鴉 197
毎日を無駄にしてきたつもりはない。
惰性で過ごしてきたつもりもない。
でも。
毎日が、時間が、こんなにも惜しいと思ったことは、こんな気持ちは、初めて味わう気持ちだった。
天狗にスマホを渡されて、俺は光の写真を撮りまくった。動画も。
もののけは写したらダメだよって言われて、天狗とひとつ目と気狐は写らないように。
それこそ光に嫌がられるぐらい。怒られるぐらい。
天狗にさえ、ちょっとやめてあげたら?って言われるぐらい。
何気なく過ぎていく一瞬をスマホにおさめて、俺はどうしたいんだろう。
これで終わり、じゃ、ないはずなのに。
『杏奈さん』のところに行く日が、永遠に来なければいいのに。
そう思った。
全部が全部、初めて味わう気持ちだらけで。
………人間って、こんなにしんどいいきものだったんだな。
自分の感情に悪酔いしそうだった。
次の日、『杏奈さん』のところに手伝いに行った。
約束の時間は朝の8時。
その日に出す数量限定ランチの仕込み。
10時が開店だから、それまでには終わらせたいって。
『杏奈さん』の想像より、俺の手際は良かったらしい。
8時5分前に光と小さいの3人に見送られて『ゆう』に着いて、10時20分前に仕込みは終わった。
「ちょっと鴉‼︎あんためちゃくちゃ料理できるんじゃない⁉︎」
「…………いや、そうでもないと、思う」
今日は天狗に送ってもらっただけだった。
前みたいに店で待っててもらうことはなくて、『杏奈さん』とふたり。
送ってもらったとき、じゃあ行ってらっしゃいの後、いつもの鴉で大丈夫って、天狗にぽんぽんって背中を叩かれた。
その言葉通り、いつもの俺で大丈夫だった。
しゃべらない俺で、表情も感情も乏しい俺で。
俺でもできることがあって、俺でも受け入れてくれる人がいる。
天狗ありきではあるんだけど、それでも。
それは微かな、でも確かな自信となって俺の中に芽生えた。
『杏奈さん』は、時間が余ったからってコーヒーをいれてくれた。
そこで『ぴかるんの写真ないの?』って聞かれて、ちょっと悩んでから見せた。
悩んだのは、光に捜索願いが出されてるから。公開捜査。
もしかしたら気づかれるかも。
って思いは、一瞬。
前にニュースで見た光の写真と今の光の写真は、はっきり言って別人。
元々整った顔立ちで、捜索願いの写真もそうなんだけど。そうだったんだけど。
何かな。違う。髪型も、雰囲気も、全然。
「うっわ‼︎何この子⁉︎超かわいいじゃん‼︎まじか‼︎『うちの子』もなかなかだけど、これはちょっと『うちの子』よりかわいいかも‼︎負けたかも‼︎うっわ、こんな子落としたのか‼︎やるな鴉‼︎しかし面食いだな鴉‼︎」
見せたのは昨日撮った写真。
大量の、何種類もの唐揚げにご満悦の光。
天狗を手伝うふりをして席を立って、正面から撮って怒られたやつ。
案の定『杏奈さん』は気づかなかった。
「ってかさ、唐揚げの量やばくない?」
ひとしきり騒いだ後のその言葉に、 ちょっと笑った。
そしたら。
「忘れてたけど、あんたも立派にイケメンだったわ」
それから『杏奈さん』に『ミサンガ』の代金を差し引いた分の『バイト代』をもらって、また手伝いに来てもらっていい?ってありがたいことを言ってもらって、いつでも電話して下さいって答えて、迎えに来てくれた天狗と帰った。
惜しい。
時間が惜しい。こんなにも。
『杏奈さん』の店での『バイト』が終わった。
光は明日の何時ごろここを出るのか。
「おかえり、鴉。お疲れさまでした」
前回同様外で待っててくれた光に、ただいまって言って俺は。
光の頭に、鼻先を埋めた。
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