4章 それはいつのまにか、いた
「ところで哲佐君。突然生贄になれ、っていわれたらどうしますか。お駄賃はなしです」
「なし? そりゃ逃げるだろ、駄賃があってもよっぽどじゃなきゃあ」
そこまで言って、なんだか墓穴を掘った気がした。
「ですよね。哲佐君がとても特別なだけという話です」
鷹一郎が実に愉快そうにくすくすと笑うのが気に障る。
「うるせぇ。それで何が言いたい、いや、そうすっと千代はもともと生贄になる予定だったのか」
「そこまではわかりません。けれども千代さんが茶屋をやめた時期と千代さんの死亡届が出された時期はとても近い。ですからきっと、千代さんにとって突然の話じゃないんですよ。だからこそ、逆城南に逃げてきた。源三郎さんが逃したのかもしれない」
「そういえば、もともと千代はあの村に住んでいたんだもんな」
鷹一郎はしたり顔で頷く。千代の様子は無理やり生贄になったという風情ではない。相応の覚悟をもとにあそこにいる。そうでなければおそらく泣き叫んでいたことだろう。
隣に並ぶ鷹一郎は、俺の内心など一顧だにしないように澄ました顔で先を続ける。
「おそらく逆城南はあの化け物の影響下にはないのでしょう。根っこはこの参道より下には降りてきていないようですし」
「そうなのか? たしかに今はあの木の気配はしないが」
俺と鷹一郎は早朝の逆城北を歩いていた。
化け物の嫌な感じってものは一度
逆城の町は旧街道を挟んで南北に分かれている。二東山のある逆城南は明治に入ってから開発が進んだ新興地だ。一方のこの逆城北は昔からの逆城神社の門前町で、東海道に連なる古くからの宿場町。
旅人は逆城と西隣の
「哲佐君は逆城神社がもともと二東山の上にあったのはご存知でしたか?」
「ああ。確か江戸の初めに今の場所に移築したんだったか?」
どこかの誰かから聞いた言われだ。
「そうです。もともと逆城神社は
先日見た二東山の茶屋の風景を思い浮かべる。
あの山頂には神社跡の展望台があり、はるか太平の海がどこまでも見渡せると聞く。そりゃあ見晴らしのよくて気持ちのいい場所なんだろうなあ。
「ふぅん、逆城じゃ海は見えねぇから残念だろうな」
「そうですねぇ。だからおそらく今の逆城神社の実際の主神は配神の
「岐の神? そいつはどんな神様なんだ?」
「簡単に言うと、道の神様ですね。疫病や悪意なんかの侵入を防ぐんですよ。
道祖神というと辻々にたまに見かける小さな仏さんか。この逆城では特によく見かける。
「うん? それじゃあ逆城神社はあの桜の化物を封じるために移築されたのか?」
「いえ、それはないでしょう。古妖のようですが、神社を移さねばならないほど強力とも思われません。おそらく移築の目的は別なのでしょうね。ただ、逆城神社があるところにわざわざ妖が芽吹くとは思われませんから、おそらく移築前後かその少し前あたりに芽吹いたのでしょう。つまり」
「つまり?」
「まあ樹齢300年前後は経っているのでしょうね。家康公が街道整備を始められたのは
「そんなに昔のやつなのか」
300年前。
この日の本で多くの侍が刀を振り回して殺し合いをしていた時代。少し前に収まった西南戦争での主な武器は既に西洋式銃だった。人を刀で切るような時代は遥か彼方だ。どうにもこうにも想像がつかねぇな。
なんとかなるものなのかな、と嫌な予感に薄ら寒くなる。
「長く生きてるからってそれだけで自慢になるものでもありません。問題はあの逆上村とあの古妖の関わりです。つまり生贄の風習というものは昔からあったのか。そうであれば生贄は何のために捧げられていたのか」
頭に浮かぶのは千代の周りにあった黒い木々だ。
「けどそんな昔のことなんてわかんねぇだろ」
