第5話 嘘は堂々と吐くと案外バレない

 エヴィは路頭に迷っていた。


「建物の大きさが明らかに違う……」


 人間用の地区に入ってしまったようで、ドアも窓も屋根も、人間のための大きさになっている。

 電脳様の街からオーウェンの占いの館がある街までかなり歩いた。つまり、人間の街からオーウェンのいる街まで帰るにもかなり歩く必要がありそうだ。


 エヴィは胸元のポケットからこの近辺の地図を出す。ここに来る途中の砂漠で行商人から買ったものだ。

 しかし。


「……マキナ、ぐちゃぐちゃすぎません……?」


 そう簡単な構造の国ではないらしい。かろうじて人間用の街と電脳様用の街が、ある程度の大きさでひとまとまりになっていることは分かる。

 つまり電脳様の街と人間の街の間、なんていう条件でオーウェンの家は絞り込めないらしい。


「うぇえ……オーウェンさあん……助けてくださいよぉ……」


 先程見せた涙よりずっと情けない涙をぼたぼたと落としながら、エヴィは見通しの悪い夜の街を歩く。

 角を曲がっても建物は小さいまま。果ての見えない迷路に迷い込んでから、二十分程が経ったころ。


「お願い、妹を助けて――」


 小さな子供の声が、どこかから響いてきた。

 縋るような声だ。エヴィはずっと涙を引っ込めて、その声のする方へ走っていく。


 エヴィの足の筋力は常人の何倍もの力を持つ。空も飛べそうな威力で地面に蹴りを放つと、木箱ががたんと音を立て、エヴィの体が前方へ飛び出す。


 子供の声が段々と鮮明になっていく。


「どうなってもいいから、アリスを助けて! お願いだから!」


 だめだ。

 幼い子供が他人のために自らを差し出すなんて、あってはならない。


 子供の世界は火花のようなものだ。きらきらして、情熱的で、一瞬で消えてしまう。犠牲になるのには、あまりに代償が大きすぎる。

 この世界から輝きを、これ以上減らしてはならない。


 エヴィは三十秒ほどで、声の主のもとまでたどり着いた。

 そこにいたのは、オーウェンのものに似た民族衣装を着た十二歳ほどの少女と、電脳様だった。


 エヴィは少女の腕が電脳様に掴まれているのを認めると、一気に加速してその大きな背に頭突きをかます。

 電脳様の機体が、少女のほうへ倒れていく。


「――っ危ない!」


 エヴィは機体に押しつぶされそうな少女を、寸前ですくい上げた。そのあとすぐ、電脳様が轟音を立てて地面に突っ伏した。


「怪我、ないです?」

「……え、な、なに? 何が起きてるの?」


 少女の反応は、混乱一色だった。


「正義のヒーロー、エヴィちゃんがお嬢さんを助けたんです!」


 エヴィが胸を張ると、少女はますますわけがわからないという顔をする。


「え? 電脳さま、倒しちゃったの? お姉ちゃんが?」

「はい! ……ってああああああ!!」


 エヴィは動かない電脳様を認めると、誇らしげな表情から一変、思い切り焦りはじめた。


「電脳様を壊すなって言われてたのに! どうしよう、めちゃくちゃ怒られる! ボコボコにされる! お嬢さん、どうしたらいいです!?」

「なに? お姉ちゃんをコントロールする人がいるの? 悪の組織かなんかなの?」

「悪の組織というか怪しい人っていうかあっでもわたしを誘拐してるわけですし実際ダーク寄りのダークなのでは!? やっぱりボコられる!」

「まって。一旦お互い落ち着こ」


 少女がエヴィの胸元でばたばたと動く。下ろしてほしいらしい。


「自分より年下の子に正論言われた……」


 エヴィは項垂れつつ、少女を優しく地に下ろした。

 少女は胸の中ほどまで伸ばした髪を一纏めにした簡素な髪型で、やはり首筋には番号が刻まれている。


「ていうかお姉ちゃんは大丈夫なの? 他のひとを庇ったら、処刑されちゃうよ?」

「さっき三回ほど処刑されてきたので心配ありません」

「あるよ!?」


 あれが処刑なら大したことないな、とエヴィは謎の全能感を得ていた。ヒーローなんて口にしてしまうほどに。


「それより、お嬢さんはなんで電脳様に捕まってたんです?」

「――あ! そうだよ、大変なんだよ! 妹が熱出しちゃって……いつもはお母さんが何とかしてくれるんだけど、お母さん、この間病気で死んじゃったんだ」


 やはりマキナでは、人権はあってないようなものらしい。母親の病もきっと、どこか医者にかかれば治るような病だったのだろう。それが、こんなくだらない国のルールなんかのせいで――。


