生贄の姿

「千代! お会いしたかった!」

「赤矢さん。そのスコップでこの桜の根本を掘れ」

「え? 桜? 何をおっしゃるのです」

 赤矢は混乱するように俺を見た。

 やはり俺と赤矢では見えるものが違うのだ。

「赤矢さん。あんたの目の前に見える桜は千代さんであるけれども、千代さんではない。人の千代さんの肉体を苗床にして枝を伸ばし、千代さんの魂魄に寄生して育った紛い物の姿だ。けれど千代さんはその紛い物になりかけている」

 改めて目の前にした千代の姿に俺は愕然とした。千代から桜が生えているのではなく、千代が桜になりかけていたからだ。

「桜? ちょ、ちょっと待ってください。一体何の話……」

「とりあえず、眼鏡をかけろ」

 困惑しながらも背後からがさごそと眼鏡を取り出す音がした。

 ううん。これは俺は嫌だなあ。どうしたものかなぁ。いつもながら躊躇する。足が止まる。その一歩を踏み出すにも鉛のようにが足が重い。けれども俺は千代を助けたい。だからとりあえず俺は俺の仕事をしよう。それで金をもらっているんだから。

 生贄。俺はなんでこんな仕事を引き受けた。いつもそうだ。いつも後悔する。

 ああ嫌だ嫌だ。本当に気持ち悪い。

 けれどもまぁ、仕方がない。金をもらっちまったんだから。

 それに俺は千代を助けたい。それは俺の本心だ。俺はすっかり同情しちまった。俺が生贄になって千代が助かるのなら、それはきっと良いことだ。それに最終的には鷹一郎がなんとかしてくれるだろう。

 けれども本当に嫌だ。何を好き好んで俺はこんな。

 桜の千代の前に立って全体を眺め渡す。その姿は前に見たよりも遥かにおぞましかった。背後からひぃあという声が上がる。赤矢にもこの姿が見えたのだろう。


 俺の目の前には赤黒くゴツゴツした千代というものが地中から生えている。

 足は土に埋まり、おそらく棺とやらに繋がっている。地面から草葉のように伸びる黒い触手が千代の足にうぞうぞと絡まり蠢いている。だから足元の情報はそもそも無くてよかったのだろう。

 以前見た時は人の体から黒いたくさんの枝が生えて絡まっていて、まだ人と言える部分が見て取れた。けれども今はほとんど桜だ。それは一見桜の木のように黒く節くれだっていたけれども、もとは柔らかい人の肉であったのだろう。血肉の部分の養分は既に吸い取られ、硬く乾涸ひからびていた。

 足元からよく辿ると、妙に引き伸ばされた膝、骨盤、肋骨、肩骨、肘、指。注意して見れば、それらの区別が僅かにわかる。腱や筋肉などはすべて断裂でもしているに違いない。まるで牛裂きの刑のように引き伸ばされながらも、その樹木のように硬化した皮膚で千切り折れることもかなわない。そしてその千代の枝に被さるように更に様々な枝が生えていた。天へと伸びる二股の中央部にある黒い節は頭蓋のなごりだろうか。

 中郡医師に聞いた病の姿に程近い。そして今ではその表面は干し肉のように固く、水気を失った樹皮のように変化した肉がその内に包んだゴツゴツした骨を締め上げ節くれのように皮の間に浮き上がらせている。

 うつろな目と目があった。もう意識はほとんどないだろう。だが、まだわずかに人は生きている。

 そしてその千代の枝に芽吹いた蕾が赤い風に揺られてざわめいた。

「嘘だ、嘘だ。何故千代さんが、こんな」

「落ち着け赤矢誠一郎。目の前のこの桜もどきは千代を食いつぶして新しく生まれようとしている化け物だ。ほら、だから今にも咲きそうな蕾がうごめいている。けれども未だ咲いていない。咲いてしまえば千代は失われる。だからその前に掘り返せ。人である千代の肉体を。俺が担いで逃げるから」

 赤矢は弾かれたようにスコップを構え、猛然と千代の桜の根本を堀り始めた。

 俺は食われる準備をする。たわわに実ったその蕾。一つ一つが悍ましく蠢く白桜とやらの種子。千代を白桜から救い出すには千代の代わりに白桜に娶られなければならない。千代の魄に寄生して喰らい尽くそうとするこの種子を千代から切り離さなければならない。

 ああ嫌だ嫌だ、本当に嫌だ。

 けれども俺はすっかり千代に同情しちまった。

 それに金をもらっちまった以上、やるしかない。全く世知辛い世の中だぜ。

 俺の仕事は生贄だ。つまり千代の代わりに白桜に食われること。

 鷹一郎が清めた小さなナイフを手に取り腕やら足やらを軽く傷つける。なんだかドツボにハマっている。こんなふうに傷をつくるからまともな就職先が見つかりやしないし女給にも怖がられるんだよ。体から流れる血をもって千代の桜を抱きしめる。


