第6話 人口が多いからといって都会なわけじゃない

 エヴィは両手でアリス、背に大きな木箱を背負っているにもかかわらず、まったく姿勢がぶれない。

 ふいに、エヴィのヴェールがめくれ上がった。隠していた白髪と、せた青色の瞳が夜の街にあらわになる。


「――その髪と目、どうしたの?」


 レスリーと目が合った。彼女は悪気なんて一切なく、そんなことを訊いてきた。

 その質問には慣れていた。生まれつきのものですよ、と決まった文句を口にすると、レスリーは微笑んで言った。


「きれいだね。天使みたい。初めて見たよ」


 神様はいないのに、天使はいるらしい。宗教とか聖書とかどうなってるんだろう、とエヴィは思考が外に行く。


「顔もお人形みたいだし……どうして布で隠すの?」


 その質問も、何度も耳にしてきた。エヴィはきまりきった言い訳を口にした。


「かっこいいからです!」


 エヴィが自信満々に言うと、レスリーは呆れかえった目線を返してきた。


 これでいい。


 エヴィは安心すると同時に、やっぱりオーウェンの反応は特殊だったんだな、と思った。


「訊き忘れてたけど、エヴィ、誰の家に居候してるの?」


 レスリーが階段を下りながら、エヴィに尋ねる。


「オーウェン・ローゼンタールという占い師の方の家です。人の区画と電脳様の区画の間に住んでいるんですが……」


 ご存じですか、と言うと、レスリーは目を見開いて質問で返してきた。


「オーウェンってあの、鬼のオーウェン?」

「鬼なんです!?」


 オーウェンは冷徹なイメージがあったが、まさかそこまで言われていたとは。


「うん。元軍人の超強い人で、奥さんに手を出すやつは絶対に許さないって、お母さんが言ってた。会ったことはなかったらしいんだけどね」

「へえ……ふふ、あのひとにそんな噂が……ふふ」


 思わず吹き出すエヴィに、レスリーが懐疑的な視線を向ける。


「まあ鬼のオーウェンくらいしかエヴィのコントロールなんてできないか……ねえ、どうやってあの人に取り入ったの?」

「どうやってって……わたしが電脳様に追いかけられてるところを助けてくれただけなので、わたしがなにかしたわけじゃ」


 レスリーはふうん、と鼻を鳴らして、家の前の通りまで出た。


「占い師グレイスが死んでから、おとなしくなったって話、本当だったんだ」

「……なんて?」


 グレイスの話を始めながら、レスリーは通りを下っていく。すっかり夜も更けて、あれだけ色づいていた街はすべて漆黒に染まっていた。


「これもあくまで聞いた噂にしか過ぎないんだけど、グレイスは捕まったあと子供を産んだんだ」


 エヴィは黙り込む。オーウェンがグレイスとの子供の話をしなかったのは、果たして意図的なものだったのだろうか。それとも、単に伝え忘れていただけだったのか。嫌な考えがエヴィの脳を巡った。


「でもこの国だと、人口はうかつに増やしちゃいけないんだ。この首の番号は、〇二○○番までしかない」


 オーウェンも言っていた。子孫を継ぐ行為は、特定の領域内でのみ行われると。それは人口が二百を超えないようにするための規則なのだろう。


「グレイスは子供をどうしても生みたがった。けど、電脳様がそれを許してくれなかった。だからグレイスは、自分の番号を赤ちゃんに譲るから生ませてほしい、って頼んだ」

「グレイスさんは、どうしてそんなことを?」


 レスリーはエヴィのほうを振り向いて、知らないの、と言った。


「番号がない人間は、電脳様に殺されちゃうんだよ」


 エヴィは背筋がぞくりと冷えるのを感じた。


 レスリーの、エヴィの、アリスの首筋にあるこの番号は、ただ国民を管理するためだけでなく、「殺してはいけない人間」を指定するためのものでもあったのだ。

 エヴィのこの番号は、二十一年前に死んだ男の番号だという。そして同じ番号の者は、おそらくふたりといない。


 すなわち番号を外すことは、死んだも同然……ということだろう。

 エヴィの出生地の神話にあった、「魂」に似た概念だな、と納得する。


「じゃあグレイスさんは、子供を産んで、自分は――」

「うん、殺されちゃった。まあ噂話に過ぎないんだけどね」


 レスリーが心なし悲しそうな目でエヴィを見た。


「オーウェンは何か、言ってなかったの」

「グレイスさんを助けに行くって、グレイスさんは――」


 生きているって言ってました、というセリフを寸前で呑み込んだ。


 エヴィは脳内で、その時の会話を思い出す。


 ――誰も死んだなんて言ってないだろ。


 そうだ。オーウェンはグレイスが死んだとは言っていなかったが、生きているとも言っていなかった。

 オーウェンは言っていた。占いをするのは、グレイスを助けるためだと。


 でももし彼が、グレイスの死を知ったうえでそんな嘘を吐いているとしたら。

 彼の真の目的は、何なのだろう。


「エヴィ? どうしたの?」


 いつの間にか歩みが止まっていた。エヴィはレスリーの声に驚いて顔を上げ、何もなかったかのように笑った。


「わたし、頭が悪いので、思い出すのに時間かかっちゃって」

「そんな考えこまなくてよかったのに。で、オーウェンはなんて言ってたの?」

「ええっと……」


 オーウェンがエヴィを巻き込んだ理由。心底電脳様を憎んでいるはずなのに、従っているふりをするわけ。

 エヴィにはまだわからないので、とりあえず。


「グレイスさんは巨乳だったって言ってました」

「どうでもいい情報だけ思い出しちゃったかあ……」


 嘘を嘘で塗り重ねた。


「……これ以上、人と関わるのはごめんですから」

「ん? どういうこと?」

「なんでもありませんよ。この国の夜は寒いので、急ぎましょうか。アリスの身体に悪いです」


 それもそうだね、と言いながら、レスリーは夜道を急いだ。

 なんとか面倒なことになる前に切り捨てたいなあ、と思いながら、エヴィも歩みを速める。

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