光 184

 手洗いして戻ったら、天ちゃんは着替えるために部屋に戻って行ってた。



 僕は鴉に味噌汁作るから切ってくれって、大根を渡された。



 うんって僕は、まだちょっとぎこちなく大根を切った。



 そして、これもって言われて切った大根の葉っぱと鴉が作った出汁のお鍋に入れて、味噌をといた。






 こんなこと、家でやったことがないのにね。



 僕が味噌汁、なんてね。






「鴉、味見して〜」

「しなくても大丈夫だろ」

「一応して」

「ん」






 できあがった味噌汁を小皿に少しだけ入れて、鴉に渡す。



 鴉は飲んで、うまいって言ってくれた。






 出汁をとるのはまだちょっと僕には難しくて、鴉にやってもらってる。



 でも練習して上手になったら、父さんに作ってみたい。味噌汁。食べてもらいたい。って、思ってる。






 僕がこんなこともできるようになったって知ったら、父さんは何て言うだろう。言ってくれるだろう。






 なんて。






 夢見るだけ無駄なのかな。



 父さんは、僕にどうして欲しいのかな。






「そろそろ行っくね〜」






 鴉のうまいに安心して、味噌汁の鍋に蓋をしたとこに、仕事モードでチャラさ5倍ぐらいの天ちゃんが。






 玄関に向かう天ちゃんの後を、鴉、僕、いっちゃん、かーくん、きーちゃんでついてった。











 天ちゃんの出勤はいつも不思議。






 靴を履いて外に出て、行ってらっしゃーいって見送る僕たちに、行ってきまーすって手を振ったら、終わり。



 ひゅうって風が吹いたらもう居ない。






 これってどんな仕組みなんだろう。



 化学的に証明できたり………しないか。






「いつ見ても不思議」

「だな」

「どこに着くんだろ?天ちゃんが働いてるとこらへんって、どこか分かんないけど多分人がいっぱい居るよね?見つかって騒がれたりしないのかな?」

「今日弁当屋に行ったときは、トイレに出た」

「………え、トイレ?」

「他にも『天ちゃんスポット』っていう、人気が少なくて移動に使えるところがあちこちあるって言ってた」

「そうなんだ〜。でもそうじゃないと本当大騒ぎになっちゃうもんね」

「だな」

「………ネーミングがちょっと残念だけど」

「………だな」






 天ちゃんスポットか。なるほどってそれには納得だった。



 こんなの見つかったらすごいことになっちゃうよね。



 つかまえられて、調べられたりとかしそう。






 って、天ちゃんをつかまえることはきっとできないだろうけど。一瞬で移動できちゃうもんね。






 天ちゃんの風がとまってから、鴉が玄関を閉めて、またぞろぞろ台所に戻った。






「昼に食べたけど唐揚げかチキンカツか親子丼。どれがいい?」

「唐揚げっ」






 僕に唐揚げって選択肢を与えたらダメだと思うって、答えてから思った。






 夜ご飯の話。



 選択肢に唐揚げがあったら、僕は迷わず唐揚げを選ぶ。答えてから気づいた。






「即答か」






 あんまりにも即答過ぎたらしくて、鴉が笑った。






「お昼に食べたお弁当屋さんの唐揚げも美味しかったけど、鴉の唐揚げ美味しくて大好きだから」






 今までも好きだったけどそこまでの推しじゃなかった唐揚げを、即答レベルで推す理由はそれだけ。






 鴉の唐揚げが美味しくて大好き。






「光が来てから、うちの唐揚げ率上がった気がする」

「美味しいからいいじゃんっ」

「天狗もやたら鶏肉買ってくるし」

「え、僕が唐揚げ好きなの、もしかして天ちゃんにもバレてる?」

「っぽいな」

「そんなに分かるかなぁ」

「分かる」

「そっかぁ」






 そんなに推してる要素を見せた覚えはないんだけどなぁ。



 って、僕が多分、思ってるだけなんだよね。



 鴉は見てないようでめちゃくちゃ僕のこと見てくれてるし、天ちゃんも。



 ふざけたり僕で遊んだりしてるのにね。見てくれてる。しっかり。






「けど何かさ、嬉しいよね。そういうの」

「………?」

「特に聞くわけでもなく、毎日見てる中で僕が好きなのはこれかな?って考えて作ってくれたり、買っておいてくれるって。天ちゃんもだけど、鴉もありがと」






 あれ?唐揚げの話からしみじみしちゃったよ。



 唐揚げの話どこ行っちゃった⁉︎って、ちょっと恥ずかしくなった。鴉の方が見れない。






 っていう僕を分かってくれたのか、鴉が僕の頭を、いつもよりくしゃくしゃって、撫でた。










 ちょっと僕は、はやまったかもしれない。



 ちょっとやっちゃったかもしれない。






 ご飯も片付けもお風呂も毎日恒例の鴉による僕の髪の毛乾かしも終わって、鴉がソファーに座ってタブレットを見てたから、ありがとうって言葉だけじゃなく何かって、僕にして欲しいことない?って。聞いたんだよ。






 不思議そうに首を傾げられて、えっとねって説明をした。






「今日は鴉すんごい頑張ったし、僕『これ』もらったし、さっき天ちゃんから助けてもらったし、唐揚げ作ってくれたし。だから、ありがとうだけじゃなくて、何かないかなって」

