5章 白桜の果実

「哲佐君、異類婚姻譚というのはもちろんご存知ですよね」

「まあ、な。神様や化け物に嫁ぐんだよな。それで気になってたんだけどよ。結婚相手は男でもいいのかよ」

 ずっと考えていたのだが、俺は生贄としてこいつに雇われている。今回の生贄ってのは言わずもがな、千代の代わりだ。僧侶は男だろうし、求められているのは巫女、つまり女。

「そうですねえ、相手によっても異なりますが、桜は雌雄同株なのだそうです。だけど哲佐君が見た桜は蕾がなかったのでしょう? だからあの白桜は雄株で、雌株を求めていたのかもしれませんね」

「答えになっちゃいねぇ」

 雌株が必要なら、俺じゃ話にならんだろうが。

「そうですねぇ。異類婚姻譚でよく上がるのが蛇神ですが、普通、人と蛇の間には子供は生まれないですよね」

 蛇と子?

「そうだな、どうやってヤるのかもわかんねぇな」

「それ以前に蛇は卵生ですし。そもそも異類婚姻譚で求められるのは忠誠と言われることが多いのですけど、今回は生殖目的でしょう」

「だから生殖ならそもそも男同士じゃ無理だろ」

 つまり俺が生贄になっても意味がないんじゃないか。雪の中であったあの巨大な白桜に、少し腰が引けていた。

「今回の場合は姿に大きな隔たりがある以上、肉体を基礎として考えても意味はありません。おそらく魂を交えるものなのでしょう。だから肉体の性別なんて些細な問題なんじゃないでしょうか」

 俺は魂も男だと思うのだが。

「後はただの好みです。根元に埋まっている僧侶が男性より女性が好きだったのでしょう」

「やっぱり答えになっちゃいねぇ」

 そんな益体もない話をしながら、俺たちは赤矢が来るのを待っていた。


 誰彼たそがれ時。

 そろそろ至近距離でなければ相手の認識が不可能となる世界の色合い。黒味を帯びた雲の下のほうがオレンジ色に染まり揺蕩たゆたい、林に囲まれた逆上村の入り口では木々が複雑な陰影を形作っている。

 ここにいるのは俺と鷹一郎。それから現場の確認という名目で無理やり呼び出されて所在なく立ちすくむ倉橋だけ。他には動く者はなく、村の各家は固く扉を閉ざしている。

 今日本日は誰も外に出てはならぬ。家中の桜が散り果てるまで。

 鷹一郎にそう言われているのだ。

 そして間も無く、林の奥からじわりと滲み出るように赤矢が現れた。

「お待ちしておりました」

「今日は陰陽師らしい格好をされておられるのですね」

「ああ、そうですね。狩衣かりぎぬ立烏帽子たてえぼしというのですが、無駄にひらひらしているものですから、本当は森では向かないのですよ」

 今日の土御門はいかにも陰陽師、といった装いで、狩袴かりばかまというゆったりとした袴と赤いひとえの上に土御門家の揚羽蝶紋が縫い込まれた白絹綾織しらぎぬあやおりの狩衣を纏っている。

 羽織着物を着る奴は未だたくさんいるが、なんだかこの時代がかったお貴族様的な服装がは鷹一郎にはとても似合うのだ。俺なんかが着たらお笑い草にしかならないだろう。俺は相変わらずの綿入り半纏はんてん

 丁度温かい風が吹き抜け鷹一郎の袖をバサバサと大きく揺らす。先日の大雪がなんだったのかと思わせるほどの春の陽気だ。おそらく今にも桜の花が咲きそうな予感。そんな少し浮かれた陽気とうらはらに、拒絶と歓迎がまぜこぜになった奇妙な咆哮が微かに足元から聞こえていた。


 結局開花ギリギリまで待った。

 白桜は強固な結界を張っている。妖自身が接近したがる俺のような特異体質であればともかく、そうでなければ内側にある村人以外は白桜に近づくことすら困難だ。そして最終的に白桜を完全に祓うためには、その内側に入って白桜を切り倒す必要がある。

 けれどもそんな白桜が結界を解く瞬間がある。それは新たな桜の花が咲いて実が成った瞬間だ。白桜はその新たな桜を世に放つために、結界を解く。その瞬間が最も無防備。そこを狙って鷹一郎は白桜を祓う。

