鴉 90

 もう一回風呂入って来いって、光を風呂に行かせて光の布団のシーツを替えた。






 居間にはまだ天狗が居た。






 多分、だけど、心配してくれてる。



 俺のことを。俺と光のことを。






 替えたシーツを抱えたまま、天狗が座るソファーに座った。



 天狗の横に。






 シーツから、光のにおいがする。






「仲直りできた?」

「………多分」

「多分て」

「話は、した」

「うん」






 同じ会話をしたのは今日。



 まさか同じ日に同じ会話とか、進歩がない。






 でも進歩だ。



 伝えようとしてるから。したから。俺も。光も。






 それだけじゃなくて。






「天狗」

「ん〜?」

「いつか、光が天狗山をおりたら」






 いつか。






 その日はそんな遠くない。



 だからいつかはいつかじゃなくて、近いうち。






「光に会いに行く」






 天狗はダメって言わない。



 言うはずがない。一緒に行ってもいいってすでに言われてるんだから。






 それでも自分から山をおりたいって言ったのは初めてだったから、緊張。






 意味もなく光のにおいがするシーツを手に巻き付けてた。



 そしたら。ぐいって。






 俺は天狗に頭を、抱き寄せられた。






「すごいな、鴉は」

「………え?」






 片手で引っ張られて、片手で撫でられてる。頭を。



 天狗の顔が頭に乗ってる。






 わしゃわしゃわしゃわしゃ。






 掻き回される髪の毛。






『すごいな鴉〜‼︎』






 昔はよく、されてたっけ。これ。



 昔。まだ光ぐらい?もう少し前ぐらい?に。






 ひとつ何かができるようになると。こうやって。大袈裟なぐらいに。



 俺はそれが嬉しくて。






「いや、ここ出て暮らすとかじゃ、ない」






 すでに天狗からそんな話をされてたから、そんな風に取られたら正直困る。



 まだそこまでは考えてない。考えられない。






 たまに光の様子を見に行く。たまに会いに行く。



 俺が言ってるのはその程度で、だからこんな風に喜ばれて、内心焦った。






「うん、大丈夫。分かってる。それでも嬉しいよ、オレは。鴉の口から初めて山をおりる話が聞けたんだから」

「………うん」

「いつでも行けばいい。最初からひとりで、なんて思わなくていい。いつでも何回でも付き合う。電車やバスの乗り方、お店に入ったら。色々。オレが、そういうのは全部、今まで通り教えてくから」

「………うん」






 そう言ってくれると思ってた。



 天狗は俺を、無責任に放り出すことなんかしない。






 それでも言うまでは、聞くまでは少し心配で、不安でもあった。






 言葉にすること。






 天狗が俺に、光に言う意味が、こういうので分かる。






 大事なんだ。



 言葉にすることが。



 きちんと言葉にしないと、何も伝わらない。






 ありがとって、俺は天狗に凭れた。






 俺にとって光が俺の拾った小さいの、なら。



 天狗にって俺が、天狗の拾った小さいの。






「うわぁ、鴉がかわいい〜。うんうん、やっぱ鴉って昔からほんっとかわいいよねぇ〜」

「………」






 わしゃわしゃわしゃわしゃ。



 ぐりぐりぐりぐり。






 光じゃないけど、言いたくなる。俺はそんな小さくない。






 ………そうか、光はいつもこんな気持ちなのか。






「え、何してるの?ふたりで………」






 そこに風呂から出て来た光に真顔で聞かれて、ぴかるんもおいで〜だの、やだよ‼︎だの。



 そこに声を聞きつけたカラスと気狐も来てどたばただの。






 あと少し。



 あと少し。






 近いいつか来る光が居なくなる毎日まで。






 やっぱり寂しいだろうな。






 光も来いって無理矢理引っ張って。



 俺たちはぎゅうぎゅうぎゃあぎゃあ、くっついてた。

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