3:✪ ⁂
「この星にはフィールドワークのために来たの」
そう言いながら、イデアは魔法瓶からシルバーマグにホットココアをトポトポと注いだ。袋から出したマシュマロもたっぷり載せて、この香ばしい匂いはシナモンだろうか、何かスパイスを軽く振っている。
「寒かったでしょう。遅くまで手伝ってくれてありがとう」
廃団地に放置された、片はんぶん割れたガラステーブルにシルバーマグを載せて、取っ手をキミの利き手に向けてくれる。
食器なんかは過去の住人の置き土産かもしれないけど、湯気が立ち上るこのココアは一体どこから出てきたんだ?
イデアの柔らかく落ち着いた声は、物凄く聞き心地がよかったが、一周回って自動音声みたいに作りものっぽくもあった。
「来る時に乗り物の停め方を少し失敗してしまって……不時着してしまったのよ。修理と調査を同時に進めないといけないから、もう大変」
不時着したのは、この部屋の天井を見ればわかる。
車庫入れを失敗する感覚で、UFOを団地にめりこませないでほしい。
暖房も電気も何もない部屋で、明らかに仏壇用って感じのデカいローソクだけが点いている。
恐ろしさよりも寒さが勝って、キミは得体のしれない女・イデアが出してくれたココアに口を付ける。
溶けたマシュマロの甘さに目を丸くして、そのまま音を立てて啜った。
イデアは寒さを感じないようだ。制服一枚きりで、にこにこしている。
その様子に、キミは低い声で尋ねる。
つまり、宇宙人ってこと?
「まあ。その呼び方は凄く旧時代的よ。宇宙はこの星をも内包しているのだから」
それもそうか、とキミは思い、そんなこと言われたって、とボクは思う。
宇宙人は宇宙人じゃないか。
イデアは暗闇でも目が利くのか、いや、そもそも視野がボクらとは違うのか、明らかに盲点だろうところへ奇妙に腕をさまよわせて、古びた冊子をテーブルに広げた。
「だけど、このガイドブック通りに行動して、本当によかった。ほら、見て。もし調査員が不時着したら、まずは身なりを整えること、そして労働力が集まっていそうな場所に潜入して、一等さびしそうな目をしたコに協力を仰ぐこと。そう書いてあるでしょう」
ボクもキミも読めないミミズがのたうったような字で、そう書いてあるらしい。
クラスで一等さびしそうな目をした労働力であるところのキミは、それを聞いてなんとなく気まずそうな顔になった。
ん? それよりも、身なりを整えるって?
「……悲しいことだけど、私たちの本来の姿は、この星の人たちには到底受け入れられないと言われているわ。そのせいで、これまで多くの同胞が不条理に命を落としてしまったの。だから、協力対象にとって、もっとも魅力的に見える姿に、身なりを整えることが通例になっている」
なるほどね。魅力的なボクにそっくりな姿をしているわけだ。
「でも……でも私は個人的にそんなの、助けてくれた人を騙すみたいでおかしいと思うの」
イデアは少し恥ずかしそうにうつむき、上目遣いでキミを見た。
頬を赤らめて横座りする姿は、舞台が腐ったフローリングの上であることはともかくとして、かなり色っぽく見える。
「だから、あなたが私の本当の姿を見たかったら、その……構わないんだけど。現地の協力対象にはできる限りのお礼をするようにってガイドブックにも書いてあるし」
キミはちょっと考えてしまった。いや、ちょっとどころじゃない、心の中のプールが軽く煮えるくらい考えた。
地球人には到底受け入れられないような姿を見せることが、お礼!?
ボクだったら有り得ないって即答するところだけど、キミはそういう男の子だからね。常識に捕らわれない冒険心とスケベ心があるんだ。
まあ、っていうより、キミは紳士だから、せっかくのお誘いを断るのは彼女を傷つけてしまいそうで、気がひけたんだろう。結局は丁重にお断りしたんだけど。
その代わりキミは、それ絶対にプールの底の方から出して来たよねって感じの、意味不明なお願いを口にした。
オレをあなたの星に連れて行ってくれないだろうか。
ボクは耳を疑ったね。まさかキミが、そこまでの冒険家だったとは!
さすがのイデアも驚いたみたいだった。
「連れて行ってほしいって……だって、私の星はとっても遠いのよ。たとえ辿り着けたとしても、あなたみたいな普通のコはもうここに戻って来られないわ。それに」
イデアは顔を上げて、頭上のUFOを見上げた。
「アレは一人用なの。もしも私と一緒に来るなら、あなたは自分の持っている重いものを、何もかも捨てていかなくてはならない。それって、どういうことかわかる? つまり、あなたの……」
イデアはローソクに仄赤く照らされた手のひらを、キミの体に向かってさまよわせた。
「この星の言葉にうまく置き換えられないけど、心とか……体とか……魂……つまり、あなたの望み以外のすべてを捨てるってことよ」
ん!? それってこのボクもお荷物扱いってこと!?
めちゃくちゃ慌てるボクを差し置いて、キミは答える。
かまわない。
「ねえ、よく考えて。この星にいるあなたの家族や友達、好きなコ、これから先のいろんな未来、そういうモノたちと、あなたはもう二度と繋がれなくなってしまうのよ」
かまわない。オレはそうしたい。
いや、そうするべきなんだと、ずっと思っていたから。
イデアは困り果ててしまったように、開きっぱなしのガイドブックに目をやり、その分厚いページをぱらぱらとめくった。
さびしそうな目をした協力対象を、母星に連れ帰る。SFでもあるまいし、そんな前例は果たして現実にあるんだろうか?
「……わかった、とは今すぐには言えない」
イデアは腕組みしてキミを見据える。
「私の指導者に確認を取らないといけないし、そもそも乗り物もまだ直っていないしね」
どこか励ますようにキミに言って、イデアは優しい笑顔を見せた。
その顔は今やボクそっくりで、もはや本家よりもオリジナルらしい。
妙なピアスをしているボクの方こそなんだかニセモノみたいだ。
「だから、その間に君もよく考えてください。もしかして君はとっても寂しいのかもしれないけど、それは、決してこの豊かな星で満たせないものじゃないと思うの」
その言葉に、キミは小さく首をかしげる。
いなくなることでしか満たせない寂しさが、この星にはあると思う。
まるで謎かけみたいにキミは呟く。
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