鴉 109

 タオルを濡らして少しゆるめにしぼった。



 きつくじゃなく、ゆるめに。



 水分を肌に残しておく方がいいって確か天狗が言ってた気がする。






 天狗は、見た目人っぽいけど人じゃない。



 人っぽいけどもののけ。人じゃない。



 だから昔、俺が初めて光みたいに暑さでやられたとき相当焦ったって言ってた。



 暑いとそうなるって何?って思ったって。






 俺にはあんまり、そんな記憶がないんだけど。






 俺が何かなるたびに、天狗は処置の仕方を覚えてくれた。予防の仕方も。



 さっき光に飲ませてたやつもだし、そうか、梅干しもか。






『鴉〜、夏は梅干しがいいんだって〜』って。






 予防できることは予防しよう。



 それでも何か起こったら対処しよう。



 どうにもならなかったら山をおりて病院に行こう。






 そうやって育てられた。






 俺は山をおりたくなかったから、天狗が調べて教えてくれた風邪や熱中症、虫歯もだな。



 教えられた予防方法をしっかり実行した。






 それでも風邪をひくときはひくし、熱中症になるときはなる。






 部屋のすみっこにかたまってた小さいの3人が、責任を感じすぎなきゃいいけど。






 タオルを持って居間に戻ったら、部屋はだいぶ涼しくなってた。






「赤い鳥居?」

「そう、赤い鳥居」

「棘岩の近くの?」

「そう‼︎それ‼︎」






 ソファーに転がる光と、床に転がる天狗が何か話してる。



 光の声が、さっきより元気だ。






 少しは楽になったってことか。






 俺はふたりの会話には入らず、無言のままタオルで光の顔やら腕やらを拭いた。



 文句も言わず、目をぎゅって閉じてされるがままの光。






 俺にあれこれ世話されるのが普通になってきてるみたいに見えた。






 鳥居。棘岩の近くの、赤い。






 山から人間が居なくなって、荒れた、荒れ果てた神社。






「鳥居をのぼってくと神社があるんだよ。気狐ちゃんが住んでたところだよね」

「へ⁉︎」






 ね?気狐ちゃんって天狗が気狐に聞くと、気狐は部屋のすみっこできゅうって鳴いた。返事をした。






「狐の像なかった?」

「あった‼︎」

「うん、それ気狐ちゃんと気狐くん」

「気狐くん?」

「気狐くん。気狐ちゃんの『つがい』だった子」

「………え、だったって?」

「もう居ない」

「何で⁉︎」

「理由までは分かんないけど、もうね、だいぶ前からあそこには神さまも気狐くんも居ない。気配がない」






 神社の存在は知ってた。



 狐の像があることも知ってた。



 けど、気狐がその狐だとは知らなかった。だから少し驚いた。






 光を抱き起こして、背中拭くぞってTシャツの裾から手を突っ込んで背中を拭いた。






 それでもされるがまま。






 最初の警戒心はどこに行ったんだ?



 わりと最近までそんな全面信頼じゃなかったのに。






 世話が焼ける。






 それは文句ではなく。






 ………なく。






 何だろう。言葉にならない。難しい。






 難しいことは置いといて、俺がその神社を見つけたのはいつだったかって考えた。思い出そうと記憶を辿った。






 小さい頃、山のあちこちに行ってた頃。



 光と同じように赤い鳥居を見つけた。



 そしてすぐ天狗を呼んだ。これ何?って。



 天狗はたくさん並ぶ鳥居を見て言った。






『ここは神社。神さまと神さまのつかいのおうちだったとこ』

『神さまのつかい?』

『狐』

『だった?』

『もう居ない』

『何で?』

『何でだろうね。寂しいね』






 寂しいねって言った天狗が、本当に寂しそうだった。

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