 思わず頭に血が上りそうになるのを押えて、エヴィは本業を全うすることを決めた。この国に来て初めての仕事だ。


「よし! わたしに任せてください!」

「え!? 何する気!?」


 困惑する少女に、エヴィは告げる。

 精一杯のキメ顔で。


「処方です!」


 少女は喜怒哀楽が全て混ざったような顔を向けた。


「わたしを妹さんのところまで案内してください。症状を見て、お薬を出します」

「え、お姉ちゃん、お医者さんなの?」

「ちょっと違いますねぇ。薬師ですよ」


 きょとんと首を傾げる少女に笑顔を送る。


「ちなみにお嬢さん、お名前は?」

「え、れ、レスリー……レスでいいよ。あとお嬢さんって――」


 混乱するレスリーをよそに、エヴィは彼女の手を掴んだ。


「さあさ、レス、行きますよ! ちなみにお代はわたしをお家に帰すことでお願いしますね!」

「ぜんぜんこっちの話聞いてくれないな……」


 レスリーは呆れながらも、エヴィの存在には感謝しているらしく、素直に家まで連れて行ってくれた。

 レスリーの家はすぐ近くの集合住宅の一室だった。人間用とはいえかなり小さい家で、あまり裕福な家ではないのだと予想はついた。


「ごめんね、お母さんが死んでからあんまり掃除できてないんだ。転ばないでね」


 レスリーがドアを開け、エヴィを家の中へ入れる。彼女の言うとおり家の中には生活用品が散らばっていて、お世辞にも綺麗とは言い難い有様だった。


「妹さんは?」

「ああ、アリスはこっちの部屋だよ」


 レスリーがリビングのすぐ隣にある部屋のドアをノックする。


「アリス、入るね」


 エヴィは足元に気をつけながら、アリスの部屋へと入っていく。

 その瞬間、蒸し暑い空気がふたりを包む。エヴィはよくない雰囲気を感じつつ、部屋へ入っていく。


 アリスは部屋の中心で、木製のベッドに横たわっていた。子供一人用にしては大きすぎるので、おそらくレスリーと共用なのだろう。


「アリス? 怖くないお姉さんですよ〜」

「自分で言うんだ……」


 アリスの赤く紅潮した頬に触れてみると、アリスの瞳がゆっくりと開いた。しかし焦点は合っておらず、返事も咳き込んだだけで終わった。

 汗が大量に流れ、シーツをぐっしょりと濡らしていた。


「確認しますけど、レス、彼女はどれくらいこの状態です?」

「たぶんここ二日くらい……もともと身体が丈夫じゃないんだ。とりあえず昔お母さんがやってたから、水は飲ませたけど……熱が下がらないから、大人の人を探してたんだ」

「それで電脳様に捕まった、と。ふむ、なるほど……」


 エヴィは部屋を見渡して、窓がないことを確認する。


「レス、この家に大きな窓がある部屋はあります?」

「え、ああ、リビングなら……」

「そこまで彼女を運びます。レスはお布団と、あと暖かくできるものは何でも持ってきてください」


 エヴィはそう言うや否や、彼女を抱き上げ、丁寧にリビングまで運んだ。残されたレスリーも、布団と押し入れの毛布、それとぼろぼろのマフラーを持って部屋を出る。


 エヴィはリビングの床に座り、アリスを後ろから抱きしめて温めていた。やがてレスリーが到着すると、アリスを横にして膝枕の上に寝かせる。

 布団と毛布をかけ、ダメ押しのようにマフラーを乗せる。エヴィは片耳をアリスの胸に押し当て、呼吸音に異常がないことを確認すると、レスリーに指示を出した。


「レス、窓を開けてください。それと、お水も持ってきてくれると嬉しいです」

「わ、わかった!」


 会ったときとは打って変わって真剣な様子のエヴィに、レスリーは驚いているようだった。レスリーは窓を開け、言われたとおりに水入りのコップをエヴィに渡す。


