鴉 66

 光がもう一度血桜が見たいって言ったから戻った。



 血桜のところに。不思議な、赤い花びらの桜のもとに。






 光は少し離れたところでそれを見上げた。






 悲しいにおいがする小さい背中。






 聞いたのかもしれない。雪也に。血桜がどういうものかを。






 じっとしてる光の側に、ひとつ目が行き、カラスが行き、気狐が行った。



 俺も。






 何を思うのか。



 何か願いを思うのか。






「もう帰る?」






 俺が来たのを違う意味でとった光が、さっきまでの楽しげで元気な声とは真逆の声で聞いてきた。






 違う。



 帰ろうって言いに来たんじゃない。






 何かを思って血桜を見上げるお前の側に、居ようってただ、思っただけ。ひとつ目たちと同じように。






「いや、いい」

「もうちょっと見てていい?」

「ああ」






 まだ全然。



 時間なんか気にせずに見たいだけ見ればいい。



 天狗や夕、雪也が帰っても、俺が付き合ってやる。何時間でも。お前が満足するまで。






 じゃあって、光はその場に座った。草と土の上。



 ならって俺たちも座った。






 日が傾きかけた梅雨の晴れ間。



 湿った風。






「………母さんは何で死んじゃったんだろう」

「………」






 ぽつり。






 光は言った。






 何で。






 俺は、捨てられたから。



 生まれてすぐ、捨てられたから。



 だから、母親がどんな存在か知らない。



 母親は天狗。父親は天狗。兄弟も天狗。友だちも天狗。






 俺には天狗だけ。






 だから分からないけど。



 分からないし絶対あり得ないけど、もし天狗が光の母親のように死んだら。



 ずっと居るのが当たり前で、これからも居るのが当たり前だと思う存在が、ある日急に。






 何で。






 そりゃ、思うよ。何でって。






 俺は思わず、光の頭に手を乗せた。











「ゆっきー、ゆうちん。今日はありがとうございました」






 空が夕のような色に染まり出して、そろそろ帰ろうかって天狗に言われた。



 そしたら光が、夕と雪也に向かって、ぴょこって頭を下げた。






「うん。僕もありがとう。楽しかった」

「ねぇ、ゆっきー。僕また来たい。来てもいい?」

「本当⁉︎いいよ。絶対来て。今度は泊まっていって欲しい」

「え、いいの⁉︎」

「うん、いいよ」

「やった‼︎泊まる‼︎」

「光は大丈夫?」

「何が?」

「ここ、そんなに頻繁に来れるとこでもないし、光は『人間』でしょ?来て大丈夫?」

「………」






 人間、の一言に、光がフリーズしたように見えた。ほんの一瞬だけ。



 すぐに光はいつもの光に戻って、天ちゃんに連れてきてもらうから大丈夫って笑った。






「名残惜しいのは分かるけど、そろそろ帰ろう〜、オレ今日仕事〜」






 この山のカラスが戻って来てる。






 久しぶりのここ。



 俺も、ふたりに頭を下げた。






「本当、大きくなったね、鴉」






 嬉しそうで悲しそうなそれを聞いて、俺たちの遠足は終わった。

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