「部屋の掃除、してくれたんだろ?」

「それはじっと待ってるのがイヤだったから」






 掃除は、鴉まだかなあ、早く来ないかなあって、時計を気にしてタブレットを気にして、じとーって待ってるのがイヤだっただけ。



 だからそれは何かやったっていうカウントにはならない。






 ドライヤーを片付けて戻ってきた僕は、鴉の横に座った。



 そうだ、写真。天ちゃんから送られてきた写真。



 もう一回見よう。鴉にも見せようって。






「………本当に山をおりたんだよね」






 鴉が持ってるタブレットを横からいじって、天ちゃんから送られてきた写真を開く。



 それを見て。



 普通に街中やお弁当屋さんに居る鴉を見て。






 本当におりたんだ。行ったんだ。



 ここに居ることが自分にできる親孝行って言ってた鴉が。






「………こわかった?」






 聞いたのは、何でだろう。



 僕は、それを聞いてどうしたいんだろう。






「………こわかった」






 思い出してるのかな。



 思い出したのかな。






 それは、小さい声だった。






「………そうだよね。こわい、よね」






 こわい。



 こわかった。



 でも行った。鴉は。生まれて初めて、天狗山以外のところに。






 そうだよ。初めてのところに行って、初めてのことをやってきたんだよ。鴉は。



 それにはどれだけの勇気が必要だった?想像もつかない。






 でも僕は違うじゃん。



 僕は戻るだけ。



 元いたところに。






 それでも、それが僕は。






 こわいんだ。






「光」

「………ん?」






 呼ばれて気づいたらタブレットの画面はもう消えてた。






 僕はもう、帰らなきゃいけない。



 もう矢は抜ける。から。






 それでちょっとぼんやりしてた。



 ぼんやりっていうか、帰らなきゃって。



 そこに飛び込んできたのが。






「触っていいか?」






 って、鴉の声で。言葉で。






「さっ………触る⁉︎何で⁉︎何を⁉︎」






 どこからが声に出してて、どこからが心の声か分かんないぐらい、僕は焦ってびっくりしてこわくて鴉から思わず離れた。






「変な意味じゃない。ごめん」






 本当にすぐ。



 感情がほぼ顔に出ない鴉が、きゅって眉間にシワを寄せて謝ってくれた。






 鴉は、大丈夫だよ。



 僕のこういうのを、気持ちを、僕が今何を思い出して何で離れたかを、僕が思うよりずっと正確に分かってくれてる。






 僕は自分に言い聞かせた。






「光にして欲しいこと。ハグってやつがいい」






 ハグ。






 僕にして欲しいことのリクエストが、ハグ。



 ハグって‼︎






 えええええ⁉︎って思って、もっと他に何かないの⁉︎って思って聞こうとしたら、先に鴉が、それか光のにおいを………なんて続けたから、被せ気味にハグでお願いしますって。



 言っちゃったんだよ‼︎僕‼︎



 ハグとにおいを嗅がせて、なら、ハグの方がまだ‼︎って。






 なのに鴉は。






「においを」

「ハグでっ」

「にお」

「ハグ‼︎」

「………して欲しいことって光が言ったのに?」

「言ったのに‼︎」






 全部なんか言わせるものか‼︎って、全部に被せ気味に断固拒否。



 鴉はなかなかにしぶとかった。






「そんなに?」






 こっちは必死なのに笑ってるし‼︎






「そんなに‼︎」

「じゃあ、ハグ」






 しぶとくにおいにおいって言ってたのに、あっさり鴉はハグに乗りかえて、来いってミサンガのはまる手首が引っ張られた。






 無愛想にぼそっと、来いって。来いって‼︎






 僕は鴉の、僕より広くて厚い胸板の上に乗せられて、うぎゃあああああ。思わず叫んだ。






「言ってからしたのに何で騒ぐ」

「慣れてないから‼︎」






 咄嗟にそう言ったけど、本当は違くて。



 ううん。違くないけど違くて‼︎






 はやまったよね?ハグかにおいかでハグにしてもらったけど、絶対僕はやまったよね?



 やっちゃったよね?






 来いでぐいっにも、何そのカッコいいの⁉︎ってうぎゃあああああ。



 そしてこれも。







 ソファー。



 鴉は浅く、半分ぐらい寝転がってるみたいな恰好で座ってて、僕はその上。



 肉布団的な。



 肉布団なら経験済みのはずなのに、肉布団とハグの認識の違いでうぎゃあああああ。






 色々を思い出しての感情はゼロ、とは言わない。言えない。



 アレをなかったことにはできない。



 でも、今は。






 どきどき。



 めちゃくちゃどきどき。



 何かすごいことしちゃってるのかもってどきどき。






「してて大丈夫か?」

「………緊張してていいなら大丈夫」






 僕が身体を強張らせてるのを見かねたのか、確認。






 そういうとこ。



 鴉だよね。






「こうしてるだけだ」

「………うん」






 そしてハグの腕は解けた。






 ………そういうとこ。



 本当さ。






 ってね、ううって思ってたんだよ、僕。




 いつまでも僕はこんな風でって。



 思ってたんだよ‼︎



 なのに、腕を解いて鴉が何したって‼︎






「におい嗅いでるじゃん💢」

「気のせいだ」

「もうっ」






 鴉は僕の頭に鼻を突っ込んで、鼻で僕の頭をぐりぐりした。






 これは絶対残念行為。



 なんだけど、残念なだけに緊張がゆるんだのも事実。






 そうだ。この人は鴉。






 そしたら自然とね、身体の力が抜けた。






 なら、最初からハグじゃなくて、におい嗅ぎにすればよかったのかも………とは、あんまり思いたくない。






「お疲れさま。鴉」

「………うん」






 居間に、静かな空気が、流れた。

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