「アリス、身体を起こせますか?」


 エヴィがアリスに優しく声をかけると、彼女はゆっくりとまぶたを上げる。彼女がふるふるとかぶりを振ると、エヴィはまたレスリーに指示を出した。


「レス、彼女の背を押えていてください。わたしはお薬を飲ませるので」


 レスリーからコップを受けとり、アリスの背を彼女に任せる。そしてエヴィは、背負っていた木箱を下ろし、蓋を開けた。

 そこには大量の本やら瓶やら袋やらが入っていた。


「この歳の子は体力を温存しないと長引いちゃいますから……痰が出るので、そっちの対処をしたほうがいいですね。じゃあこれにしますか」


 エヴィは木箱から小さな箱を取り出すと、袋をひとつ切り取り、封を切った。


「アリス、わたしを見てください」


 アリスの虚ろな目がエヴィをとらえる。


「口を開けられます?」


 アリスは言葉に反応し、口をゆっくりと開けた。


「お水を入れますね。しばらく口は開けたままにしてください」


 アリスの口へぬるい水を注ぎ、そして同時に、そこへ袋の中身をさらさらと入れた。白い粉だ。


「はい、飲み込んでいいですよ」


 アリスがごくん、と喉を鳴らすと、エヴィは額の汗を拭うような仕草をした。


「いやあ、人を救うのって楽しいですねえ!」

「……?? 何したの?」


 アリスの背を支えながら不審そうな目付きを向けるレスリーに、エヴィはウィンクを投げた。


「交感神経を刺激して器官を広げ、痰が絡みにくくなるようにしました。治りが早くなると思いますよ」

「な、何言ってるかわかんないけど、アリスは死なないってこと?」

「う〜ん、薬師に必ずはないので約束はできませんが、まあ確率は下がりましたね」


 レスリーはいまだ怪訝な目を向けている。仕方ない、おそらく彼女が初めて見た、医療的行為なのだから。


「信じられないのなら、熱が下がるまで待ちましょうか?」

「え、いいの?」

「はい。レスがわたしのすごさを街に広めてさえくれればいいんですよ」

「いや、そうじゃなくて……」


 レスリーのエヴィへの視線が、驚きから呆れへと変わっていく。


「エヴィ、帰れなくてここ来たんでしょ?」

「……!」


 言われてやっと思い出した。ほんの数分前の出来事なのに、それより大切なことがあると吹っ飛ぶらしい。


「ど、どうすれば……わたしこの国のお金持ってませんし、そもそもお店閉まってますし、寝床ないですし、え? 断食徹夜します?」

「テンパると弱すぎる!」

「あーっとえーっと……あ、そうだ」


 エヴィは名案を思いついたように手を打った。


「わたしの居候先に来ません?」

「居候なのにふてぶてしいでしょ!」


 今日同じようなことをオーウェンに言われたような気がする。今日は面の皮厚い記念日にしよう、とエヴィは思った。


「ま、大丈夫ですって。そのひとわたしも今日連れ込んだばかりですし、『実は妹がいました〜』で誤魔化せますよ!」

「初日からチャレンジャーすぎない?」

「チャレンジャー精神あってこその旅人です!」


 エヴィは木箱を背負い、アリスを布団を被せたまま優しく横抱きにすると、部屋のドアまで歩いた。


「さあレス、行きますよ! ドア開けてください!」

「ああもう、はいはい、わかったから! 門前払いされたらあんたが何とかしてよ、エヴィ!」


 エヴィたち一行は、家の扉を開けて夜の砂漠へ出た。家に入る前より冷たい風が、エヴィのヴェールを撫でていく。

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