昔話の真実

「どうしろって、いうんだよ」

『哲佐君は未だにこの構造を理解していないのですか。こんなにわかりやすいのに。生贄根性というやつですかね』

 ひょうひょうとした涼し気な声が耳元で囁く。

「な、んだ、よ、それ」

『全く仕方がないですね。千代さん。あなた方は皆さん、勘違いされている』

「勘違い……でしょうか?」

『ええ。いえ、勘違いというよりは、騙されている、でしょうか。哲佐君も哲佐君です。あなた見たんでしょう? 周囲の木々を。かつての巫女たちが苦しんでいるのを。何故苦しんでいるのかわからないの?』

 記憶を思い出す。

 そうだ、確かに周りに立つ何本もの木は身を捩り、怨嗟の声を上げていた。苦しんでいるようにしか見えなかった。だからこそ、千代との様子との違いに違和感を覚えた。

『木になると魄は種子となりますが、魂は囚われて白桜と同化します。すると白桜の考えていること、つまり真実を知ってしまうから苦しむんですよ』

「真実……でしょうか」

 困惑げな声があがる。

『ええ。全てが逆なのです。病を振り撒いているのは白桜です。病を振り撒き止めさせるために生贄を求める。まるで居直り強盗のようなものですね。自作自演というやつですよ。哲佐君。そもそも君は目の前にいる白桜は、病を吸い取るような善良なものに見えますか』


 否。

 そもそもこれは禍々しかった。確かに善良や清凉とは程遠かった。だからまあ、神だとしても禍津神まがつかみとか祟り神たたりがみとかそういった印象だ。

 てぇことはどういうことだ。

 突然、千代の叫びがあがる。

「嘘、嘘です。白桜様は弱った地の力を補填して、この村に溢れた病を吸い上げて頂いているのです」

『そこですよ。この病は必ず30年に一度起こります。それについては知らなくとも、病は必ず1人ずつかかり3日の後にきっちり死に至る。間違いはありますか』

「いえ……」

『千代さん、病というのは順番にかかったりはしない。特に流行病などというものは同時に複数人が罹患する。そしてバタバタと死に至る。順番に1人ずつ罹るようなものは病とは言わない、それは毒です。白桜が対象選んで撒き散らているだけのただの毒です』

「そんなっ!?」

 その千代の声はやけに、この閉じた桜の世界に響き渡る。

『そしてあなたが病を断ち切りたいというのならこの循環から抜け出す義務があるのです』

「義務……でしょうか」

『そうです。白桜が呪いを振り撒いてるだけなら、かつての巫女もそれほど嘆き続けはしますまい。何せ相手は神木に等しい大妖です。御一新前は自由に村を出ることも難しかった時代ですしね。人一人じゃどうしようもありません』

 確かに徳川様の時代では人の出入りは関で厳しく管理されていた。特に女の移動は困難だろう。今よりもっと、この村を出るのが困難だった?

「つまり、何だ、何だって、いうんだ」

『巫女は何をするものですか?』

 巫女は白桜と交わり種を。

『ではその種とは?』

 種? 種は増える、ための……。

 そうして思い返す。この異界で桜はそれはど増えているようには見られない。ここにあるのは古く大きな禍々しい白桜を除けば、いるのは嘆き悲しむ巫女の成れ果て。それ以外の桜の木は見当たらない。

 この村にあるものは草木、桜、病、桜? 桜となった、千代。

「まさか」

『ようやく気付きましたか? この村の病の姿を。病が生じれば、逆上村の住人は木になるのです』

 病となった者はたった3日でまるで干からびるように乾き死ぬ。

 先ほどの乾涸びて木になったような、千代の姿。引き伸ばされ、節くれだったその姿。その姿はまるで、木。

『白桜の種子は開花とともに村を巡る。ねぇ、白桜の種は生贄の巫女から成るでしょう? つまり姿は木となりはてても、その魂は人です。つまりこの種は人に着床するのです。村人に子が生まれたらその血を通じてその子にも。そう、今哲佐君の足元に絡みつく触手のように白桜の種は人と村を侵食するものだ。この村は人と桜が綺麗に共生している。つまり』

 各家の土間に生えた桜の木。

 それから俺の足元にからみつきうぞうぞと傷口から体内に忍び込み種を埋めて俺を木に変えていくその枝。これが病、か。

『30年後にこの村に病を振り撒くのは千代さんの種です』

「そ、そんなはずは!? ……私が、病を? そんな。そんなことって!?」

 弾かれたような声が上がる。


『御覧なさい、あなたの背後を。だからこそ、かつての巫女は悔悟に苛まれているのですよ。自らが病の原因であることを嘆いて。自らが次の病と生贄を生じさせていることを嘆いて。でもよかったですね。今は哲佐君の種になりました。生まれるのはあなたではなく哲佐君の子どもです。それはそれで興味本位で見てみたくはありますが、哲佐君はとても便利なので白桜なんかには差し上げません』

