光 186

 いつもだけどね。



 鴉と居て、黙った時間がずっと続くのは。



 多いよ。よくある。あるある。普通。






 でもこれは、この沈黙はいつもと違う沈黙。



 痛い沈黙。






 僕が言った言葉に、黙ってる鴉。



 ずっと黙ってる鴉。






 今僕が鴉の上に乗ってて、顔が見えない状態だから余計に痛く、長く感じるのかも。






 待つ。






 何か言ってくれるのを。



 次の言葉を。






 待つ。






 待ってる。






 待ってるのに。






 鴉はちっとも答えてくれなくて、僕は思わず催促した。






「………何か言ってよ、鴉。何で黙ってるの」






 その催促にも、少しの間返ってきたのは沈黙だった。



 寝てないよね?って思うぐらい。






「………おりて、どうする?」






 寝てたらどうしよう、なんて、本気で心配になった頃、鴉はやっと反応してくれた。



 長いフリーズだった。






 山をおりる。帰るってことは言ってあるのに、の、フリーズは、もし矢が抜けたらもうすぐだから?来週。ってことはあと数日。何日か。






 おりて。



 山をおりて、から。






「家に行きたいけど、家があるか分かんないし鍵もスマホもないから、とりあえず警察に行く」






 言ってて自分でもびっくり。



 家があるか分かんないって。






 ………うん。分かんないんだ。



 ないかもしれないって、僕はちょっと思ってる。



 建物としてはあるんだけど。そうじゃなくて。






 もう、『うち』じゃない可能性が、さ。






 ないって。僕は言えない。



 見たよ。父さんが僕を探してるっていうニュースは。



 なのにね。僕は、父さんが『絶対』僕の帰りを待っててくれてるとは、どうしても。






「………それから?」

「父さんに連絡を取ってもらって、父さんと話す」

「………話すって」

「父さんは僕を、僕と、どうしたいのかって」






 元々仕事仕事で帰って来るのが遅かった父さん。



 それでも母さんが居た頃は帰って来てた。



 母さんが居なくなって、死んじゃって、帰って来ない日ができて、出てきて、それが続いて続いて。






 母さんだけじゃなく、僕も居なくなったあの家に、部屋に、父さんがひとりで居るところが、僕にはどうしてもどうやっても想像できない。






 それでも一度帰って父さんって思うのは。






「僕はまだ未成年だから、好きにはできない。だから正直、全部父さん次第なんだ」






 僕が未成年だからってことと。






「………光は光の父さんと一緒に暮らしたいのか?」






 鴉の質問に、どきんってなった。



 正直、それはあんまり聞いて欲しくなかった。






 僕は。父さんと。






 僕は鴉の首に絡めてた腕を解いて、鴉の上でできる限り小さくなった。






 ………僕は、父さんと暮らしたいのかな。






 自分の中で繰り返して、そして思う。



 積極的に暮らしたいとは、思わないって。






「僕が味噌汁を作ったら、父さんは何て言ってくれるかなって、ね」

「………」

「そんなことを思うぐらいには、かな」

「………うん」






 僕の返事に鴉はうんって言ったっきりだった。






 その後は僕の頭に鼻を突っ込んでじっとしてた。



 僕もそのまま黙ってじっとしてた。



 頭のにおいを嗅がれてるのに、じっと。






 この家での在り方を知ったら、あの家の在り方には戻りたくない。






 安心と不安。なら。



 そんなの比べるまでもなく、安心がいい。






 どうなるんだろう。僕。






 その日はそれからほとんど喋ることなく寝た。






 そして。






 そして。次の日。






 いつものように起きていつものように鏡チェックをした、鏡の中の僕に。首のとこに。矢は。






 矢は、刺さっていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る