全ての許可
源三郎が村人を引きつれて戻ったのはそれから
「ほ、本当に薬草の卸先を紹介してもらえるのか?」
「ええ、もちろんです。良い生薬があれば手に入れて欲しいという注文は、すでに受けております。私も詳しくは存じ上げないのですが、
「いや、信じる。それにそれ以外に方法はねぇ。なぁ、みんなもそうだよな?」
源三郎はそう言って必死の形相で戸口の先を振り返る。
家の外に待機する制服姿の倉橋を見たのであろう。全員がこの村の稼業の終わりを認識し、その顔には様々に複雑な表情を浮かべていた。もう罪を侵さなくてすむとホッとした顔や安定した生活を失うことに憮然とする顔、そして千代を捧げたことに悔悟の念を抱いた顔。
けれどもそのいずれもが、鷹一郎が白桜を祓うことに反対はしなかった。
そして源三郎は自分たちが千代を生贄に捧げたことを認めた。
逆上村では時折流行病が起こる。村が絶えようとした時、白桜の巫女として村の娘をもらって頂く風習がある。娘が嫁ぐ時に白桜は村に蔓延する病を全て吸い取っていくそうだ。
選ばれた娘は白桜の嫁になるために桜の木になるという。そのために娘は身を清めて白装束を身にまとい、桜の木でできた棺に収められてこの村の各家に生えた白桜の枝の一部とともに、白桜の巨木の近くに生きたまま埋められる。そして棺の中で娘の魂は白桜と交わりだんだんとその魂を桜の木に変化させる。娘の魂から桜の種が芽吹き、枝を伸ばし、花が咲いたらすっかり娘は桜に変化する。もう人には戻れない。
思い出すと身震いがする。
あれが人が桜になる姿、か。確かに俺があの春の牢獄で見たのは千代の魂。そしてその魂からはたくさんの枝葉がざわざわと伸びていた。そのうち桜になり、実をつける。生きたまま。
今はどれほど桜なのだろう。いや、最早春といっても触りはない。未だ、人なのだろうか。
完全に魂が桜となるまでは、その肉体は棺の中で仮死状態であるという。生贄をこの世に繋ぎ止めるためにその肉体は桜の苗床となり、生贄が完全に桜となった時には完全に死んで栄養となる。
その瞬間はすぐにわかる。
その死と再生を祝ってこの村中に新たな桜の花弁が舞うそうだ。そして今年は未だ花弁は舞っていない。だから一応、おそらく今も千代は生きている。
埋めた時点で千代は妖の花嫁となり、人としての千代は死んだ。源三郎が死亡届を出したのは、今の制度では人が死ねば死亡届を出さなければならないからだ。
けれども源三郎は未だ、千代が生物としては生きていることを知っていた。だから訪ねて来た赤矢には千代が死んだと言うこともはばかられ、思わずいないと言ってしまったそうだ。春の息吹と共にすでに桜への変化は始まり、そしてそのうち千代は人としては存在しえなくなるのだから。
それにしても、それでは千代は何ヶ月も仮死状態だと?