「わかりますよ、今向かっているところです」
はぁ? 人の記憶なんて20年も経てば曖昧だ。一体どうするっていうんだ。そう思いながら歩いていると、鷹一郎は
「役所で聞いてまいりましたが、この幸来寺は逆上村を含むこのあたりの村の現在の菩提寺で、有名ではないものの長くからあるそうです」
寺はそれなりに古く大きく見えた。古めかしい山門をくぐった境内は清涼な樹々に満ち、小坊主が門前を掃き清めていた。
「ごめんくださいまし。わたくしは辻切西街道の土御門と申します。先日お手紙にてご連絡差し上げましたが、住職はご在寺でしょうか」
話は通っていたのか、お待ちしておりましたの声とともに応接に通され、間も置かずに古い帳面を携えた三十そこそこの若い僧侶が現れた。こもごもの挨拶の後、早速その中身にうつる。
「こちらがお預かりしております逆上村の過去帳でございます」
「拝察致します」
僧侶は淡々と説明を続ける中、鷹一郎は早速帳面を捲る。
「一応当寺が逆上村集落の菩提寺ということにはなってはおりますが、実際は村の方との交信もほとんどございません。もともと逆上村にありました
逆来寺は崖の上にあり、この幸来寺と親交を深めていた。けれども逆来寺は廃仏毀釈の際に破壊され、再興することもなく最も近くで無事であった幸来寺を
廃仏毀釈。
御一新前後に多くの寺社が民衆の手によって打ち壊された。俺が10歳くらいの時だ。俺の生まれは東北でこの神津じゃないが、誰も彼もが時の風に吹かれて狂乱していた時代だ。このあたりのような古刹の多い地域ほどその破壊の影響を受けている。
鷹一郎は帳面の一番うしろからめくるが、直近の記載はなさそうだ。千代の名も。
「昨年秋から現在にかけて建てられたお墓はございますでしょうか」
「当寺には逆上村の方の墓は一基もございません。死人が出れば逆来寺の墓地に埋めているとは聞いております」
年に一度、まとめて逆上村から連絡が来るらしい。
「では本当に最近のことなのですね」
戸籍が編纂されるまでは寺請制度に基づき寺が人の出入りの管理を行っていた。鷹一郎が捲っている過去帳は、その
鷹一郎は最初から再び帳面をパラパラめくり、チラと手を止めたページでわずかに眉を
「30年に一度ですか」
「なにかございましたか」
「こちらを御覧ください。おおよそ30年周期で村人が亡くなっている」
鷹一郎が閉じた帳面をそのまま縦にすれば、その様子は奇妙だった。その
「ふうむ? 流行り病か何かでしょうか」
「このあたりで定期的に流行る病のようなものはございますか? もしよろしければ近隣の過去帳も拝見したいのですが」
「定期的に……そのようなものは
僧侶の後ろ姿を見送りながら鷹一郎は俺の腕をつついて改めてページを開く。
そしてその示された数に慄いた。
それぞれのしおりの場所には少なくとも五人、時には三十を超える人の名が死亡者として記されていたのだ。死亡日を見れば全員がさほど間を置かずに次々と死んでいる。あの村はせいぜい家は三十戸ほどだった。しかもいくつかは既に廃屋と化し、使用していなさそうな家屋もある。
昔の村の様子はわからないが、現在の状況を前提とすれば各戸一人ほどは死んでいる計算だ。村には死者が
「ざっと拝見すると定期的に病が起こり、一定の期間ののちに収束している。とすれば安定した解決方法が存在したように思われます。この過去帳の最初の
「千代は
「その線は妥当そうですが何か、妙にひっかかります」
「何か?」
「必ず三日毎に人が死んでいる」
「三日」
改めてその帳面を見てみると、確かにどのページも死亡日はきっちり三日おきだった。
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