桜の病
「お待たせいたしました。一番近い村の過去帳をお持ちしました。けれど、ざっと確認した範囲ではそれほどおかしな様子はなさそうです」
「拝察いたします」
鷹一郎は帳面を受け取り、パラパラと捲り始める。
「他の村の過去帳もいくつか確認したのですが同様でした。ところで寺男が逆上村に時折妙な病が発生するらしいという噂を知っておりました。ある村にのみ生じる病、風土病というのでしょうか。そのようなものが存在しうるものなのでしょうかね」
住職は整った眉を僅かに潜め、不安げに鷹一郎を見つめる。幸来寺と逆上村は歩くにはそれなりの距離はあるが、直線距離は近い。崖のすぐ上と下だ。心配もするだろう。
「なくは、ないですね」
帳面をパラパラめくるそのすき間に次々としおりが挟まれる。今度は鷹一郎の手元を注視していたが、そのいずれもが時期や記載内容から飢饉や天災の年のようにも思われ、パタリと閉じられた帳面の天の栞はざくざくとすき間が空いていた。
つまり近隣の村には逆上村に生ずるような定期的に発生する病はない。
「例えば
「4年前は10万人、昨年は3万人を超える死者が出たと新聞にありましたね。あのときは酷い有様でした。高熱や腹痛で貧しい者から倒れて。こう申しては何ですが当寺も大変な騒ぎでした」
住職はしんみりと頷く。あの狂乱は記憶に新しい。まるで呪いのように次々と人が倒れ、皮膚に黒い斑点ができてあっという間にコロリと死ぬのだ。流行り病とはかくも恐ろしいものかと思い知る。
「そうでしょうね。神津港に防疫所ができましたが、虎狼狸というものは外国から来た病で、元々は日の本には存在しなかったものです」
「そのようですね」
「それと同じように病というものは特定の場所で起こり、それが伝播することもままある。けれども反対に伝播しないこともままある。そんなありふれた病の一形態という話です」
難儀ですね、と住職は呟く。
それからいくつか鷹一郎と住職は世間話をして、俺たちは辞した。
結局の所、わかったこととしてはあの古い桜はおそらく300年より前に生え、それ以降30年毎にあの村に病が生じているということだ。その度に生贄を捧げているとするならば、300年で10人。
嫌なことにあそこに生えていた木のおおよその数と符合する。
見上げてもここからは逆上村は見えはしないが、やはりなんだか嫌な気分になった。
「なぁ、虎狼狸も妖の類なのか?」
「馬鹿じゃないの?」
鷹一郎の呆れたような口調はいつものことだが、加えて哀れ気な目で見上げられた。
「はあ? お前が言ったんだろ」
「虎狼狸が妖怪というのは新聞のデマですよ。れっきとした流行病です。それに虎と狼と狸の化け物がうろついて病気になるわけ無いでしょう。さっきのは事実ではありますが、風土病というのを適当に誤魔化しただけです」
「なんでまた」
ふぅ、と鷹一郎はため息をつく。その間も鷹一郎の足元は忙しない。昼過ぎに
屋代
そしてふと、目の端を赤い花びらがちらつきギョッとする。急いで捕まえればそれは桜ではなく梅の花。思わずホッとした。逆城神社の有名な梅林、あるいはその辺りの家屋の庭から飛んできたものなのだろう。
「哲佐君。逆上村の流行病は客観的には風土病です。風土病の面倒なところは、その病だけに注目してはいられない所なんですよ」
「生贄か?」
「馬鹿じゃないの? いえよく考えれば風土病じゃなくて奇習になるんでしょうかね」
「そりゃ一体、何が違うんだよ」
「少しはそのご立派な体の上に乗っているものでお考えなさいな」
「ふむ」
逆上村では三十年毎に病が起こる。他の場所では起こらない。奇習とは奇妙な習慣のことだ。生贄というものは奇妙な習慣なのだろうが、そう考えていくと我が身につまされる。俺は全国津々浦々、都でも田舎でも生贄を仕事にしているわけだ。
「奇習ってのはどこにでもあるもんじゃねえのか?」
鷹一郎は盛大にため息を吐いた。
「奇習というのは古くからの習わしです。それは奇妙だなと思っていれば済むことですが、風土病というものは場所にまつわる病です。ようするに下手に風洞病があるだなんて噂が流れると、犬神憑なんかと同じように差別の温床になるんですよ。あの村の出身は病持ちだとか呪われてるとかね。だからあたかも風土病があるかのように述べるのはよろしくありません」
「面目ねぇ」
「それにこの化け物はもう私のものです。私が祓いますから今後は流行病なんて起こらない。だからこれから事実無根になる噂なんて、ないほうがいいんですよ?」
何故だか得意げな鷹一郎の真意はいつも通りさっぱりわからないが、その理屈にはぐうの音もでなかった。けれどもその内容を噛み締めると、結局今まで流行病か起こっていて、現在のままでは、つまり鷹一郎が祓わなければ起こりうるということだ。
あの桜の木が何者で、何故千代をとらえているのか。千代は薬を作るといっていた。その対価として、千代は生贄となることを大人しく是としているのか。生贄。ようするに千代は生贄なのだ。あの村を守るための生贄。
俺は千代に妙に同情していた。それは俺がちょくちょく、嫌々に生贄になっているのもあるだろうが、千代の妙に堂々とした言葉や態度が眩しく感じられたのだ。けれども他の村人が助かっても、千代は助からないんだろう?
なんとか千代も助けてやりてぇな。
けれどももうあまり余裕がないのも確かだ。急がなければならない。何故ならここ数日、追い立てられるが如くその気温が上昇していたからだ。
梅が散りきれば桜が咲く。
だから千代も村人も助かる方法があれば、それが最善だ。
そんなことを頭に巡らせているうちに、いつのまにやら足は屋代の店にたどり着いていた。
「ごめんくださいよ」
「あいよ」
そんな簡単な返事が、暗い暗い店の奥から聞こえてきた。
屋代の店は最近開発された逆城南にある。つまり店はできたばかりで漆喰の匂いも鮮やかだ。そのはずなのに一歩足を踏み入れれば既に僅かにかび臭く、店内はひたすら暗かった。よくみると薄っすらとだけ明かりが差し込んでいるようだが、表通りに面した店先に燦々と照る陽の光とのコントラストで、その奥はほとんど闇だ。
とはいえしばらくすると目は慣れる。
所在なく待っているとたくさんの物やうず高く積み上がった本をかき分け、ゴソゴソと不釣り合いに大きい頭を揺らす小さな男が奥から現れる。
そうか。この大量の物が窓やら何やらの明り取りを全て塞いでいるのだな。もったいない。
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