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 信田がいなくなった野中整形外科でリナは相変わらずひとり忙しい日々を送っていた。


 朝早くから出勤し診療所の準備をして夜六時の受け付け終了まで百五十人以上の電子カルテに向き合う。


 診療が終わってもカルテのチェックや予約の管理といった雑用で時間はどんどん過ぎてしまう。


 なんとかひとりで終わらせて家に帰りお風呂に浸かってひと息つく頃にはもう日付けが変わろうとしていた。


 毎日家と診療所の往復で精一杯。


 しかもコピー人間を作った純ともしばらく会うことができずにいた。


 純がコピーを作ったばかりの時に一度だけ二人に会った。


 不思議な感覚だった。


 目の前に自分が知っている純が二人いるのだ。


 顔も笑い方も仕草も声も全く同じ純が。


 二人とも楽しそうにリナと話をしていた。


 まるでずっと昔から一緒に過ごしてきたと言わんばかりに二人は仲良く嬉しそうだった。


 よく考えればそれは当たり前のことかもしれない。


 コピーとはいえ自分なのだからお互いのことを知り尽くしているのは当たり前であって何もおかしくない。


 だがリナはやっぱりどうしても違和感がぬぐえなかった。


 具体的に何がどうとは言えなかったが、なんだか純が遠い存在になってしまったようで寂しかったのかもしれない。


 でも純が言っていたように、コピーのおかげでこれから会える時間は増えるのだろう。


 そう自分に言い聞かせ、とりあえず純の前では喜んでみせた。


 ところがだった。


 純のコピーを作ったことで純の叔父である社長は人件費削減のために社員の首を切った。


 結果三十人ほどいた従業員は社長と純と他二名とそのコピーによる計八人となった。


 コピーが一体一億円で計四億円。


 四億円出費したとしても従業員二十六人分の人件費を削減ししかも仕事の効率はぐんと上がるのだから会社としては御の字だった。


 そのかわり、純と純のコピー人間の仕事の量は増えた。


 二人で約六人分の仕事をこなさないといけなくなっていたのだ。


 そうなると当然今までよりもさらに純は忙しくなりリナと会う時間などこれっぽっちもなかった。


 純とリナは一日の終わりに「お疲れ様」「お休みなさい」のメッセージのやり取りをするだけになっていた。


 それはなにもリナと純だけのことではなかった。


 会社からコピー人間を作らされた者たちは自然と仕事の量が増え、忙しい日々を送らざるを得ないようだった。


 そしてその反面、会社をクビになった人間は増え続けていた。


 コピー人間によって弾き出された者たちは行き場を失っていた。


 運良く転職出来たとしてもまたコピー人間によって会社を追い出されてしまう。


 それの繰り返しだった。


 コピー人間を作った者、そして作れない者との間には大きく立ちはだかる分厚い壁が出来ていた。


 そしてそれはリナの身近にまでせまっていた。


 野中整形外科で事務長として受け付けの仕事をしている三井がある日突然リナのもとへ来て小声でささやいた。


「瀬山さん、今度私にそれ教えてもらえないかしら」


「えっ? これ、パソコンですか?」


 突然のことにリナは驚いていた。


「うん。電子カルテのこと、私も覚えなくちゃと思って」


「いいですけど」


「本当に? ありがとう、助かるわ」


「はい……」


 なぜ今さら三井がパソコンを覚えようと思ったのか。


 不思議だったリナもすぐにその答えは明らかになった。


「実は主人が会社をクビになってしまって」


 その日の夜、診療所に残った三井の口から重い言葉を聞かされていた。


「次の仕事も決まらなくてね。その分私が頑張らなくちゃと思って。私までクビになったらまだ学生の娘たちを養えなくなるでしょ」


「コピー人間、ですか?」


「ええ。ひどい世の中よね」


「本当に……そう思います」


 それからリナは毎日仕事終わりに三井にパソコンを教えなければならなくなってしまったのだ。





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