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 もうすぐ午後からの診療が始まるという時だった。


 リナたちがいる休憩室に受け付けのある待ち合い室からざわざわと人のざわめく声が聴こえてきた。


「何かしら」


 信田が真っ先に立ち上がるのを見てリナも腰を上げた。


 野中整形外科に来る患者は足腰が痛むというお年寄りがほとんどだ。


 毎日腰が痛い膝が痛いと訴える患者が治療にやってくる。


 初診でレントゲンを撮って診察するのだが、ほとんどの人は特に異常はなく、変形性脊椎症へんけいせいせきついしょうや変形性膝関節症という高齢による症状だ。


 痛みが酷い時には痛み止めを、それ以外は湿布を処方して対応するしかないのだ。


 そしてそう診断されてから痛みをやわらげるために皆は毎日治療に通うようになる。


 膝が痛いという患者には電気治療といって膝に電気を当てる。


 腰が痛い時はホットパックという暖かいパットを腰に敷いてベッドに横になり、さらに牽引けんいんという腰に重りを付けて引っ張るという治療。


 肩が痛い、手が痺れるなどの症状であれば大抵それはくびからきているということで腰と同じように頚の牽引をする。


 くびにホットパックを当てて横になり、あごから重りを付けて頭の上へと引っ張るのだ。


 交通事故などのむち打ちの症状でもこの治療法をする。


 患者は毎日ほぼ同じメンバーで一日に二百人ほどいる常連さんだ。


 待ち合い室で「あらこんにちは」と楽しそうに会話をしているのはいつものことだが、こんなにざわめくことはなかった。


 信田もリナも何かあったのかと急いで待ち合い室へ向かった。


「どうかしました?」


「しぃっ」


 信田が声をかけた時にはそこにいた二十名ほどのご老人たちは皆テレビに釘付けになっていた。


 そして何人かがテレビを指さした。


 信田とリナは患者たちと同じようにテレビに注目した。


 緊急の記者会見のようだった。


 アナウンサーが困ったような焦ったような声で状況を説明している。


 どこかの部屋に用意された細長いテーブルにマイクが二本置かれているのがただ映っているだけ。


 パッと映し出されたテロップの文字を読んだ。


『緊急記者会見! H・Bサイエンス社社長が重大発表!?』


 それを見たリナは少しがっかりしたようにため息をついた。


「また……?」


 思わず出た言葉だった。


 H・Bサイエンス社といえば、以前にも緊急記者会見をしたことがある大手の製薬会社だ。


 リナがまだ高校生だった頃にも同じようなことがあってしばらくその話題で世間が騒いでいたことを思い出していた。


「確か前は……クローンに成功したとか、そういう話しだったわよね」


 信田もあきれたような表情で動かない画面を見つめながらそう呟いた。


「また何かでたらめじゃないのかい」

「この社長さんまだやってたのね」

「懲りないもんだよ」


 患者たちからぶつぶつとあきれた声がわき出てきていた。


 厳密にいうと七年前、H・Bサイエンス社はある日突然記者会見をし、衝撃の発表を行った。


 それは人間のクローンを作ることに成功した、ということだった。


 クローンはすぐに息をひきとってしまったが、これからさらに研究を重ねて対処することで人間として生活出来るクローンを必ず作ってみせる。


 というものだった。


 それから連日この話題で世界中が沸騰していた。


 その大半は苦情だった。


 人間を何と思っているのだ、神への冒涜だ、人殺しだ、などと騒ぎ立てられ社長は一度姿を消していた。


 高校生だったリナはあまりそのニュースに感心はなかったものの、H・Bサイエンス社という名前と騒ぎを起こした社長の顔くらいは知っていたのだ。


「来たわよ」


 画面の中、テーブルに置かれたマイクの前に立ってお辞儀をする二人の男。


 一人は誰もが見覚えのあるハットをかぶりスーツを着た社長の鬼木おにきだった。


 もう一人は白衣を着ている痩せた男だった。


 眩しいカメラのフラッシュが一斉にたかれ、シャッター音だけがうるさいほどに聴こえていた。


 二人の男が座ってしばらくするとやっと静かになった。


 リナが、信田が、患者たちが、いや世界中の皆が画面の中の二人の男に注目していた。





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