光 56

 僕はこの山に死にに来た。ここで死ぬつもりだった。



 なのに。






 僕は今毎日、僕も手伝うけど、天ちゃんと鴉が作ってくれる美味しいご飯を3食きっちり食べて、家の掃除とかをちょっと手伝って、鴉が持たせてくれるお弁当やおやつを持っていっちゃんたちと山で遊ぶなんて、今までとは全然の別世界の別毎日を過ごしてる。






 少し前まで僕は、毎日コンビニやスーパーのおにぎりやパン、お弁当を食べて、どう片付けていいのか分かんない散らかった家で、ひとりで学校に行くだけの毎日だったのに。



 高校進学でそこからやっと抜け出して、やっと普通の毎日になって、なのにそれも。



 終わっちゃったんだよね。消えた。なくなった。






 だからって、いいとは思わないよ、これが。






 でも、帰れないよ。あんなとこ。そんな勇気ない。






 で、ずるずるずるずる、1ヶ月。






 天ちゃんが今みたいに言ってくれなかったら、僕はまだまだこのまま、この居心地のいいぬくぬくしたところでずるずるの日々を送るんだよ。



 そして。






 鴉が、僕を守ってくれるみたいに僕をきゅってしてくれてる。天ちゃんはもう行っちゃったのに。






 うん、守ってくれたんだよ。天ちゃんから。厳しい言葉だったから。



 足元にはきーちゃんもいる。



 僕の足にすりすりしてる。してくれてる。心配してくれてるんだよね?






 今まで、母さんが死んじゃってからは特に、僕は本当にひとりきりで、どこにも誰にも頼れなくて甘えられなくて全部自分でやらなくちゃいけなかったから、居心地がさ。



 いいっていうか。こういうのが嬉しいっていうか。甘えたい。ぬくぬくしてたい。






 でもそれは、それじゃあ、何の解決にもならないただの先延ばし行為で、天ちゃんはそれじゃダメだよ。死んじゃうよって言ってくれてる。教えてくれてるんだよ。僕に。






 朝見た鏡。






 矢は2本。



 僕の首のところに刺さってる。



 朝はまだ、ヘドロでドロドロしつつも僕の顔や身体は見えてた。少し。






 ………朝、は。






 今は、もっとかもしれない。だって身体が重い。



 いつもはいっちゃんが居てくれて、いっちゃんの側だといっちゃんの不思議な力で減るから。ヘドロは。






 それもあってずるずるの先延ばし。






 甘えてるんだよ、僕は。






 今僕はどんななんだろう。



 いっちゃんが居ないとどんななんだろう。






 鏡を見ようって僕は鴉の腕から抜けて、使わせてもらってる鏡の部屋に行った。



 鏡の前に立って、朝と同じように布を退けた。毎日見てるから、躊躇ゼロで。






 うわ。






 躊躇ゼロを、僕はちょっと後悔した。もっと少しずつ見ればよかった。






 そこ。






 鏡。






 僕。






 そこにうつってるのは確かに僕のはずなのに、そこにうつってるのは僕じゃなかった。






 ドロドロ。






 ドロドロのヘドロ。






 朝は少し、まだ僕が見えた。見えてた。



 のに。






 ざああああああっ………






 雨の音。






 雨が降るといっちゃんは来ない。



 そして季節は梅雨。



 明日も多分雨。明後日も雨。






 いっちゃんは来ない。ここには来ない。






 僕はこの矢がどうしたら抜けるのか知らない。






 僕を心配してついてきてくれた鴉を、鴉って、呼んだ。



 思った以上に情けない声だった。






「僕、やっぱり死んじゃうかな」






 死ぬつもりで来たはずなのに、死ぬことがこわくなってるなんて。






 バカだよね。






 足元にきーちゃんが来てくれて、すぐ後ろに鴉。






 鴉が息を飲んだ気がした。

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