春の萌芽

 色々とこの村に関する調査を終えて、俺たちは春の間際の真っ昼間に再び折戸源三郎宅を訪れた。警察官で友人でもある倉橋朝綱くらはしともつなを伴って。

「それでは千代さんは生きてはいるのですね」

 折戸源三郎の顔は苦渋に満ち、親の仇かのように鷹一郎を睨みつけている。

「生きているのであればただの勘違いでしたで済みますよ。死んだと思っていたけれど、息を吹き返してそのあと治療を続けて回復した。それで治療に専念していたから死亡届が間違いだったと申し出るのが遅れた。ただそれだけのことです」

 それでも源三郎は沈黙を守った。

 けれども鷹一郎は強引だ。一度頼まれた依頼は必ず完遂する。使えるものは何でも使う。俺はそれを黙ってみているしかない。結局俺の仕事は鷹一郎の手伝いだ。口を出す立場でもない。けれども突破口を見つけたい。このこんがらがった状況が一発で解決する方法は。そればかり考えている。

 ……それにしても鷹一郎は最終的にどう事を収めるつもりなんだ?

 確かに桜を祓って千代を助けることができれば、その後に村人が病で死んだとしても、それは鷹一郎の依頼とは別の事情、なの、だろう。そもそも赤矢にとってこの村などどうでもいいはずだ。鷹一郎が依頼を受けたのは赤矢だから。

 その理屈はわかる、んだが。けれども本当に、その結末で、本当にいいのか?


 そして俺よりさらに絶妙な立場にある倉橋はさっきから自分を無視して進められる話に目が泳いでいる。そりゃぁそうだろう、鷹一郎は警察の目の前で『本当のことを話せば見逃す』なんて言っちまってるもんんだから。さすがに耐えかねたのか苦言を呈する始末だ。

「なぁ鷹一郎よ、俺はどうしたらいいんだよ。結局その千代さんは生きてんの、死んでんの」

「簡単なことですよ。生きてたら問題ありません。ただの相談案件です。死んでたら、捕縛すればよいでしょう?」

 捕縛という言葉に源三郎はピクリと震える。

「気楽にいってくれるぜ」

 倉橋はそんな小さな心の声が漏らしながら天を仰いだ。

 ともあれ鷹一郎は赤矢の証言を勝手に笠に着た。

 あなたは何故赤矢に千代という娘はいないと答えたのか、それなのに死亡届を出しているのはどういう了見だ、死んだというなら墓を見せろ、本当は知っているんですよ、生きているんでしょう? 供物にされたということなら私は陰陽師です、お力になれます、と硬軟とりまぜて源三郎から千代が最近村に帰ったことまでは暴き立てた。

 こういうのは真実、口八丁な鷹一郎な役目だ。俺にはとうていできそうにはない。源三郎は何が起こっているのかおそらく理解していないぞ。まあ、仕方がないな。

 それでも源三郎は、千代が最終的にどうなったかまでは口を割らなかった。ぎりぎりと歯を噛み締め、鷹一郎を睨みつける。


「仕方ないですねぇ。では、これから秘密の話を致しますから倉橋さんは少しばかり出て行って下さいな」

「お前ねぇ、俺も暇じゃないんだよ? 俺を何だと思ってんの?」

「もちろん優秀な警察官です。話し合いがまとまらなかったらお呼びしますので」

「へいへい」

 ニコリと笑みを浮かべる鷹一郎の言にガラリと戸口から出ていく倉橋の向こうの風は、桜の色に染まっていた。あの妖に縁のない倉橋には、ただの暖かい風に思えるのだろうけど。

「さて源三郎さん。あなたは千代さんもしくは千代さんの亡骸が見つかったとしても、ご自身がなされたというとにして事を収めようと思われてるのでしょう? でもね。これを見つけてしまいましたよ」

