鴉 56

 さすがに天狗の言いすぎって、俺は手を離すことができなかった。光から。






 こんな小さいのに。そこまで言わなくても。



 もう少しゆっくりでも。






 警察が光を探してても、ここなら大丈夫なんだろ?



 なら、焦る必要ないだろ。



 ここには天狗と俺しか居ないんだから。



 そしてここには、カラスもひとつ目も気狐もネコマタも居るんだから。






 だから、もう少し。ゆっくり。






 少しの間じっとしてた光が、もぞって動いたから腕を離した。



 下を向いてるからどんな顔をしてるのか分からない。






 泣いてる?






 悲しいにおいが強くなったとは思わなかった。でも無言だし。






 え、こういうときって、どうしたら。






 もう一回頭撫でたりしたらいいのか。



 それとも僕は小さくないってよく言うからそれはダメなのか。






 光に伸ばそうと思って持ち上げた手だけど、やり場に困って空中停止。






 無言。



 ひたすら無言の光。






 やっぱキツすぎだろって。






 やっぱもう一回ぐらいって。






 空中停止手を光の方に伸ばそうとしたときだった。






 ガタンって光が椅子を引いて、何を思ったのか立ち上がった。



 ずっと下を見てるから、顔が見えない。






 光はそのまま、台所を出て行った。






 気狐とふたり残された、雨の音だけが響く台所。



 思わず気狐と顔を合わせて、せーのってしたみたいなタイミングで俺たちは光の後を追った。






 光は、光がここに来たときから使ってる部屋に入ってった。






 寝るのか?






 って予想は外れた。






 光は壁の鏡の前に立って、おもむろにそれにかかってる小豆色の布を退けた。






 鏡。



 その鏡は。






 本当の光を写し出す鏡。






 そういえば、今の光はどうなっているのか。






 天狗はそのまま光を見れば見えるし、光はこまめに鏡を見てるっぽい。



 俺は見るタイミングがないから実は全然見てなくて、前に見たのは1本矢が抜けたって直後だった。






 矢が抜けて、ひとつ目が居たからだろうけど、3本のときとは全然違ってた。



 矢は2本まだあったけど、ヘドロがだいぶ少なくて、よかったって思った。






 鏡の前で、光が立ってる。じっとしてる。自分を見てる。






「………鴉」

「………?」

「僕、やっぱり死んじゃうかな」






 小さい光の、小さい声。



 やっぱりって、何。






 慌てて俺は光の部屋に入った。



 電気はついてなくて、薄暗い。



 足元をたたたって、真っ白な気狐が走る。






 そして鏡。






「………っ」






 光の後ろから見た、鏡の光は。






 ドロドロの、ヘドロまみれになっていた。

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