「糞、が。雄に嫁いで、たまるかよ」

『ふふ、哲佐君もこう申しておりますし。あとは千代さんがどうされるかです。それはお二人が決めることです。赤矢さん、お気持ちは定まりましたか?』

「はい」

 赤矢の声は朗々としていた。その魂は正しく千代と向き合った。

 そしてその不退転の決意は、そのきっぱりとした短い返事からも、極めて明瞭だった。

「千代。私はもう死んでいるんだ。千代が守ってくれた魂だけでここにいる。けれどもこのままじゃ、俺の魂はこのままでは天に登って霧散するだけだ。けれどもお前はまだ生きている。未だ生かされている。だから千代、お前が生きるべきだ」

 千代の顔が初めて赤矢のほうを向く。

「嫌です。そんな」

「千代、私はもう死んでいるのだ。私の体は白桜に食われて魄は地に溶けてしまった。だから私は千代の代わりになるよ。そうなりたい」

「魄の方は俺が引き受けるぜ」

「土御門殿。私の魂をお使い下さい。千代、どうか末長く息災で」

 赤矢の声は落ち着いていた。だからこそ本心なのだろう。

 これで全てが整ったのだ。

 カラリとスコップが転がる音がした。赤矢がスコップと、鷹一郎が用意した式神の体を手放して魂の姿に戻ったのだろう。

 あとは、花を咲かせて鷹一郎が白桜を祓えば全てが終わる。


 白桜を祓うには結界を解かせる必要がある。

 結界を解かせるには花を咲かせる必要がある。

 花を咲かせるためには子を産む必要がある。

 子を産むためには人の魂と魄が必要だ。

 白桜の魂と生贄の魂が結びついて一体となり、生贄の魄を糧として実を結ぶ。

 前回来た時に俺が残した鷹一郎の式神が、今の今まで白桜の魂と千代の魂が結びつくのを邪魔をしていた。

 けれども糧は俺の魄が引き受けた。

 けれども実は赤矢誠一郎の魂が引き受けた。

 もとより桜は雌雄同株だ。嫁と言っても肉体の性別はどうでもよい。肉体は魂魄を現世に縛り付ける器にすぎない。

 だから俺の魄と赤矢の魂で足りぬことは、ない。

 その瞬間、千代を守っていた鷹一郎の式神が弾けた。代わりの生贄となった俺の魄が急激に吸いつくされ、体中が引き伸ばされて俺は木に変化する。肉が固まり樹皮と成り、その内で神経や筋は断裂し、ギリギリと万力まんりきで全身を締め上げられるような激しい苦痛が俺を襲う。

 いや、けれども俺の肉体はここにはない、大丈夫、大丈夫だ。

 けれども主観的には糞痛ぇ!

 畜生め!

 赤矢の魂は白桜に飲み込まれて溶け混じり合ったのだろう、赤矢の声が途切れ、千代の慟哭どうこくが響き渡る。

 その瞬間、パチンという破裂音がして春の異界に穴が開く。一斉に俺に絡みつきまとわりついた蕾が咲いてさらりと花弁が解け落ちて風に乗る。この花弁こそが白桜の種子。

「お疲れ様です、哲佐君」

 いつのまにかするりと結界の中に忍び込んだ鷹一郎は、俺の背中にペタリと紙を貼り付けてそれ以上の散華を止め、俺の前、白桜の前に進み出るのを僅かに開いた右目から見えた。


 高天原たかまがはらして

 てん御働みはたらきをあらわたま

 龍王りゅうおう根元こんげん御祖みおや御使みつかいにして

 一切いっさい一切いっさいそだ

 萬物よろずのもの御支配ごしはいあらせたま王神おうじんなれば

 十種とくさ御寶みたからおのがすがたとへんたまいて

 自在自由じゆうじざい天界地界人界てんかいちかいじんかいおさたま


 なんだか頭がぼんやりしてきた。

 混濁した視界に白と朱の衣がちらちらと見え、その腰にいた刀が煌めく光が見えた。

「くふふ。これで白桜は私のものです」

 そんな呟きと同時にカァンカァンという音が響き渡り、異界全体がざわめいてた。

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