鴉 10

 生まれてすぐこの山に捨てられてた俺にとって、この山が世界の全部。


 だからどこにどんな道があってどんな風になっててどんなものがあるのか、すべて知っている。






 小さい頃はよく家が分からなくなった。迷子になった。



 でも、どんなに山深いところにいても、天狗を呼べばすぐに天狗が来てくれてた。






 天狗〜って、ただ普通に。






 ひゅうううううって吹く風が合図。



 次の瞬間には天狗に抱っこされてて、こんなとこまで来たのか。すごいな鴉はって。






 褒められるのが嬉しくて、俺は毎日山を歩いた。






 でも、呼ばなければ天狗は来ない。



 絶対に来ない。






 いつだったか、天狗に何でか怒られて、俺は家を飛び出した。



 そのまま山頂に向かう途中、派手に転んで両膝を擦りむいた。






 日が暮れて山の寝床にカラスが戻って来て、うずくまってる俺を見つけて、多分天狗のところに飛んでった。






 でも天狗は来なかった。



 待っても待っても待っても待っても来なかった。






 痛いし寒いしお腹もすいて限界になってそこでやっと天狗………って俺は小さく呼んだ。






『もっと早く呼べ。このばか鴉』






 天狗の風は、あったかかった。



 抱き上げられた天狗の身体も、あったかかった。






 呼べば来てくれる。



 呼ばなければ来てくれない。






 もしかしたら、呼ばなければ場所が分からないのかもしれない。



 呼べば来てくれるのが分かってるから、そこを確かめたことはなかった。






 そんな昔のことを思い出すのは、多分光を見たからだ、な。






 呼ばなさそうだもんな、あいつ。絶対に。






 30分ぐらい探して見つからなかったら、カラスを呼んで山のカラスを呼び戻してもらおう。



 カラスたちに協力してもらえば、さすがに見つかるだろう。



 多分だけど30分ぐらいが野放しの最大。






 それ以上は、何をするか分からない。






 今すぐやろうと思えばやれるそれを、今すぐやらずに30分待つのは、天狗がそうしろと、すぐにカラスたちを呼び戻せと言わないから。






 山ひとつに光ひとり探すなんて、どう考えたって無理だ。不可能だ。



 でも天狗はカラスにカラスたちを呼び戻せとは言わなかった。



 俺に行けって。



 だから、そうした方がいいんだ。






 何で?なんて思うだけ無駄なのも、もう分かってる。






 あの日の、俺が飛び出したときの天狗も、こんな気持ちだった?






 ふと思って、俺よりも小さい光の悲しいにおいを思い出した。



 悲しい悲しいにおいだった。






 大丈夫、だろうか。






 ああこれ、こういうのを、心配っていうのか。






 実に初めて味わう、気持ちだった。

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