鴉 134

「何で鴉が泣くの」






 とりあえず泣き止んだけど、まだ鼻をぐずぐず言わせてる光が、俺にくっついたまま言った。



 くっついたままというか。






 ぐったりしてた。






「………光が、悲しいから」






 もう今日は離さないからなって勢いで俺は光を抱き締めてて、そのまま頭を撫でながら言った。






「………うん」






 力なく光は頷いた。






「………悲しい」






 泣き過ぎて疲れてるだけなのか。



 焦点の合わない目にも、力を感じない。






 それは、ここに来たばかりの光のようにも見えた。



 この山にその命を捨てに来た光に。






 光は力なく目を閉じて。






 ………そのまま、眠った。











 光が心配すぎて、その後俺は眠れなかった。



 光が心配すぎて、光が眠った後も2時間ぐらい光を抱き抱えてた。



 さすがにあちこち痛くなってきて布団におろしたけど、光が心配すぎておろした後も抱き締めてた。






 光はわりと寝相が悪い。






 前に添い寝して、もう二度と添い寝はしないって思ったぐらい。






 なのに今日の光はぴくりとも動かなくて、それが俺には心配を通り越してこわくて、とにかく光から離れることができなかった。






 天狗が帰って来たのも音で分かった。玄関。



 今日のこれは話した方がいい。絶対に。



 でも、光を離せなくて部屋を出て行けなかった。






 そしたら。






 天狗がこっちに来る気配が、した。






 光がうなされるようになってから、天狗がここを覗くことが時々ある。



 でもいつもは、『帰って来てすぐ』では、ない。



 いつもは風呂が優先。



 天狗は山の下でついたにおいを先に落とす。






 なのに。






 何で。



 今日に限って。






 光が激しくうなされた、今日に限って。






「鴉、何があった」






 襖。






 開くと同時に。






 光に何か起こってる。



 どくんって、ものすごくイヤな感じに、心臓が反応した。






「天狗」

「何があった?」






 ここまでの天狗を見るのは、初めてかもしれない。



 いつもとはもう別人の域だった。



 にこりともしない。鋭い声。空気。






 俺に本気で怒ったときだって、もっと『人間味』みたいなのがあった。






 だから余計にイヤな感じしか感じない。



 カラスと気狐が寝てないことにもそこでやっと気づいた。






 ふたりが光を見てる。






 改めて、力なく眠りに落ちる光を見た。



 うなされたことと泣き疲れのせいだと思いたかった。






 天狗が部屋に入る。






 たばこと酒と、あと変に甘ったるいにおいがする。香水とかいう人工的な香料の。






「うなされた」






 天狗が光の側に膝をついて、確認するみたいに首元を見た。






 矢だ。



 矢を見てる。首に刺さってるやつを。






 俺には見えない。



 この部屋の鏡を使わないと。



 ただ。






 ………ただ。






「いつもとは違う夢だった」

「違う?」

「襲われたときの夢だった」






 何で分かる?とは、聞かれなかった。



 俺も言いたくなかった。






 思い出したく、なかった。






 夢を見てうなされて叫ぶ声を聞いただけで思い出したくないって思うレベル。



 なら、それを実際それを経験した光は。






「引きずられる。やめろ」

「………ん」






 引きずられる。






 ってことは。



 やっぱり光に何か、起こってる。俺が感じてる何か、鏡を使わないと見えないのに、ただって思う何かが、ある。






 すぐに天狗を呼ぶべきだったのか。






 命に関わる何かが起こったんじゃないから、天狗を呼ぼうという考えさえ浮かばなかった。






 これでもし光に取り返しのつかない何かが起こっていたとしたら、それは俺の、明らかな失念。






「鴉」






 ピシッて。







 空気が変わる声。



 鋭く呼ばれた。切れるぐらい。







 いや、切られた。プツって感じがした。断絶の感覚。






 無意識に引きずられるんだ。引きずられてる。俺も。



 光の矢に集まる、ドロドロのヘドロに。






「天狗、光は」

「………」

「天狗」






 俺は横になったまま光を抱き抱えて布団に居た。



 天狗は俺の向かい側に膝をついてた。



 部屋は朝を迎える準備を始めてる。明るくなり始めてる。






「………光は、ヘドロまみれで姿が見えない」

「………っ」

「まだ矢は増えてない。でも多分、時間の問題だろう。このままなら矢は無数に増える」

「無数、に?」

「このヘドロの量は、多分ひとつ目の手に負えない」

「天狗」






 どくん、どくん、どくん、どくん………






 自分の心臓が、ここまで大きく鳴るものだと、俺はここで初めて知った。






 光。






 俺が拾った、小さいの。






「天狗、光は」






 光は、どうなる。



 このままなら。



 天狗の言う通り、ひとつ目の手に負えないヘドロで、矢が無数に増えたら。






「このままなら、光は死ぬ」






 眠りに落ちる前の、力ない光。悲しいって、絶望さえ感じない声。






 光が死ぬ?






 俺が拾った、この小さいのが。






 そんなの。



 そんなの。そんなの。そんなの。






「絶対、イヤだ」






 ぎゅって俺は、小さい光を抱き締めた。

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