鴉 114

 台所に行ってグラスに水を入れて光の部屋に戻ると、光は半身を起こして座っていた。



 両隣にはカラスと気狐。






 部屋の電気をつけようかと一瞬思って、やめた。






 間接照明で十分だろ。



 余計な刺激は余計なだけだ。






「水」

「あ、ありがとう」






 敢えて顔も見ないようにして、グラスだけを光の前に差し出した。






 夢を見てたんだろう。母親の。



 繰り返し呼んでいた。母さんって。苦しそうに。






 光の母親は自ら命を絶ったと聞いた。



 でもそれ以上は知らない。



 そして俺は、母親というものを知らない。






 知らないから何もできない。言えない。



 何もできないと分かっているのに、どうした?なんて聞くことなんかできない。言えない。



 聞いたところで、だ。言えないんだよ。何も。






 喉がかわいていたらしい。






 光は俺が渡したグラスの水をごくごくと一気に飲み干した。






 無言のまま手を出して、からになったグラスをもらった。



 グラスはそのまま、蹴飛ばさないよう俺の枕元に置いて、念のためにもう一度光のおでこを触ってみた。






 さっき触って大丈夫だと思ったから、本当に念のため。






「頭痛いとかないか?」

「うん。大丈夫」

「気持ち悪いとか」

「ないよ、本当だよ。大丈夫」

「………そうか」

「………うん」






 俯く光。






 夜だからか。



 の、根拠は何もないけど、夜だからかって思った。






 光の悲しいにおいが、いつもより強い気がする。






「………寝れるか?」

「………うん。起こしちゃってごめんなさい」

「気にするな」






 気にしなくていい。



 俺が拾った小さいのの面倒は、俺が見るんだよ。大事にするんだよ。






「俺の布団に来るか?」

「なっ………何言ってんの⁉︎行かないよ‼︎」

「トイレは?連れてってやるぞ?」

「大丈夫だし‼︎大丈夫じゃなくても自分で行けるし‼︎」






 うんって言ったらそうしてやろうと思って聞いた。



 うんって言わないだろうと思って聞いた。






 だからやっぱりうんって言わなかった光の頭を撫でて、俺は布団に入った。






 山の夜は夏でも涼しい。






 もぞもぞと光が動いて、夏掛け布団にもぐっていくのが見えた。






 今は何時ぐらいだろうか。



 天狗が帰った形跡はなかったし、外もまだ暗いから、3時よりは前。






 もう一回寝れるか?






 母親の、どんな夢を見たらあんなに苦しそうになるんだろう。






 気になりつつも聞けなくて、朝になったら天狗に相談してみようって、俺は目を閉じた。











 閉じたものの。



 隣からは無事寝息が聞こえ始めたものの。



 俺は全然眠れなくて、間接照明のあかりで光をずっと見てた。






 時々もぞもぞ動いたり、時々うーんってうなされるとは違う声を漏らしたり。



 上を向いてたと思ったら横。こっちを向いてたと思ったら向こう。



 またもぞもぞしてうつ伏せ。






 こんなにも人が寝る姿をまじまじと見るのは初めてで、なかなか興味深かった。面白くて普通にかわいかった。小動物だ。






 そんな風に光を見てる間に、玄関に気配、で。






 天狗が帰って来た。






 帰って来て天狗はまずシャワーを浴びて歯磨きをする。下界のリセット。



『酒とタバコ』のにおいを落とすため。






 光がうなされたことを言いたい。



 俺に何ができるのか聞きたい。






 シャワー終わりを待つか、それとも、いつも通りの時間までこのまま待つか。






 かすかな空気の流れに、『酒とタバコ』のにおいを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る