そんなことが本当にあるのだろうか。けれども思い返せば、俺のあの異界の中での実感もそのようなものだった。千代は生きているとも死んでいるとも、人であるとも人でないとも思えなかった。
結局、あの夢幻で俺は正しく俺に影響を及ぼす者の姿を認識していたわけだ。
「明日、県立病院と|
「あの、千代は助かるのでしょうか?」
「明日の夕まで生きていれば、この哲佐君が助けるでしょう。それではまた」
不安そうにこちらを眺める住民など気にせず、用は済んだとばかりにするりと鷹一郎は外に出る。その途端、外の世界に風が吹く。
春だ。
春の足音がもうすぐそこまで迫っている。濃い桜の香りが大気を震わせる。源三郎の家から少し離れた木に背をもたれて暇を潰していた倉橋が近づいてくる。
「なぁ、それで俺はこれを見て見ぬふりすればいいわけ?」
「人命救助ですよ倉橋さん。明日哲佐君が千代さんを掘り返したら、すぐに病院に運べばいい。死んだと思ってたら息を吹き返しました。それで何も問題はありません。素晴らしいじゃないですか」
倉橋も警察官だ。そんな鷹一郎の口先に簡単にはごまかされたりはしない。
「でもよ。さっきの話じゃその千代さんどころじゃなくて、十人超えって言うレベルで人が埋まってるんでないの?」
「さて。たとえ埋まっていたとしてもそれは江戸期のこと。『|法律に定められていなければ誰も罰することはできない《法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト難モ之ヲ罰スルコトヲ得ス》』、でしたっけ。果たしてこの村の行為が本当に今の刑罰に該当して罰せられるべきものなのかどうか。それより明日も頼みましたよ」
「ひでぇ」
「人命救助ですからね」
その後は倉橋と別れ、俺と鷹一郎は村の周囲を大きく一周し、この村の家々と、それから春の領域と人の世界を分かつ境界上の木々に一枚ずつ紙切れを打ち付けてゆく。
結局のところ、鷹一郎はこのようにして村人から白桜を祓う許可を得た。
言い負かしたとも煙に撒いたとも言えなくもないが、これは白桜と逆上村の住人との縁を切るのに必要なことだ。
地神や土着の妖といった長年同じ土に定着しているものは、少なからずそこに住む人間の魂と繋がっている。俺があの白桜とこの村の住人に同じ香りを感じたように。
そしてその繋がりを切り離さなければ根が残り、根が残ったままであれば誰かが再び復活を願えば新しい妖が生まれてしまう。結局の所いたちごっこに陥って、いつまでたっても完全に祓うことなどできはしない。つまりその縁は鷹一郎が白桜を完全に手に入れるための邪魔者になる。
要するにこれは鷹一郎が祓う範囲を確定する作業で、鷹一郎が完全に白桜をその手に収めるための作業だ。そして完全に根を断ち切るために、鷹一郎は各家に生えた白桜の枝を村人自身の手で全て切らせた。
白桜を信奉し祓うことに消極的な者でも、この行為に罪悪感を覚え、一時的にその魂は白桜から手を離すだろう。
白桜の影響は存外広く広がり、木切れを打ちながら一周まわった時には薄っすら迫った夕闇が、逆上村からはるか遠くに見える山々を薄い紫色にけむらせていた。
この範囲が桜の領域。
すべての作業をを完了させた時、手で塞がれたその鷹一郎の口元が確かにくふふと笑うのが見えた。
「哲佐君。人は死ねば、魂は天に登り魄は地に溶けると言われます。魂は人の精神、魄は人の体を動かすための器です。千代さんにははっきりとした意識があったのですね」
「そう、だな。けど今はどうかわからんよ」
「いいえ。きっと意識はあるはずです。ならば魂は千代さんの魂のまま。魄が桜になる準備をしているのでしょう。そんなわけで体が木になりかけている。仮に意識も木になりかけているのなら、きっとまともな応答は不可能でしょうから」
木は喋らない、か。
千代には意識があるらしい。ということはだ。千代は暗く深い棺の中に閉じこめられ、その魂は天にも登れず固定され、魄を食われて一人静かに木になってるのだ。今も。
それならば、それはやはり、さぞかし恐ろしいことだろう。けれどもそれはきっと、鷹一郎の考慮することに含まれないのかもしれない。
結局のところ根本的には、鷹一郎にとって重要なのは妖で、最終的には千代がどうなろうとは問題にはしていないのだ。だから鷹一郎が千代を助けるのは依頼者がそれを望み、御供である俺がそれを成そうとしているからで、俺が諦めて仕舞えば、あえて助けようともしないだろう。
だから結局、俺の仕事次第だな。
「俺は千代を助けたい。だから、俺は千代を助ける」
恐らくもう間もなく桜は咲くだろう。
最後の不確定要素は赤矢誠一郎。
赤矢は最終的に何を望むのか。千代か、それとも。
「哲佐君。やるべきことは全て終わりました。あとはこの桜の闇を祓うだけです」
「……おう」
春直前の明日の夕暮れ。あの春の領域で全てを終わらせるだけだ。
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