鴉 113

 ひとつ目はその日居なかった。



 俺は光の布団のすぐ隣で、カラスと気狐は光にくっついて寝てた。






 夜、何か声が聞こえた気がした。






 いつもと違う空気の響き。



 浮上させられる意識。






 そこにばさばさって鳥の羽ばたく音、身体に来る重み。



 顔に人ではない何かが触れる感触。






 明らかな異常に、何だ?って目を開けた。






 光が暑さにやられてから、夜は部屋の角に間接照明を置いてつけていた。



 夜何かあったらって、天狗が部屋から持って来てくれたやつ。






 薄暗いけど、ある程度が見える部屋。






 俺の上にはカラスが乗っていて、ばさばさと羽を動かしていた。



 顔の感触は気狐だった。



 前足で俺の顔を叩いてた。






 起きろって、小さいのふたりが言っていた。






 そして。そこに。






 ううって。






 聞こえたのは声。



 苦しそうな、声。






「光⁉︎」






 まだぼんやりしていた頭が、一気に覚めた。冷めた。






 慌てて起き上がって、光に手を伸ばした。



 おでこを触った。反射的に。






 暑さにダウンしたのは一昨日。



 昨日は1日大丈夫だった。



 今日も寝るまで退屈そうではあったけど、大丈夫だった。特にこれといって体調が悪いとか、様子がおかしいとかはなかった。



 これなら明日は近場から出かけてもいいねって天狗が光に言って、近場なの?って光は不服そうで、近場ってどこ⁉︎って食い気味に聞いてた。






 元気だった。鴉、お弁当作ってって出かける気満々だった。



 普通にいつもの光だった。






 触ったおでこも、別に熱くない。






「光。光?」

「………さん。………母さ………」






 ………母さん?






 声が小さすぎて、細くて消えそうで泣いてるみたいで、聞き取りづらい。よく聞こえなかった。






 でも多分、言ったのは母さん。






 ってことは、夢を見てるだけ?






 カラスと気狐が、心配そうに光を覗き込んでる。






 眉間に寄ってるしわ。



 繰り返されてる、やっぱり、母さんって声。






 ………光の母親は、確か。






 光のことは、光が話してくれた以上のことを、俺は知らない。






 ただ、ここに来たときに比べて明るく元気になってるのにも関わらず、光のにおいはそんなに変わらない。変わってない。悲しいまま。



 それがずっと、気にはなっていた。






 母さん。






 呼んでる。繰り返されてる。






 どこからどう見ても、良い夢ではなさそう。むしろ逆で。






「光。………光?光。起きろ」






 俺は光を呼びながら、小さい身体を揺すった。






「………母さん?」

「違う。鴉」

「………鴉?」






 不思議そうに1回聞き返したあと、鴉ってもう1回言って、光の目がうっすらと開いた。






 涙が、浮かんでた。






「大丈夫か?」

「………ん?」

「苦しそうだった」

「………」






 光は黙った。



 答えなかった。






 無理矢理起こされての寝起きで、よく分かってないのかもしれない。






「水飲むか?」

「………うん」






 薄暗い部屋に、薄暗い顔の光が見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る