鴉 185

 光は知らない。



 本当はもう矢は抜けてるってこと。



 俺は知ってる。



 本当はもう矢は抜けてるってこと。






 そう。もう矢は抜けてる。



 ってことは。






 次、来週。



 俺が『杏奈さん』の店を手伝いに行った次の日に、光は。







 心臓が、痛いぐらいにどくどくしてた。







 光が山をおりたって、それで終わりじゃない。



 これからもずっと、の、ために俺は今日山をおりて『普通の人』の見学と練習をしに行った。



 そのために気持ちを伝え合った。






 けど。






「………何か言ってよ。鴉」






 まだしがみついてる光が、俺の沈黙に何で黙ってるのって。






「………おりて、どうする?」

「家に行きたいけど、家があるか分かんないし鍵もスマホもないから、とりあえず警察に行く」

「………それから?」

「父さんに連絡を取ってもらって、父さんと話す」

「………話すって」

「父さんは僕を、僕と、どうしたいのかって」

「………」

「僕はまだ未成年だから、好きにはできない。だから正直、全部父さん次第なんだ」

「………光は光の父さんと一緒に暮らしたいのか?」






 次は光が黙る番だった。光は黙った。俺の質問に。






 しがみついてた腕を離して。俺の上にただ乗っかって。






「僕が味噌汁を作ったら、父さんは何て言ってくれるかなって、ね」

「………」

「そんなことを思うぐらいには、かな」

「………うん」






 そんなことを思うぐらいには。






 その想いがどの程度のものなのか。



 天狗しか居ない俺には、分からなかった。






 でも。






 思う何かが、そこにはある。






 光の柔らかい髪の毛に鼻をくすぐられながら、そんな風に………思った。











「あれ、また眠れてない?」






 朝。






 天狗に変な心配をかけたくなくて、いつもと同じ時間に起きていったのに、おはようよりもおかえりよりも先に言われて、ほとんど寝れなかったのが秒でバレた。






「どうした?」

「………」






 チャラくない、優しい声。



 茶化さない、真面目な声。






 黙って台所の入り口に突っ立ってる俺に、おいで鴉。コーヒーいれたげるって。






 俺はうんって、いつも光が座る椅子の横に座った。






 すぐにコーヒーは出てきて、向かい側に天狗は座った。






「光が」

「………うん」

「俺が杏奈さんの手伝いに行った次の日に帰るって」






 少しの沈黙。



 からの。






「………そっか」






 天狗は、口元に持っていったマグカップを、コーヒーを飲まないまままたテーブルに戻して、そして。






「………そっかあああああ」






 テーブルに、突っ伏した。

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