鴉 145

「鴉のそれはどういう気持ち?」






 めちゃくちゃ悲しい顔のまま、それでも俺を真っ直ぐに見て、光は聞いた。






 どういう気持ち。






 聞かれても。



 何て答えていいか分からない。



 光に対する気持ちに名前をつけられるほどの経験が、俺にはない。ゼロ。






「もし、鴉のそれが恋愛を含んでるなら、僕にはそれに応えられないよ」

「………」

「それは、鴉も僕も男だからって理由じゃなくて………それは、僕が襲われて汚されて汚くて、もう二度と『そういう風』に触れられたくないし、触れたくないって思ってるから」






 汚されて、汚くて。






 そんなことないって、そんなこと思ったこともないって、いくら俺が言ったところでなんだ。光にはきっと届かない。



 だからそれについては何も言わなかった。



 言わなかったけど、そんな悲しいこと言うなって、悲しかった。






 ふうって、息を吐いた。



 考えるために。






 俺の、光に対する気持ちに、恋愛が含まれているのか。






 恋愛?






 そんなの、分からない。



 恋愛って何だ?






 いや、知ってる。



 好きって言って相手もそうで、ふたりで出かけたり一緒に何かしたり、恋愛関係の相手としかしないスキンシップをしたり。






 それが、俺の知ってる恋愛。昔テレビで見た。



 だから光が言ってることも、分かるは分かる。理解できる。



『そういう風』が示す意味も。






 触れたくない。触れられたくない。






 そりゃ思うだろ。光は。






 俺はすごく普通に俺は思うよ。そりゃそうだろって。






 それは、見たから。



 光がうなされてるのを。



 見たから。



 光が全力でイヤがってるのを。






 なのに無理矢理力で捩じ伏せられて、襲われて。






 俺が光にそういうことをしたいと思ってるって思われてるのか?今はともかく、いずれ、でも。



 そして俺は、光にそういうことがしたいっていう意味の気持ちを持ってるのか?






「………この僕じゃ、鴉に何もできない。してあげられない。だから」

「それは違う」






 今の今までろくに何も返事ができないでいたのに、鴉に何もできない。してあげられないって言葉には即否定の言葉が自然と出た。



 まだ何か言おうとしてるのに。遮って。






 本能的に続きを聞きたくないって思ったのも、多分あった。






「光は俺にできる。できてる。してくれてる。いっぱい」

「できない。できてない。してあげてない」






 拒否。拒絶。






 そこに大きく、見えた気がした。壁、みたいのが。






 光はここに来た当初に比べたら、遥かに俺や天狗に心を許してくれてる。懐いてくれた。



 でも、根底は拒否で拒絶。そう。最奥では。こうやって。






 俺や天狗、カラスやひとつ目や気狐、ネコマタがどんなに手を伸ばしても。






 絶望は蓄積。






 天狗の言葉が、その通りなんだ。






「光は、俺が初めて出会った人間。光は俺を見てくれる。俺と話してくれる。俺に笑ってくれる。世話を焼かせてくれる。知らない色んな気持ちをくれる。光が居るだけで俺の世界が全然違う。変わった。変えてくれた」

「………そんなの、たまたま僕だっただけじゃん」

「そうかもしれないけど、今、俺の目の前に居るのは光だ」

「何もできないんだよ?」

「だからいっぱいできてる」

「もし恋愛感情になってもだよ?」

「俺は光が居るだけでいい」

「全然触れないんだよ?」

「………?触ってる。頭も撫でてるし抱っこも何回もしてる。抱き枕だって」

「鴉、意味分かってる?」

「………?」






 分かってる?って聞かれて、え、俺、分かってるつもりで実は何も分かってないのか?って分からなくなって、思わず助けを求めるみたいに天狗を見た。






 天狗は。






 天狗は。






 天狗は俺と光を見てなかった。こっちをまったく見てなかった。



 天狗はテーブルに肘をついて頭を抱えるみたいにして。






 ………笑ってた。肩を震わせて。






「ちょっと天ちゃん⁉︎人が真面目に話してるのに何で笑ってんの⁉︎」

「………いや、ちょっとふたりの会話が面白くて」






 ぶふふふって、堪えたせいか変な笑い。






 俺がやっぱりおかしいのか?






 天狗や光的におかしくても、俺的には全然。






 光を、特別な存在だと思う。



 光は俺が拾った小さいの。俺が初めて出会った人間の、大切に世話をしたい小さいの。






 光が居ない世界はイヤだ。



 光が居るところがいい。



 そのために山をおりなければならないなら俺はおりる。



 山をおりて光が何かに困って、俺にできることがあるなら俺はそれをやる。そんなもしものために知識が必要なら、そんなのいくらでも勉強する。






 頭を撫でる。撫でたいから。



 抱き締める、も、やる。そうしたいから。






 ただ、それ以上は。






 できるはずがない。



 しようとも思わない。



 考えたこともない。






 光がイヤだと思うことを、何で俺がやるって光は思うんだ?






「だから言ったでしょ?ぴかるん。鴉は仙人みたいな子だって」

「言ったけど‼︎………え、ちょっと待って。僕、鴉って僕のこと『そういう意味』で好き?ってちょっと思って、だから先手で言っとこうって思ったんだけど、違う?違うの?もしかしてこれって僕の超恥ずかしい勘違い?」

「大丈夫だよ、ぴかるん。オレも『そう』かなって思っていつも見てるから」

「そうだよね?そうでしょ?」

「うん。たださ、そこは相手が鴉だからね。普通の恋愛とは全っ然違ってくると思うよ?それに」

「………それに?」

「ぴかるんも鴉のこと『そう』だよね?」

「へ⁉︎」

「………え?」

「天ちゃん、ふたりは両想いって踏んでるけど。………違うの?」






 天狗と光の会話についていけなくて黙ってた。



 俺の理解の外をいく会話。



 が、最後、そうなって。






 ニヤリ。






 天狗の顔。






 え。






『ふたりは両想い』。






 何だ、その言葉は。






 意味が分からないのに何故かどきんってして、光を見ようとしたときだった。






 カアアアアアッ………






 ばさばさばさばさっ






「………っ‼︎」

「かーくん‼︎」

「カラスっ‼︎」






 俺は顔面に、カラスの体当たりを食らった。

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