第8話 電車の中で寝ると首が痛くなる

「……あのー、オーウェンさん?」

「なんだ?」

「いい加減、ベッドで横になってくれませんか?」


 料理名も知らない何かを夕飯として食べたあと、レスリーはグレイスの部屋でアリスと眠る、と言って部屋へ向かった。


 エヴィはというと、アリスの世話を申し出たものの、「エヴィも疲れてるでしょ」というレスリーの正論の前に沈んだ。


 実際めちゃくちゃに眠かった。だからレスリー、アリス兄妹と一緒のベッドで寝ようとしたのだが。

 オーウェンの「いや、あんたそうしたら絶対仕事するだろ」という正論の前でまたしても沈んだ。


 そして寝ることになったのだが、この家にはベッドはふたつしかなく、そのうちひとつは兄妹が使っているわけで。


「じゃあオーウェンさんに見張られながら寝るのも仕方ないですねってそうはならんでしょうが!!」

「うるさい。レスリーとアリスが起きる」

「なんで腕組みしてるんですっ?」


 エヴィはオーウェンのベッドに横たわりながら、オーウェンに監視されていた。


 オーウェンは椅子に座り、脚を組んでエヴィのほうを見ている。目を開けるとオーウェンが目に入り、目を閉じるとオーウェンの残像が見える。怖い。緊張感がすごい。寝られない。


「いや、横になって寝てくださいよ……」

「僕が目を離せば、あんたはアリスの世話をしにいくだろう。しかし僕は寝たい。そして僕は思いついた。僕が座りながら寝れば、エヴィが部屋を抜け出そうとしたときに『あれ? オーウェンさん寝てる? 起きてたら怒られるからやめとこ』となる」

「だからわたしのヴェール被ってるんです!?」


 オーウェンは寝間着らしき黒いワンピース型の服を着て、エヴィのヴェールを前後ろ逆にして被っていた。


 たしかに使う許可は出した。出したがこんな使い方をするとは言われなかった。

 しかし契約においては、予想外のことが起きたとしても、持っている情報が少ないほうが悪い、で片づけられる。だからこの暗闇に浮かぶ白い化け物みたいな男のシルエットは、エヴィの情報不足が招いた悲しいモンスターでしかないのだ。


「……ていうかそれ、見えてます?」

「見えてはないが、聞こえるしあんたの匂いがする。あんたが動いたら、寝ていてもわかる」

「凄腕のアサシンですかあなたは……」


 物音ならまだしも、自分の匂いで居場所を判断されているとは。なんだか乙女心には抵抗感があった。


「僕だっていろいろ考えたんだ。だが布団で簀巻きにして寝かせるのはあんたが不憫だと思ったんだ」

「ああもう、そんなことしなくても向こうに行きませんから!」

「そう言って電脳野郎を壊した奴は誰だ? レスリーから聞いたぞ」


 レスリーを襲っていた電脳様を壊したせいで、エヴィの信頼は地に落ちていた。

 エヴィが二の句を継げずにいると、オーウェンは続けた。


「寝られないなら子守歌でも歌うか?」


 さらにふざけた提案をされた。案外、見かけよりお茶目な性格なのかもしれない。


「あなたわたしがいくつだと思ってるんです……?」

「十六歳くらいか?」


 エヴィはどうやら若く……というか幼く見えるらしく、十四歳あたりから外見の他者評価が変わっていない。エヴィは鏡をほとんど見ないが、きっと自分が思っている以上に幼いのだろうな、と思っている。