「……それがなんだってんだ」

 鷹一郎が懐からつまみ上げたそれを見た源三郎は一瞬固まったが、すぐに気丈を取り戻す。

 俺たちは倉橋と待ち合わせた時間より少し前、朝からこの村の周囲をうろうろと探し回った。元逆来寺に千代の墓がないことや、新しく墓跡に刻まれた8人の名前が鷹一郎の確認した死亡届と合致する事、そしてそこに生えていた何本かのご禁制の植物。

 採取したばかりの特徴的な膨らんだ蕾。つまり、阿片の原材料たる芥子。

「そうですねぇ。まあここ以外でも普通に生えはしますしね。確かに私は畑は見つけられませんでした。今はね。ですから私は念のため、色々あたりました。これでも顔が広いのです」


 俺の頭の中にはその色々当たったときのことが思い出される。

 俺たちはまず最初に千代の死亡診断を行った逆城南の中郡医院を訪れた。まだ綺麗な、二階建ての白い医院だ。

「逆上村から芥子を仕入れていますよね」

「し、知らん」

 中郡医師は最初はしらばっくれた。けれどもそれは長くは保たなかった。

「証拠がありますよ」

「この綺麗な医院を作られるのにたくさんのお金を工面されたのでしょうねぇ?」

「捕縛されると困りますよねぇ」

 そんなふうに鷹一郎がにこやかに告げるものだから、中郡医師は哀れにもあっという間に陥落し、土下座までしようとする始末。それを鷹一郎は優しげに止めるのだ。

「いえいえほんの少しだけお尋ねしたいことがあるのです。千代さんの死体、先生は確認されてらっしゃいませんよね」

「……はい」

 すがるような目線で鷹一郎を見上げた中郡医師は千代の死体を確認せずに死亡届を書いたことを認めた。それに加えてその他の8人の住人は明らかに奇病であったのに、ただの感冒と記載して死亡届を作成したと述べる。そして村長にそうしなければ警察にバラすと言われたそうだ。すっかり観念した中郡医師は、鷹一郎が一々訊ねる前に一連の話をぺらぺらさえずった。


 その次に向かったのは神津役場の会計室だ。廃藩置県の折に藩の債権も債務も併せて新政府に引き継がれたものだから、藩の財政資料はきっちり残っている。

 その帳面には高麗人参や冬虫夏草といった高級生薬が定期的に納入されており、納入元はそれぞれ個人であったがいずれもその住所は逆上村。けれどもそれは御一新前までのこと。おそらく以降は財政緊縮のために取引は打ち切られ、府県統合によって逆上村との取引の伝手は完全に失われてしまったのだろう。そうすると村の収入は途絶える。

 だから手を出してしまったのだ。廃藩置県とほぼ同時期に禁止となった阿片売買に。

「坊主の言いつけを守ったんじゃねえのかよ」

「哲佐君は顔に似合わず善良ですよね。そんなことはあの話にすら書いてなかったじゃあないですか。それにね」

 ふん。

 確かに話には巫女が選ばれた事しか書いていなかったな。

「人間ってものは一度覚えた蜜の味をそう簡単に捨てられるものじゃないでしょう? 特にこの村は何もせずとも、生えてきちゃうんだから」


 生えてくる。その結論が、未だに続けられる生贄の風習だ。勝手に生えてくる。草木というのは確かに地面に落ちで場自然と増えるのだ。三十年。それは遠い先なのかすぐそばの未来なのか。眼の前には売れば高い値の付く草花、そして未だ生まれてもいない三十年後の生贄。なんとかするには……一帯を焼き払う必要もあったのかもしれない。

 頭の中に桜が浮かんだ。

 坊主から生えた桜の巨木。村を守ろうとした坊主の成れの果て。そしてその周囲には生贄となった10本あまりの巫女の木々。

 ひょっとしたら。ひょっとして村の人間が生薬栽培から手をひくことができていたなら、あの木々は桜の世話だけをして人のまま一生を終えることができたのだろうか。

 あの春の世界の中で怨嗟に身をやつしたかの様な、細い木々の姿が脳裏に浮かんだ。

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