やむを得ない事情

「源三郎さん、私はるでうす・えいぶさんよりお話を伺いました。なるほど考えましたねぇ。外国人居留地は治外法権です。居留区での売買自体は罪には問われぬでしょう。けれどもそこに至るまで、そうですねぇ、居留地に入る前に捕まれば、無許可の所持は有罪です。あなたも、それからこの村の全員が」

 鷹一郎はそれはもう実に人品下劣な感じでにやにやと源三郎を見下ろす。

「し、知らねぇ」

 阿片は所持も罪となる。だがこの村は長年高級生薬の販売を主な収入としていることを秘してきた。大葉子や蕺等のありふれた生薬製造が生業であるよう装ってきた。この村で芥子を栽培してるなんざ、村の外では誰も思ってもいやしねぇ。

 だから源三郎は隠しおおせる自信があるのだろう。

「3年ほど前に制定された刑法典で少々変わりはしましたが、以前の新律綱領しんりつこうりょうでは阿片販売の主犯は斬首、手伝った者は流刑ですよね。この村には年端の行かない子供もいるのでしょう?」

「そんなもの、その、るでうすとかいう奴が嘘をついているんだ。村は無関係だ!」

 鷹一郎は表情を変えずに頷く。

「そうかもしれませんね。けれどもこのメモはあなた方のお名前と取引量が明記されています。治外法権で居留区の方には手をつけられなくとも、この村の捜査の端緒には充分です。あなた方が隠している畑もあの御神木を切り倒せばすぐに見つけられますよ」

「なっ。そんなことしてみろ、どんなさわりがあるか……」

「それは私には関係のないことです」

 鷹一郎はキッパリと言ってのける。

 鷹一郎にはおそらく交渉という概念があまりない。求める結論に至るように話の筋を組み立てるのだ。その舌の動きに気づくころには蟻地獄や底なし沼のよろしく抜け出すことは不可能となっている。

 外国商人が密輸した阿片は開港地で数々の中毒死を引き起こしている。だから政府はその管理についても生鴉片生アヘン取扱規則において記録の保管や届出に厳しい義務が課されている。無届けの生産などもってのほかだ。

 言い切る鷹一郎の声はかわらず柔らかかった。なのに土間の空気はすでに、その呼気で冷え切っていた。鷹一郎は猫なで声で続ける。


「源三郎さん。私はあなた方のお考えはとても理解できるのです。突然の御一新でご商売の先を無くされた。本当にどうしようもないご事情です。この村の皆さんが原因じゃぁない。けれどもこの村に他に産業はない。それでも生活していかなきゃぁいけません。だから、ご禁制に手を出したのもやむを得ないご事情もあるでしょう」

「そ、その」

「でも、ご禁制なのですよ。あなた方もこの商売を長く続けられるとは思ってはおられないのでしょう? 御一新前はそれでも適法なご商売をなされていたのでしょうが、今では明らかに違法だ。ですからこの村の人口は御一新後、私も役所で調べましたが、だいたい半分ほどには減っておられますね」

「ち、ちが」

「もちろんそのご事情もわかっております。若い方は外に出て新たな仕事を求めることも出来たでしょう。だからあなたも千代さんを逆城南に逃した。けれども逃げられない方もいた。ご高齢の方々は他に移るすべはない」

 源三郎は下を向き、唇を噛みしめる。

「でもね、もうやめにしましょうよ。いずれ捕まればすぐに終わりになります。あなた方もいつまでも続けられると思ってはいないのでしょう?」

 ぐぅ、という音が源一郎から漏れた。

 先程見回った時、この村の家の半分弱は、雨戸が固く閉ざされ使われている形跡がなかった。すでにこの村自体が斜陽なのだろう。春の影に隠れてはいたが、崩壊の兆しは静かに忍び寄っていた。

 鷹一郎はそこに少しだけ隙間を開けるのだ。逃げる鼠を追い込むように。

「ねぇ、源三郎さん、いえ、村長。そろそろ潮時だとは感じておられるのでしょう?」

「……そんな簡単なことじゃねぇんだ。俺たちにも生活が」

「ところで話は変わりますが、生薬自体の扱いは当然ながら精通されておられますよね。こちらの村の生薬はとても品がよいと聞いております。よい薬というものは求める者にとっては喉から手が出るほど欲しい物のようで」

「は? え?」

「販売先がみつからないことが一番の問題なのでしたら、私がご紹介差し上げられます。幸いにも旧藩立病院にも神津の私立医院にも伝手がございますので。特定の生薬の委託栽培という形になるかもしれませんが、ノウハウはお持ちでしょうし細々とやる分には暮らしては行けるのではないでしょうか」

「……あ、あの、ご紹介くださるので?」

 源三郎の目が初めてまっすぐに捉えた鷹一郎は大きく頷いた。

 こいつは一見柔和な優男だが、中身は目的のためには手段を選ばない悪魔も同様である。突然の話題の転換に源三郎の頭がついていかないところに畳み掛けるのだ。

「えぇ。あなたがたがあの桜を祓うのをご同意いただけるのであれば」

「いや、それではそもそも栽培が」

「この地にはもともと草木の神のご加護があるのでしょう? 桜が宿る以前はそのように暮らされていたのでは? それとも加護があっても育てられないほどあなた方は無能なのでしょうか? それなら滅んでも仕方ないですね。まぁご同意頂けないなら先程の警察官にこれらの証拠をまとめてお渡しするだけです。いずれ近々桜は切られ、今なら助かるかもしれない千代さんも一緒に伐採されてしまうでしょう」

「やる!」

 その言葉の効果は絶大だった。

 鷹一郎はきっぱりと逃げ道を防ぎ、自分のレールに引き寄せた。恐ろしい。

 どうしようもないと思っていたところに風穴が開く。源三郎や村人も違法な行為をやりたくてやってるわけじゃない。他に方法がないからこそ、そうするしかなかったのだ。

 抜け出ることが不可能と思われた袋小路に、雁字搦めの春の香りに、新たな出口が突然開く。

「けれどもす、少し、ほんの少しだけ時間をくれ。皆と話し合ってくる。ここで待っていてくれ」

「わかりました。お邪魔いたしますね」

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