第2話 体育祭当日の朝
「篤人、篤人!起きなさい篤人!」
母さんがリビングから二階の部屋のまだ夢の中にいる僕へ実に不愉快なセリフを吐いていた。
「今日は体育祭でしょ!」
そうだ。今日は体育祭だ。
でも僕にとってはただの体育祭であり、それ以上でもそれ以下でもない。
体育祭は体育祭であり、これと言って特別な行事ではない。
ベッドの上に背中を丸めて寝ていた僕は、年老いたオラウータンのようなゆっくりとした動きで掛け布団を剥がし、部屋を出た。
リビングに入るとすでに朝食が用意されていた。
トーストと目玉焼きとサラダだった。
以前友達にこの朝食の話をしたら、お前は恵まれていると言われた。オレはお前と違って朝食は用意されないと友達は言っていた。朝起きたときにすでに朝食を用意されているのは健全な家庭だということだと友達は言っていた。僕は友達のその発言について特に肯定も否定もしなかった。
体育祭当日はいつもより早く登校しなければならないことになっていた。
僕はその決まりを律儀に守り、やや涼しくなった九月の朝の風を感じながら登校した。
山本先輩の姿は今日見れるかな。また山本先輩と話したいなと思った。あのぷっくりとした赤い頬とクリリとした目。サイドに二つ結ったあのサイドテールをまた見たいな。
そんなことを考えながらいつもの通学路を歩いた。
校門が見えた。
生徒たちがちらほらと校門を潜っている。花壇に咲く花たちは生徒たちにあいさつしているように見えた。
校門に書かれた学校名を隠すようにひとりの女子生徒が立っていた。決して目立っているわけではないが、遠くからでも確認できるそのサイドテールの少女は元気な声で生徒たちに挨拶をしていた。
山本先輩だった。
僕の鼓動は激しくなっていた。手には汗がにじみ、視線を少女に向けることが出来なかった。
「おはようっ!」
挨拶された。山本先輩と目があった。
僕は一瞬、山本先輩を見てすぐに視線を下へ向けた。
「おはようございます」
まっすぐ山本先輩の目を見ることができなかった。
「今日体育祭やなっ!カラー何?」
山本先輩はハキハキとした声で言った。
「赤団です…」
僕は斜め下を見たながら言った。
「えへへ。じゃああたしと一緒やな」
頑張ろなと、山本先輩と無理やりハイタッチさせられた。
僕は一種の感動を覚えた。
山本先輩と話すだけじゃなく、ハイタッチまでできたのだ。
うれしい。感動。感謝。
僕は信じてもいない神様に、このような機会を与えてくださりありがとうございますと、心のなかで祈った。
昇降口で上履きに履き替えたあと、教室に向かった。
深緑色の廊下を歩き、自分の教室へ向かった。廊下を歩いていると二人組の女子生徒とすれ違った。
彼女たちの会話が聴こえてきた。
「あいつほんまうざいよな〜」
「あずさのこと?」
「せや。生徒会長なんかやりよって、ほんま調子のっとるわ」
「あいついじめへん?」
「いじめよ。完膚無きまでに叩きのめしたるわ」
「あたしらの怖さ、あいつの骨身に染みさせよ」
僕は恐ろしいことを聴いてしまったと思った。
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