「今までで一番年上ですね。ハタチです」

「ハタチ!? 僕と七歳しか違わないのか!?」

「あなたも思ったより若いですよ。三十くらいかと」

「……よく言われる」


 苦い声でオーウェンは言った。どうやら似た者同士らしい。


「子守歌は要りませんけど、娘さんの話は聞かせてほしいですね」


 静かな部屋に、サンダルが床を叩く音が響いた。これはオーウェンが悩んでいるときの癖らしい。

 やがてオーウェンが口を開いた。いや、ヴェールに覆われていて表情は窺い知れないのだが。


「グレイスは、金色の髪に青い瞳をしていた。たぶん、あんたの来た町の近くから来たんだろう。だから娘は、もしかしたら僕にあんまり似ていないかもしれない」

「ああ、たしかに多いですね、その色」


 だから自分の真っ白な見た目にも驚かなかったのか、とエヴィは納得していた。


「娘を妊娠したとわかったのはちょうど六年前のことだ。つまり牢に入れられたのは、だいたい臨月のころになる」

「じゃあ、会ったら五歳くらいってことです?」


 たぶんな、と言ったあと、オーウェンはためらいつつも口にした。


「……娘には、エヴィと名付けようとしてたんだがな。グレイスは投獄されるわ、同じ名前の常識ブレイカーが来るわで、別の名前を検討している」

「わたしの二つ名についても検討の余地があるようですが」

「反応してる時点で負けじゃないか?」


 エヴィは悔しくなって布団に潜り込んだ。布団の中でヴェールの奥のオーウェンを睨みながら、彼女は続きに耳を傾けた。


「だから、エヴィ。お前が娘に会ったら、名前を付けてくれないか」

「電脳様は人間としてのお名前は付けてくれませんからね」


 エヴィは寝返りを打って、オーウェンに向かい合った。


「でもわたしは赤の他人ですよ? あなたが名前を付けてくださいよ」

「僕だって会ったことがない。顔も知らない肉親より、目の前にいる他人のほうがいいだろう」

「……オーウェンさん、これはむかし、お父さんから言われたことなんですけど」


 エヴィはもう記憶の中だけの存在になってしまった父親の顔を、ぼんやりと思い出しながら言った。


「名前は子供に与えられる、最初のプレゼントなんです」


 エヴィは、生命という意味の言葉が由来だそうだ。


 だからエヴィは、今までどんな目に遭っても生きようと思えた。その想いこそが、父親がくれたものなのだとそのたびに思った。


「オーウェンさん、会う気がないのは重々承知しています。そのうえで、娘さんに人づてにでも、プレゼントをあげません?」


 オーウェンはしばらく悩んでから、もうひとつ候補があった、と口にした。


「へえ、それは?」

「アナスタシア。生き返り、不滅……そういう意味だ」


 願うような、望むような声色だった。


「僕はどこか、グレイスに生きてほしいと思っているんだ。おかしいよな、母娘とはいえ他人なのに」


 オーウェンが自嘲的な笑いを漏らした。エヴィは布団から口を出して、いいんじゃありません、と言った。


「だってお母さんの生き返りなら、ずっとお母さんと一緒にいられるじゃないですか。ふたりなら幸せ二倍、悲しさ半分です」

「……あんたはどこまでもポジティブだな」

「そうでなくっちゃ、この時代やっていけませんよ」


 エヴィは横になりながら、拳を天井に突き上げた。窓から差し込んだ月光が、彼女の白い肌を光らせていた。

 やがてその拳から力が抜けて、エヴィは眠りについた。


 ***


 夜が明けた。

 朝起きると、すでにオーウェンはおらず、椅子にヴェールのみが残されていた。


 エヴィはネグリジェを脱ぐと、木箱の中からベビードールを取り出し、身に着けた。


「測り直さなくてもいいのは利点ですけど、十四歳からサイズが変わらないってどうなってるんですかね……」


 とくに胸囲、と悲痛な呟きを落としながら、ベッドの縁から立ち上がる。


 白いニーハイソックスを身につけ、ガーターベルトでずり落ちないよう固定した。黒い木靴に足を入れ、顔を上げる。


 その瞬間、エヴィの視界に鏡が目に入った。

 本当に小さなものだ。オーウェンらしい装飾のひとつもない鏡で、全身はおそらく入らないであろう大きさだ。


 しかしエヴィは、鏡の中の自分と目が合った瞬間、言いようのない恐怖心に襲われた。


「――あ」


 エヴィはその鏡のところまで駆け、ちょうど手に持っていたヴェールをその鏡に掛けた。エヴィの額には、じわりと汗が滲んでいた。


「鬼が、やってきてしまう……」


 鏡に掛けたヴェールのわずかに開いた隙間から、突如影が吹き出す。部屋に影が差す。

 エヴィはベビードールの胸元を直しながら、その影に向き合った。


「エヴィ。鬼神われの愛する人の娘よ」


 影が、脳漿を揺らすような大声でエヴィに語りかける。実際にこの声は脳に直接届いていて、耳をふさぐ程度では塞げないのだからたちが悪い。


「名前で呼ばないでください。それにあなたは神様なんかじゃなくて、ただの邪悪な鬼です」


 エヴィの声色が、あからさまに尖る。


「我を呼んだということは、また逃げたいのか?」

「もうその話は関係ないでしょう? ほんと、鏡の中から監視するのやめてくださいよ」


 エヴィはその影を無視して、着替えを始める。


 いつも着ている白いシャツワンピースを上から着る。白い紐でウエストを絞り、襟元の黒いリボンをボタンで留めれば、エヴィの普段着は完成する。


「ダメもとでお願いしますが」


 エヴィは影に向かって語りかけた。


「わたしにこの国の人間を救う力をくださいませんか」


 影は笑った。爆音で頭がくらくらする。


「破壊しかできないその白き鬼の身体でか!」


 エヴィは腹が立ってその影を殴る。影はぼんやりとした霧状になってその打撃を防いだ。


 汗が首を伝ってぽたりと落ちる。

 荒い息遣いが部屋に響いていた。


「あなたに頼んだわたしが間違っていました」

「いいや、間違っているのはそれじゃない。人間を救おうとしている貴様が間違っているんだ」

「あなたは、あの日のわたしが本当のわたしだと思っているんですか!」


 エヴィの声に怒号が混じる。影はあくまでその姿を面白がっていた。


「ああそうだ。島を沈めたのは貴様の本能だ」


 影がだんだんと薄れていく。エヴィは苛立ちに拳を固めながら、それでも何もできなかった。


「ああ恐ろしい。嘘だけ吐いて生きてるんだな、今の貴様は」


 影が消えた。朝陽が部屋に差し込んでくる。エヴィの視界が、光に染まって白くなっていく。


 彼女は俯きながら、「髪結ばないと」と呟いた。


 窓の外の黄金の砂漠を眺めながら、エヴィは長い白髪をふたつに分けて結った。最後に鏡に掛けたヴェールを剥ぎ取って、いつもより目深に被った。


「こんなことしてる場合じゃないですね。アリスのところに行かなきゃ」


 エヴィは木箱を背負って、オーウェンの部屋を出た。

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