第8話 プロポーズ
ベッドに移動するのももどかしく、美和はすでに十分に硬度を持った僕のものの上にゆっくりと腰を沈めた。
一つにつながった時、彼女は驚いたような声を上げると、恥ずかしそうに言った。
「男の人とするのは十年前のあの夜以来なの。だから気持ちよくなるまで時間がかかっちゃうと思う」
十年前と同様、最初はかみ合わなかった二人の律動が共振し始めると、彼女は自らの予想に反し、早々に歓喜のさえずりを奏で始めた。
膝の上で弾む彼女の身体を抱きながら、僕は酸素が欠乏してよく回らない頭で考えた。
十年前のことで彼女と別れるつもりは毛頭なかった。あの事件に関しては、今では笑い話にできる程度の思い出だ。
でも、なかったことにしようと言ったところで、彼女の罪悪感は消えないのだろう。それならば、十年前の一夜のメモリーを全部上書きしてしまうような、そして向こう十年はデータが揮発することのないような、今夜をそんな激しい一夜にしてしまえばよい。
「美和。好きだよ。大好きだ」
僕は、美和をベッドに誘うと、美和の両足をみだらな角度に開いた。
「セックスの時のリップサービスじゃないよ。本当に、何でこんなに好きなのか、自分でもわからないほど君のことが好きなんだ」
僕は最大限に体積と硬度を増した僕のものを美和の奥まで突き入れた。すっかり熟した彼女のその部分はそれをするりと飲み込み、彼女は大きな声を上げて身体を痙攣させた。
僕たちは、ようやく、身も、心も、一番深いところで繋がることができた。
それからのことは、箍が吹き飛んでしまったとしか言いようのない。ヒトがヒトになる前の、脳の奥から湧き出る動物としての本能、その情動のなすが儘に、僕は際限なく彼女の身体に挑んだ。
大きな波のすぐそのあとに、また大きな波がやってくる。もう何度目かわからない絶頂に駆け上がろうとする彼女に、僕は残された体力のすべてを絞りだした。強く抱きしめ合って押し寄せる快感に身もだえた僕らは、やがて河原に打ち上げられた丸太のような深い眠りに落ちた。
どちらからともなく目を覚ますと、もう朝と呼べる時間を過ぎていた。
僕らは全裸のまま浴室に向かい、互いの身体を隅々まで洗い合った。
「人生最高の一夜だった。もう何も思い残すことは無いわ。本当にありがとう」
美和は、湯船につかりながら僕の肩に腕を回すと、長い、長いキスをした。
外に出ると、もう太陽は高く上っていた。美和は、つないでいた手をすっと離すと、駅に向かって歩き始めた。どうやら「最後に一度だけ」は、本気のようだ。
彼女は僕を少しも顧みることなく青信号を渡った。彼女の利用する私鉄の駅はもう目の前だ。
僕は美和を愛している。昨晩、十年前のことを不問にすることを決めて美和を抱いた。身体の相性が良いことも確認できた。
もうそれで充分じゃないか。ああ、畜生!恋する男の思考回路ってやつは、なんでこんなに単純で短絡的なのだろう。
「美和!」
エスカレーターに乗ろうとする彼女を、僕は大きな声で呼び止めた。
「僕と結婚してください!」
五メートル先を行っていた彼女が振り返った。ただならぬ雰囲気に、何事?と僕たちの周りに人が集まり始めた。
「結婚してください!」と僕は繰り返た。
彼女の唇が「いいの?」と動いた。
美和は、目にいっぱい涙をためながら、歩み寄って僕の手を取った。
「うれしい!よろしくお願いします!」
周囲の緊張がふっと解け、拍手が沸き起こった。
いつの間にか、僕たちの周りには二十人ほどの人が集まっていた。三人組の女性グループから「おめでとう」と声を掛けられ、男子大学生のグループとはハイタッチを交わした。
美和の手を取りながら、周囲の人に「お騒がせしました」と頭を下げると再び拍手がわきおこった。
僕に顔を寄せた美和は、目に涙を貯めながら、うれしさと恥ずかしさとがないまぜになった表情で僕にささやいた。
「こういうことは、二人きりの時に言ってくれないかな」
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