病の始まり
「そんで逆上村の病の噂か」
この妙に高い声は屋代のものだ。屋代はいつも自身が子どものように小柄だから声も高いんだといつも嘯く。同時に子どものように好奇心が旺盛だから欲しい物を集めて何が悪いとも。
「そうです。屋代さん、何かご存知ですか?」
「まぁ色々あるよ、古いのから新しいのまで」
「一番古いのはいつ頃です?」
鷹一郎の問いに、屋代は目玉をくるりとまわした。
「そうさな、日付が明らかなものは丁度330年程前だな。当時の逆上村のことで、逆城神社が移築する前だから、その範囲はもう少し広かったらしいが」
黄土色にくすんだボロボロの紙を屋代は丁寧に広げる。
『
丁度、今から330年前。30年周期とすると時期もキッチリ符合する。
「明らかでないものは?」
運んできたひとまとまりの本から更に一冊が取り出される。
「こっちは本自体は江戸中期頃の写本だが、
「鎌倉中期ですか」
「偽物だよ。書いてる内容も時代がマチマチだ。だからいろんな話を集めまとめて、昔の誰かがくっつけたんだろ。けどこの中の地形や地名から考えればこの逆城あたり、おそらく応仁の乱の後くらいに思われる話が一つある。中身はこうだ」
屋代は少し黄ばんだ綴じ本を開いた。
それは緑豊かな村の話。あらゆる草木が咲き乱れる春の丘の上にある村だ。
その村は田畑を開く場所もなく、水も豊かでもない。鉱山も林業に足る森もなかった。村には草木の神が祀られていた。だからなのか、村では
それらはありふれた草木だったけれども、村で育てば質は良い。だから村人は薬種として薬問屋や城に
けれどもその頃、村の誰かが気付いたのだ。大葉子や蕺草以外の植物も植えれば増えるのだと。
おそらく戦乱の機運によって生薬の需要が高まったのだろう。こんなものは育ててはいないかねと、問い合わせでもあったのかもしれない。
そして村の誰かが金になりそうな草を植え、それは増えた。その種類は次第に増え、日の本ではうまく育たないような希少な生薬の原料でも季節を問わずに生えた。それを売って村は豊かになった。
しかしそれは長くは続かなかった。
ある秋、村に疫病がおこった。それは酷い病で、あっという間にパタリパタリと村人が倒れ、村は滅ぶかと思われた。そこに旅の僧侶が現れる。
僧侶は、これまでこの地になかった草木が増え、この地の力が枯渇したことが病の原因であると言う。僧侶は村を助けようと祈祷したが呪いは極めて強力で、ついには僧侶も病に倒れてしまった。
僧侶は
1つは自分が死んだ後に木が生えるから、必ずその世話をすること。
そしてもう1つはこの木のことは秘密にし、今後は普通の生薬の販売を生業とすること。
そう伝えると僧侶はことりと息を引き取り、その屍からするすると一本の桜の木が生えた。そして僧侶の代わりにその桜が病を吸い取った。
このようにして村から疫病は失われ、以前と同じように豊かに草木が生い茂る村になった。
村人は大いに喜び、桜を祀るために社をたて、村の若い娘が桜の巫女となりひそかにお祀りするようになった。
「へぇ、わかりやすい」
「だろ? 土御門、これは多分逆上村だ」
「今は何を作っているんです?」
「御一新前は人参で、以降はご禁制だ」
「ああ、それで」
昔話風だからふわっといい話のように書かれているが、おそらく疫病は根絶されなかったのだろう。僧侶によって病はおさまったが、30年周期で病は再燃した。そしてその度、病を治めるために巫女が捧げられた、ということなんだろうか。
そしてその桜の巫女というのが生贄で、今回は千代。
ようやく、千代の考えが腑に落ちた。
千代は村人の病を癒すために自ら生贄となっているのだ。
千代が生贄にならなければ誰かがかわりに生贄にならないといけないのだろうか。それはやはりあの村の誰かで、誰も生贄にならなければ病が広がり死人が出る。けれども鷹一郎はあの桜を祓う気満々だ。桜のご利益がなければどうなる。先程の話では桜は病を抑えている。だから桜を祓ってしまえば病を抑えるものがいなくなる。つまり病は治らない。
「八方塞がりじゃねえか」
「そうですか? 問題は変わってはいません。私はあの桜を祓うだけですよ。哲佐君は千代さんを説得して仕事を果たせばよいだけです」
鷹一郎にとっては何もかわらないのだろう。けれども村はどうなる。千代の思いはどうなる。なんでも無いようにそう述べる鷹一郎の常と変わらぬ表情にわずかに苛立ちを覚える。
「その前に邪魔者を片付ける方策を考えましょうか」
「邪魔者?」
「源三郎さんをはじめとした村の方々ですよ。哲佐君も言っていたじゃないですか。あの桜は逆上村に根を張っていると。祓い始めて邪魔をされちゃぁ困ります。私が完璧にあの妖を手に入れるためにも、あの村と妖の縁をきっちり切りに行きましょう。それに祓っている最中に後ろから物理的に襲われれば、私だってどうしようもありませんからね」
桜と村の縁を切る。
鷹一郎は桜を祓う気満々だ。
けれども悠長にしていれば結局、桜が咲いてしまって千代は助けられない。けれども千代が桜になるまでに千代を助けて桜を祓えばもはや病を止めるものがいなくなる。病が蔓延して、結局村は滅びる。
いや、村人全員で逆上村を捨てればそもそも病にならないのだろうか。けれどもそう簡単に村を捨てられるわけがないだろう。死病だ。出られるものならもう出ている。小さな村とはいえ百人ほどはいるだろう。いきなり村から放り出されて身を立てるすべもなく、どうやって暮らしていくというのだ。住むところもない。
ぐるぐると出口のない考えが頭の中を巡る。鷹一郎の眉が僅かに下る。
「哲佐君は何をグチグチしているのですが。どちらにせよ彼らが千代さんをどうしたのかを聞き出さないと、助けるもなにもないでしょう?」
「それはそうだった、な」
依頼された仕事とはいえ平然とした鷹一郎が、やはり少し癪に障る。
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