 けれどもそれを成すためには桜を咲かせなければならない。千代を救うのであれば千代以外の方法で。

「わたしはどうすればよろしいのでしょう」

「どうされたいかは、ご自分でご判断くださいな」

「自分で……?」

「さて、放っておくと夜になってしまいます。全てがこのうつし世とかくり世の間にあるうちに。すべてが渾然と混じり合い、わけがわからぬそのうちに」


 朱雀すざく玄武げんぶ白虎びゃっこ勾陣こうちん帝久ていきゅう文王ぶんおう三台さんだい玉女ぎょくにょ青龍せいりゅう


 鷹一郎は九字を切り、ふらふらと足を動かした。俺にはよくわからんが、あの左右をふらつく足の動きは反閇へんばいと言って細かい作法が定められており、邪気を祓うらしい。

「赤矢さんにはこれを」

「これは?」

「式神です。千代さんとお話するためのお守りです。哲佐君にはこれを。哲佐君をお守りくださいますよう」

「はいよ」

 俺はいつもの通り、鷹一郎からわけのわからぬ紙の束を受け取りふところに放り込む。

「それではお行きなさい」

 改めて目の前の細い道を眺めて腹をくくる。

 ここからは死地。俺は食われに異界に入るのだ。

 紙を挟んでスコップの分厚い金属の側を持ち、持ち手を赤矢に向ける。

「あの、わたしは……」

「それ、スコップの端っこを持って俺について来い。あんた一人じゃ中に入れないんだろ?」

「ええ、まぁ、ですが……」

「来ないなら来ないでいい。来なければ千代さんは助からないんだ」

 結局鷹一郎の依頼主は赤矢だ。赤矢の意思は最大限優先されるべきだろう。それに俺は赤矢を信じていた。あの暮れなずむ夕日が照らすあの表情が、千代を得難く思う気持ちが滲み出たあの顔が嘘とは思えなかったから。


「赤矢さん、あなたが千代さんを求めないのなら、それはそれで仕方が在りません」

 鷹一郎そう述べれば、赤矢は急いで且つ恐る恐る持ち手の端を握る。それを確認して俺は足を踏み出した瞬間、ざわりと林が揺れる音がした。

 ええと、千代さん、千代さん、どちらかな。

 頭の中に先日思い描いた千代の姿を浮かべ、それがどこにいるかを探る。おそらくそれほど遠くはない。直線にして数十メートルほどだ。だがその距離がとても遠く、結界で隔たっている。

 頭の中の千代はなんとも複雑な表情を浮かべていた。だが、拒まれてはいないらしい。ならばいずれは辿り着ける。

 一歩踏み出せば、方向を狂わせるかのように濃い桜の香りが舞う。もう一歩踏み出せば、足を止めようとするかのように桜色の風が吹く。いつのまにか俺の懐からするりと抜け出した何枚かの紙がウグイスの姿をとり、桜に対抗しているのか、くるりくるりと俺の周りを飛びながらとホケキョと鳴いてパチリと弾けた。

「あの、山菱さん」

「哲佐でいいよ」

「何かものすごく、足が重いのです」

「まぁ、そうだろうな」

「そうだろうな?」

「あんたは見たくないものを見に行くわけだから」

「見たくないもの?」

 どのくらい歩いたのかはよくわからない。実際はそれほど歩いてはいないのだろう。けれどもここは異界だ。常識が外とは異なる。その魂魄の姿が現れる。

 俺はなんだかとても美味そうな飯。千代は一見美しい桜の木。それから古えの白桜、そして、亡者。

「……。…………」

「…………」

 声なき声が聞こえる。あの黒く節くれだった桜の嘆きが聞こえる。おそらくかつての巫女たちだろう。桜になってしまえば人の声を発することができないのかもしれない。

 けれども千代はまだ人間だ。そのおおよそは桜と化しているとしても。

 そして一本のまだ新しい木にたどり着く。

 千代の木。

 すでにその姿に人の要素は乏しく、振り乱した蕾は今にも咲きそうだった。

 咲けば桜になる。

 先日見た千代のイメェジは半死半生、半人半妖。今の俺のイメェジはほぼ死んだ人の魂魄とほぼ生きている妖の化生に変化していた。俺がスコップから手を離すと、赤矢は弾けるように千代の桜に向かった。

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