「白桜、俺は千代より美味そうだろ? 俺の血肉は美味いらしいぞ」

 ほら、こちらによってこい。

 ぞわぞわとした白桜の種子が風に舞い、引き寄せられてやってくる。蕾が俺の表面を蠢く。若草のような触手が俺に絡みつき、とうとう種子が俺の傷口から体内に埋め込まれる。

「ぐぅぇ」

 あまりの気色の悪さに思わず声が出た。 

 ああ、本当に気持ち悪い。確かに性別なんて俺の体質の前では些細な問題か。

 ずぶずぶと侵食されるこの心地。

 枝に絡め取られる俺の手足。

 糞痛ぇ。だがここはあくまで異界のことだ。

 俺は魂魄としてここにいる。魂は心を司り、魄は体を司る。俺の実体は鷹一郎と共に現世ある。だから俺の肉体自体が失われるわけじゃぁねぇ。

 けれども俺の魄は白桜の種子によって体内から貪り食われ、少しずつ欠けていく。

 ああ、気持ち悪い、気持ち悪い。

 ぞわぞわと全てを侵食されるこの感触は人身御供体質の本領発揮だ。

 そろそろ食われるのにも慣れてきちまったが、糞痛くて気持ち悪いには違いない。


 種子が俺の魄に移るにつれ、千代の魄を侵食していた枝や木がぽろぽろと風化するように少しずつ剥がれ落ちていく。

 俺と言えば喉の奥まで種子が満ち、そこから芽が出て右の目玉を突き抜け枝が生える。もはや動くことも叶わない。割れるような苦痛の只中で、ただそこに突っ立つしか仕様がない。千代のあの凛とした顔を思い出す。千代、すげえな、お前。それほど守りたかったのか。

 鷹一郎のウグイスがぱちゅんぱちゅんと次々と弾けながら白桜の種や枝をついばみ俺の魂だけは守っているが、魄はすでにボロボロだ。

 赤矢はちゃんと働いているのか。うまく動かぬ残された左目だけではそんなことも最早わからぬ。

「千代! 千代!」

 どうやら間に合ったらしい。

 そのころには白桜の種子はすっかり俺に移っていた。千代の魄の力は大分失われたのだろうが、残っている部分は白桜から千代自身に取り戻された。

 そしてもう、どうしていいかわかるはずだ。たくさん考えたはずだから。

 どうしたいか、それはあんたたちが選ぶことだ。

 けれどもその前に大問題がある。


「誠一郎様、このままお逃げください」

「いいや逃げぬ。掘っているうちに思い出したのだ。私は……既に食われて死んでいたのだな、この禍々しき樹に。私はすでに亡者なのだな」

「……誠一郎……様……」

 そうだ。赤矢の魄と肉体はこの異界を構成する白桜本体に既に食われたのだ。最初にこの桜を訪れた時に、ただの異物として、餌として食われた。けれども千代はなんとか赤矢を守ろうと、その魂だけをこの異界から追い出した、んだろう。

「千代、お前は私を嫌いになったのか」

「そんな。そんなことは決して。わたくしがお慕い申し上げるのは誠一郎様ただお一人」

「ならば逃げよ。この哲佐殿と土御門殿がお前を助けてくださる」

「駄目です。駄目なのです。わたくしが、わたくしがここより逃れれば村は病で滅びます」

 そうだ。その問題がある。

 俺は僅かに動く口と舌で、種子を溢れ落としながらなんとか音を発する。

「白桜、は、陰陽師が、払う。だから、ほそぼそと、暮らせば、いい」

「駄目です。駄目なのです。既に病は満ちています。私が嫁いで白桜様に病を吸い上げていただくより他にありません」

「な、ら、逆上村、を離れろ。神社より、先には、病は追いかけ、ない」

「無理です。無理なのです。この村を離れて村人は生きる術がありません。それになにより、次に死ぬのは私の母です。既に母は発症しました」


 ああ、やはり堂々巡りだ。

 既に病は始まっている。病から逃げれば生活できぬ。病を止めるには白桜が必要。そして生贄が必要。

 これが病が始まる前ならば。その前に地の力で賄える範囲の生薬栽培に留めていたならば。そうすれば、千代は生贄にならなかったに違いない。けれどもすでに地の力は尽き果て、生贄がなければ病は治らぬ。嗚呼。

 けれども不意に風が吹き、懐の紙束から不機嫌そうな声が聞こえた。

『哲佐君、何をぐずぐずしているんです』

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