排出してたら。






「ぴかるん、今日鴉とデートする〜?」






天狗が言った。






わざとか。



それはわざとか天狗。敢えて使ったのか。『デート』って言葉を。



そんな言葉を使ったら光は。






「はっ⁉︎デート⁉︎」






ほら、見ろ。






光は俺から逃げるみたいに、急いで、焦ってぱって離れた。






もうちょっとでにおいが完全にすっきりだったのに。






思わずじろって、天狗を睨んだ。



俺の視線に気づいた天狗が、あって顔をして視線をそらした。






「あ、えーっと、神社。行く?行くなら天ちゃんお弁当作ってあげるけど」

「天ちゃん‼︎神社なら神社って言ってよ‼︎」

「え〜?だってデートみたいなもんじゃ〜ん。ね?鴉」

「………」






デートでも神社でも何でもいい。






明日の、光が居る目一杯の時間、見えるところに、手が届くところに光が居てくれれば。






「行くのか?神社」

「うん。行こうと思ってる。棘岩も。明日は行けるか分かんないから」

「じゃあ俺も行く」

「大丈夫?疲れてない?」

「今日はそんなに疲れてない。くさかっただけだ。だから行く」

「………うん」

「よしっ、んじゃオレはお熱いふたりのためにおいしいおいしいお弁当作ってくるねっ。それ、ぴゅーんっ」






ぴゅーんって言うのと同時に天狗は家までの短い距離を走って、逃げるみたいに急いで中に入って行った。






もうって、天狗が入ってった玄関に光が言ってる。






天狗が家に入ってったからって、もう一回鼻直しを、は、無理だろう。






「光」

「ん?」

「『杏奈さん』が、光の写真見て超かわいいって」

「へ⁉︎」

「光の写真ないのか聞かれたから、見せた」

「うえええええっ⁉︎写真⁉︎僕の⁉︎見せたの⁉︎杏奈さんに⁉︎」

「見せた」

「見せちゃダメだよ‼︎見せちゃ‼︎」






焦ったように喚いてから、光はがくって項垂れた。



って言っても見せちゃった後だもんね。呟いて。






「………僕が行方不明になってて捜索願い出てることには」

「気づいてない。よっぽどじゃなきゃ気づかない」

「何で?」

「ニュースで出てた光の写真と、俺が見せた写真じゃ、顔が全然違う」

「顔?え?何か違う?」

「違う。ニュースの写真の光は、あんなの全然、光じゃない」

「いやいや、あれ僕だけど………」

「あれは、あの写真は、違う。………あれは何か………死んでるみたいだ」

「………え?」

「今の光は生きてる。写真の顔も全然違う。知り合いでもなきゃ気づかない」






矢が抜けた。ヘドロがなくなった。



それが大きいんだと思う。



においと一緒に、顔も。顔つきも。






『杏奈さん』が普段どれだけニュースを見てて、どれだけ光の顔を覚えてるかは知らない。分からない。



でも、『杏奈さん』は気づかなかった。



言わなきゃ、言っても、なかなか難しいだろ。気づくのは。






「………ねぇ、鴉」

「………?」

「杏奈さんが認識してる僕たちの関係って………」






項垂れた頭を起こして、光は、今度は何とも情け無い顔だった。






光の危惧。それはきっと。






「両想い」

「………な、何も言われなかった?」






俺たちが男だってことだろう。






「何も言われてない」

「僕が男子って気づいてないとか?」

「それは………ないだろ。多分だけど。分かってて言わないんだと思う。『杏奈さん』はそんなことを言う人じゃない」






断言。



これは、できる。



『杏奈さん』は男同士だからどうこうって言うような人ではない。



『杏奈さん』だけじゃなくて。他の人も。






「『杏奈さん』だけじゃなくて、『あっちゃん』も『ひなくん』もみんな、命があのひかりだって知ってそうな人たちだった。そういうにおいがする人たちだった。だから大丈夫」

「………そっか。鴉はいい人たちに出会ったんだね」

「それは違う。俺は、出会わせてもらったんだ。天狗に」






俺ひとりでやったことは、何もない。



全部天狗にやってもらったこと。お膳立てしてもらったこと。



ありがたいことに。






「光も」

「僕?」

「これからは『そう』だから、大丈夫」

「そう………かな」

「そうに決まってる。だから天狗に俺に、こいつらに出会ったんだ」






こいつら。



カラスとひとつ目と気狐。






ついさっきまで居なかったのに、どこから出てきたのか。






「うん。ありがと、鴉」






俺を見て、小さいの3人を見て。






光は目を、潤ませた。

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