第7話 疲れてるときに子供の動画とか見るとたまに泣く

 レスリーたちの家からオーウェンの家までは、二十分ほどかかった。


「遠かったですねえ」

「グランドパレスの帰りなんだっけ。あそこからは国のどの区域にも行けるから、来た道と真逆のほうに進んじゃったんだね」


 途中グランドパレスがやけに近づいているのは、この国を縦断していたせいだったのか。


「来た道をそのまま辿っていったはずなんですけど」

「エヴィ旅人向いてないよ」

「自覚はあるんですけど、旅人しか選択肢がないんですよ……」


 何度か道がわからなくなったことはあったが、そのたびに人に助けてもらった。しかしこの国には、人があまりにもいない。そのせいで迷ったのだと信じたい。


「ささ、入りましょう」

「……一応確認するけど、オーウェンが住んでるのは『レディ・グレイスの占いの館』でいいんだよね?」

「わたしもいまだに信じられませんよ」


 そう言いながら、エヴィは占いの館のドアへ向かう。

 そのドアを叩こうとすると、ドアの向こうから焦るような足音が聞こえてきた。だんだんと音は大きくなってゆき、やがて扉が開いた。


「おい」


 出てきたのはオーウェンだった。どうやら中まで音が聞こえていたらしい。なぜか明らかに焦っている。


「あ、オーウェンさん! ごめんなさい、道に迷っちゃ――」


 オーウェンがエヴィの腰を掴んで、家に引き入れる。レスリーも家に入れると、オーウェンは素早くドアを閉める。


「夜は監視が厳しい。すぐに電脳野郎に見つかるぞ。あんたが抱えてる奴ごと捕まるからな」


 間近で静かに怒られる。たしかにこれは「鬼のオーウェン」と呼ばれるのも頷ける。

 しかしオーウェンの言ったことも正しいので、エヴィは素直に謝った。


「オーウェンさん……すみません」


 彼は腕に抱えたアリスと、エヴィのワンピースの裾を掴んでいるレスリーを交互に見ると、ため息を吐いた。


「僕が何か言ったところで、あんたの行動が変わるとは思ってない。今日はなるべく息を潜めて過ごせ」


 そう言ったあと、オーウェンはレスリーを見て言った。


「あんた、シャーロットの息子のレスリーか?」

「う、うん……お母さんのこと、知ってるの?」

「ああ。グレイスの友人だったからな」


 和気あいあいと会話をするふたりを横目に、エヴィは言葉にならない衝撃を受けていた。


「え、息子……って、レス、男の子なんです!?」


 ふたりが揃ってエヴィのほうを向いた。レスリーがそうだよ、と軽く頷いた。


「おれは何回も言おうとしたんだけどね。エヴィ、全然話聞かないから」

「そういう奴だ。僕の話も全然聞かない」


 エヴィは自分への悪口も華麗に無視して、ええ、と衝撃に打ち震える声だけを漏らした。


「まあエヴィが人の話を聞かないのは当然だから諦めるとして。レスリー、あんたがエヴィを頼ったのは、そこの子供のためか」


 オーウェンが冷静にレスリーに切り出す。エヴィはそうでした、と腕に抱えたアリスを見下ろす。

 家にいたときよりはだいぶ咳は落ち着いているが、それでもまだ熱は高い。どこか風通しのいいところで寝かせる必要があるだろう。


「そうだよ。おれの妹のアリスを、エヴィが助けてくれるって言ったから」

「アリスは熱があって……オーウェンさん、初日で本当に申し訳ないんですが、どうかアリスとレスを泊めさせてくれませんか?」


 エヴィはためらいもなく頭を下げた。白い髪がさらさらと肩を伝って落ち、アリスの胸に落ちる。

 エヴィからは、オーウェンの靴先だけが見える。オーウェンはつっかけのサンダルで床を小刻みに叩いて、しばらく黙っていた。


 分かっている。エヴィとオーウェンは、今日会ったばかりの他人だ。その上エヴィを泊めることで得られる利益はほとんどないことも、承知の上でここまで来た。


 ここでレスリーとアリスごと追い出されたら――とエヴィは考えていた。

 彼らを家に送って、アリスがこの夜を無事に明かせたら、この国を出ていってしまおうか。そう思っていた。


 エヴィとしては、アリスが元気になればそれでいい。この国で薬を売ることはもうあきらめて、また止まり木代わりの国を探せばいい。今までもそうだったのだから。


「……わかった。グレイスの部屋を貸そう」


 しかしオーウェンは、エヴィが考えるような行動はしなかった。


「ほんとう!? ありがとう、オーウェン!」


 エヴィはゆっくりと顔を上げる。


「ありがとう……ございます」


 その言葉とは裏腹に、エヴィの心は猜疑心に満ちていた。

 彼がエヴィをここに留める理由は、今のところない。利益がないどころか、リスクを負うだけの行動だ。

 ならば――エヴィがいまだ手に入れていない情報が、きっとその理由に繋がるのだろう。


 彼女は知っていた。

 わけもなく世話を焼くお人よしなど架空の存在だと。人の良心は、人間の妄想の産物だと。


 エヴィは疑いながら、アリスをグレイスの部屋まで運んでいく。


 兄妹をグレイスの部屋に入れたあと、オーウェンはエヴィをリビングに連れていった。


「あんた料理は作れるか?」

「ひとり旅をしてるんですよ? もちろんできます!」


 エヴィは胸を叩いて、ウィンクした。彼女の様子に反し、オーウェンは信じられないといった視線を送ってきた。


「あ、疑ってますね?」

「あんたの自信があればあるほど不安なんだよ……」

「いえいえ、わたしは薬師ですよ? 病人のための食事はお墨付きです!」


 オーウェンは眉間に手を当てて考えたあと、わかった、と消えるようにつぶやいた。


「だが僕とあんたとレスリーの料理は僕が作る。それでいいな?」

「優しいですねえ。そうしてください」


 エヴィはこぼれた髪をヴェールの中に再度しまうと、先に料理しますね、と言って台所へ向かった。


 一般的なこの国の料理がどんなものかわからないが、とりあえず冷蔵庫の中身を見て代用することにする。冷蔵庫を開けると、だいたい見たことがあるような食材が入っていた。


 しかし戸棚の中を見ると、前の国と比べてスパイスを使う料理が多いらしい。エヴィはしばらく考えたあと、スパイスの香りを嗅いで入れるスパイスを定める。


 見たことのある野菜の中で栄養豊富なものと爽やかな香りのスパイス、そして小さな豆と細長い米を鍋へ入れ、水で煮る。

 くつくつと鍋が煮えたち始めたころ、居間に座っていたオーウェンが、エヴィに話しかけた。


「エヴィ、レスリーに何か言われたのか」

「……!」


 ばっと後ろを振り向くと、そこには普段と変わらない表情でこちらを見つめるオーウェンがいた。そこに詰め寄るような様子はない。ただ事実を訊いているだけのように見える。


「グレイスさんについての噂を、すこし……」

「やっぱりか。あんたは隠し事をしないんじゃなく、できないみたいだな」


 オーウェンの表情は変わらない。


「グレイスが死んだって話だろう」


 淡々と、まるで他人の噂のように言った。エヴィは一瞬、その噂を疑ったが。


「本当だ。グレイスは死んだ。彼女が生んだ僕たちの子供は、いまだ電脳野郎が隠している」


 こんなにも冷静に語れるものなのか、とエヴィは愕然とした。それはオーウェンが大人だからなのか、それとも元来の性格なのか。大人になれないエヴィには、まだわからない。


「子供は僕のことを知らないだろうから、無理に会おうとは思わない。騙すような真似をして悪かったな」

「いえ、ここに泊めていただけるだけで幸せですから。でも、どうしてそんな嘘を?」


 オーウェンはエヴィに頭を下げた。


「頼む、僕の娘にあんたの話を聞かせてくれないか」


 それは、切実なまでの頼みだった。


 エヴィは今まで、嘘を吐く人間は全員悪だと思っていた。エヴィは悪意のある嘘に何度も騙されたし、騙したこともある。生きるためには仕方のないことなのだ。


 しかしこの男は、あろうことか子供を思う心から嘘を吐いている。顔も見たことのない子供に対して、ここまで強い愛を抱けるものなのかと、エヴィは唖然とした。


「そんなことで、いいんです?」


 オーウェンは頭を上げて、ああ、と頷いた。


「あんたが言う”そんなこと”を、僕は何度も断られてきた。あんたが請けてくれるなら、僕のできる限りのことは何でもしよう」

「……無鉄砲も、案外役に立つものなんですね。あなたのことを疑って損しました」


 この国に、旅人が来ないことはないのだろう。

 しかし人との関わりを禁止している社会では、そんなリスクを冒してまで人を助けようとする人間はいないのだろう。エヴィとは違いきっと下調べも路銀の準備も十分にしてあるだろうから、オーウェンが恩人になることもないのだろう。


「娘さんはどこに?」

「西の民家の地下にいる。やっとこの間、電脳野郎から聞きだしたんだ。僕がそこまで案内しよう」


 エヴィは鍋の火を止めると、戸棚からひとつ、カップを取り出した。そこに名もないスープを注いでいく。

 彼女は熱々のスープが注がれたカップを持って、エヴィは言った。


「アリスの熱が下がりしだい行きますよ。そのあとも薬を売るために泊まりますけど」

「ほんとぶれないな。まあもともとふたり暮らしだったんだ、ひとり泊めるだけならいい」


 今日みたいに子供を連れ込まなければな、と付け足される。


「手厳しいですねえ。それじゃ、部屋に行ってきます。ご飯、おいしいのをお願いしますよ」

「心が強いな……」


 エヴィがグレイスの部屋に繋がる廊下を歩いていくのを見届けると、オーウェンは台所に向かった。


「グレイス……やっと君の言ったとおりになった」


 彼は具材を切りながら、誰に言うでもなく呟いた。


「あの白髪の少女が、この国を守ってくれるんだな」


 エヴィという白髪の少女がこの国へやってくること、人間を守ると宣言すること、これから生まれる娘に外の世界を語り聞かせてくれること。


 グレイスが最後に占ったのは、戦争の顛末てんまつなんてささいなものではなく、この国の終わりだった。

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